2022年08月25日
朝ドラをもう10年以上、1日も欠かさず見ている。振り返れば、良い作品があってダメな作品があった。だから、ダメな朝ドラとの付きあい方もわかっているつもりだ。
「ちむどんどん」はダメだけど、どうも勝手が違う。これならいっそ、あさっての方向に全力で進んでくれる方がましだと思いさえする。「ちむどんどん」、あさってには行っていない。「良い朝ドラ」のセオリーを踏まえている。なのに心が動かない。
朝ドラに挑む脚本家や制作担当者なら、多かれ少なかれセオリーは学ぶはずだ。が、「ちむどんどん」はなぜか「勉強してつくりました」感が強い。暢子(黒島結菜)というヒロインの人物像がそもそもそうだ。何度も書いているが、朝ドラのヒロインはみな「何者かになりたい」女子だ。すぐに道が見つかるか見つからないか違いはあるが、「何者か」に向けて歩く。
暢子もそうだ。が、どうにも単純だ。高校の文化祭で料理が喜ばれると「東京に行って、コックさんになりたい」、自分の結婚式で出した沖縄料理が好評だと「沖縄料理のお店を開きます」。突然、大勢の前で宣言する。朝ドラですから何者かを目指させます、元気に宣言させます、何か問題ありますか? そう言われているようで、返答に窮する。
まあヒロイン像は幅広くていい。暢子の単純さもありとしよう。が、「戦争」の描き方になると、それはちょっと別な気がする。学びました、これでいいですよね。そう感じさせるのは、違うように思う。
主要登場人物たちと戦争の関係が一挙に描かれたのは7月18日からの第15週で、評価する声もあった。だけど私の中で動いたのは、心でなく脳。感動せず、分析してしまった。暢子の父・賢三(大森南朋)の戦争体験が、過去の名作朝ドラを思い出させた。学んでもいい。が、学んだだけでは困る。そんな困惑がいまも残っている。
賢三は暢子が小学生の時に亡くなっているから、彼の体験は主に妻・優子(仲間由紀恵)の言葉と回想シーンで描かれた。賢三は中国に出征した、戦後は戦地の話はほとんどしなかった。そんな説明をする優子の台詞にこうあった。
「ただ一度だけ、すごく後悔してることがあると言ってた。まくとぅそーけーなんくるないさー。自分が正しいと思うことを守れなかったことを、すごく悔やんでいたと思う。帰ってきたばかりの頃は、寝ている時、『ごめんなさい、ごめんなさい』と、うなされていたからね」
「まくとぅそーけーなんくるないさー」を説明する台詞はなかったので、ここでもそのままにさせていただく。次に回想シーンになった。朝、太陽の方を向いて賢三が頭を下げている。横には暢子と姉と妹。兄が横から「父ちゃん、毎朝、何をお祈りしてるわけ?」と尋ねる。「お願いしたいことと、謝らないといけないことがあるわけさ」と答えた。
中国で何かがあったから「ごめんなさい」とうなされ、おてんとうさまに謝っている。これは、日本軍による「加害」の示唆だろう。そう思いながら見ていると、賢三の叔母・房子(原田美枝子)が戦争を語るシーンに変わった。
房子は暢子の大叔母であり、暢子の修業した銀座の一流レストランのオーナーだ。偶然が重なりまくって巡り合ったのだが、その話は書かない。房子は空襲で生き別れた妹を探しながら、鶴見の闇市で屋台を開いていた。そこにやってきたのが、中国から帰った賢三。戦前の賢三を知る房子は、「明るかった賢三が、まるで別人。笑わない男になっていた」と語る。その台詞で、勝手に確信した。「カーネーション」を学んだな、と。
ここから少し、「カーネーション」の話をさせていただく。コシノ3姉妹を育てた小篠綾子をモデルに、岸和田の呉服店に生まれた糸子の生涯を描いた朝ドラだ。放送は2011年度下期、脚本は渡辺あや、ヒロイン糸子を演じたのは尾野真千子。私は「歴代ナンバーワン朝ドラは?」と聞かれたら「カーネーション」と答える。朝ドラ評を最初に書いたのも「カーネーション」だった。
13年、とある政治家が従軍慰安婦について語ったことがきっかけだった。戦争という極限状態の中で、そういう制度が必要なことは誰でもわかる。飛ぶ鳥を落とす勢いの政治家が、そう語った。全然わかりません、と思いつつ、「カーネーション」に登場した勘助のことを伝えたくなり、論座に書かせてもらった。
勘助は糸子の尋常小学校の同級生。糸子の表現を借りれば「ヘタレ」だ。優しくて、中学卒業後に勤めた一流の紡績会社はすぐに辞め、近所の和菓子屋で店番をしている。嫌々出征し、4年後に帰ってきた。明るさが消え、呆けたようになっている。手も足も残ったが、「肝心なものをなくした」と糸子に言う。「心や」、と。終戦の1年前に再び赤紙が来る。糸子に会う資格をなくした自分だが「それもやっと、しまいや」と言って出征、1カ月後の葬列が映った。
それで勘助の話は終わったと思っていた。が、違った。糸子の後半生で、「戦後20年」が描かれた。勘助の母が入院していて、糸子が見舞う。待合室で見たテレビの話を、母が糸子にする。日本軍が戦地で何をしたかというテレビだった、自分はずっと勘助はひどい目に遭わされたと思っていた、だけど、違ったと言う。そしてこの台詞。「あの子は、やったんやな。あの子が、やったんや」。
驚いた。
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