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ソウルでの『熱海殺人事件』、ついに開幕

韓国で再び舞台演出を⑥

長谷川康夫 演出家・脚本家

いよいよ開幕、ソウルの『熱海』

 11月1日。夜7時半からの本番を前にして、音楽と照明のきっかけ稽古は朝から続いた。

 つかは何度となく演出席から舞台に駆け上がり、役者やスタッフに指示を飛ばす。通訳の言葉が待ちきれないらしく、日本語で次々とまくしたてるのだが、張り詰めた空気のせいか、役者やスッタッフも皆、なぜか理解しているようで、違和感なく指示通り動いた。

 結局、すべてが終わったのは客入れ直前の6時過ぎだった。役者たちはあわてて楽屋に引き返し、メイクなどの準備に入る。

 思えば、初日はいつもこんな風だった。毎回ギリギリまで準備は続き、バタバタのうち、気がつけば幕は開いていて、その勢いのまま芝居は終わるのだ。

拡大劇場には日本の関係者から多くの花が贈られた=1985年、ソウル・大学路
 ……などと、また感慨に耽っているうちにチャイムが鳴り、僕は決められていた席につく。客席は満杯とは言えないが、8割がた埋まっていた。

 すぐに流れ出したのは韓国国歌だった。演劇でも映画でも、この国では必ず上演前に歌付きの国歌が流れるのだと、隣に座る蘭実が教えてくれる。本来、客は斉唱することになっているという。僕は大相撲の千秋楽を思い出し、周りを見渡したが、さすがに歌っている人間は一人もいなかった。こうした国歌の演奏は数年後には無くなったようだ。

 韓国国歌に続くように、『熱海殺人事件』のオープニングテーマとも言うべき、チャイコフスキーの『白鳥の湖』が流れ始め、客席が暗くなっていく。闇の中、音は次第に大きくなり、繰り返されるフレーズが劇場を震わすほどのボリュームに達したところで、いよいよ『熱い海』はソウル初演の幕を上げた。


筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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