『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』をめぐって
2022年09月06日
「陰謀論」に騙されてばかりの恥多き人生を送っております。
騙されまいとするあまり、今では常識になった事件の情報提供を、陰謀論だと一笑に付してしまった数年前の大失敗もあります。
ただ漫画編集者になった現在では、この陰謀論、もっといじりたいんですよね。通貨発行権と財閥支配をめぐる陰謀論をエンタメに仕上げた傑作『望郷太郎』(山田芳裕著、講談社)を担当している身としては、もっと陰謀論を知りたい、我々がなぜ騙されるのか分かりたい、という欲が止まりません。
そこで今回の「神保町の匠」では、世界各地で諜報の現場を取材してきている国際ジャーナリスト、山田敏弘さんに、「陰謀論の現場でいま起きていること」を教えてもらうことにしました。
──山田さんの新著『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(文春新書)、面白く読みました! タイトルには出ていませんが、主人公の一人はトランプだったのですね。まさに陰謀論の世界の中でずっと生きてるお金持ちおじさん。
山田 ええ、2016年のアメリカ大統領選挙では、トランプの勝因のひとつに「ディープステート」という陰謀論がありました。
山田 アメリカは政権交代のたびに政府職員が入れ替わりますが、もちろん情報機関、軍、あと国務省などの人は替わらないわけですよ。だから彼らがエスタブリッシュメントと言われ、国の方向性を裏で全部決めている、と思われている。ここに「ディープステート」つまり「深い、政府の中のもうひとつの政府」がある、というわけです。
──日本の「上級国民」みたいなものですか。
山田 そうですね。トランプ周辺に言わせると、そこはみんな民主党だと。トップにはオバマ、クリントンといった面々がいて、ワシントンDCにあるピザ屋さんの地下に小児性愛の売春組織をつくっていて、そこに出入りしている、とまでいうのです。
──それで関係ないピザ屋が襲われたりしたんですか。
山田 そうです。でもこうした事件を煽動したとしてトランプが批判されると、それも全部ディープステートの陰謀だ、闘わねばならない、となる。こんな主張を大真面目に語る極右のラジオ番組が人気を博して、多くの人たちが、車の中で聞きまくって洗脳されてしまった。
──でもトランプは4年間も大統領をやったんだから、その間にディープステートを打倒しちゃえばいいじゃないですか。
山田 ところがトランプは政権に入ってむちゃくちゃなことをするので、当然のように現場から抵抗されたわけです。大統領に情報を上げたらひどいことになるので実際には上げなかった、という人から僕も直接話を聞いたことがあります。たとえばトランプは、中国の習近平・国家主席と初めて首脳会談をしたときに、チョコレートケーキを褒めながら、「いやあ、さっきシリアに59発の爆撃をしてね」といきなり機密をバラしてしまった。こんな人に、北朝鮮のホットな情報を届けたら大変なことになってしまいますよね。
──なるほど、事実として政府機関の中に、トランプのやることを妨害している人たちがいた。それをトランプに言わせると、ディープステートが大統領に抵抗しているからだ、となる。
山田 はい。ですが、それは大統領がトランプであったからで、ディープステートが暗躍したからじゃないですよね。そこに陰謀論者たちが言ってるような、小児性愛とかそういう話は出てこない。
──でも民主党のパトロンだった大富豪のジェフリー・エプスタインが、自分の島で仲間たちと小児性愛の宴にふけっていた、っていう話だってあるじゃないですか。
山田 そうなんですよね。多くの有力者が彼との付き合いを否定できなかった。
──エプスタインによる性被害に遭った女性の証言もありますよ。
山田 ただ、エプスタイン自身が獄中で自殺したことで、詳細なところは確定しづらくなってしまいました。
──あれはやはり口封じの殺人では……という感じに、つい陰謀論を信じたくなるんですけれど。
山田 いいえ、自殺という結論が出ています。『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社、2013年)を書くにあたって、アメリカの検視局という組織をたくさん取材しましたから。エプスタインが死んだニューヨークのような都会では、検視局は警察より立場が上の独立した機関として、外部からの影響を完全に排除して検視している。何者かの圧力で自殺という検死結果が捏造された、なんてことは起きようがないのです。
──なるほど。刑務所での死みたいな重大案件では、陰謀論が起きづらいように透明性を出しているんですね。
山田 ええ。アメリカの検視局では、解剖した所見を誰でも手に入れられます。僕も取材時に、マリリン・モンローも、ロバート・ケネディも、ジョン・ベルーシも、ジャニス・ジョプリンも、みんな解剖所見を手に入れました。いまでも全部閲覧できますよ。
──へえ。ではJFKは?
山田 ジョン・F・ケネディの件は、法医学界では「ダラスの失敗」と言われています。テキサスで殺されたのに、大統領だからっていうことで、わざわざワシントンDCまで持って行って法医学に素人の軍医が解剖したんです。その結果、どこから撃たれたのかとか、証拠がめちゃくちゃになっちゃった。そのせいで彼の死については、解剖所見に陰謀論をきっぱり否定できる要素を書き込めなかったのです。
──なるほど。誤解を恐れずに言えば、オズワルドが撃って殺したとされる話を、ややこしい解釈の余地を残してしまったのが「ダラスの失敗」ということなのですね。
山田 そうです。その理由は、法医学者が現場で司法解剖をしっかりやれなかった、ということなんですよね。
──日本の安倍晋三さんの件はどうですか。発見されない弾があったということで、現場に近いビルの屋上にスナイパー小屋があった、みたいな陰謀論が生まれたようですが。
山田 弾があれば「100%違います」って言えるんでしょうけど、普通に貫通してどこかに行っちゃったので……。だからそれを根拠にして、トランプ支持者と同じように陰謀論を主張する人が出てきてしまう。ただカメラが完全に現場を映しているので、それをなかったことにして主張するのは、普通に考えたらあり得ないですよね。
──では、安倍さんの件をきっかけに噴出した旧統一教会(世界平和統一家庭連合)をめぐる話題はどうでしょう。
山田 それは陰謀論とは言いづらい話も多いですよ。アメリカでは、ニクソン大統領時代から統一教会は共和党と親密な関係を築いてきました。
──統一教会は新聞も持ってるんですよね?
山田 ワシントン・タイムズですね。CIA関係者でも読んでいる人がいました。旦那さんはワシントン・ポストで、奥さんがワシントン・タイムズっていう夫婦もいましたし。1982年にワシントン・タイムズが発刊されたときは、ワシントンと周辺にはそれまで中道・左派系のワシントン・ポストしかなかったところに、保守系の論陣を張る新聞ということで存在感を出すことができたんです。
──はあ、ポジションを取るのが上手というか、商才があるんですね。
山田 ええ、その資金源は日本で苦しめられた人たちなんですが。また、アメリカにある中級から高級の寿司屋さんの7~8割は、統一教会系の業者から魚を卸してもらっていると言われています。
──「アメリカの寿司屋の大半は韓国系だ」っていう話は、陰謀論じゃなかったんですね。
山田 シカゴ・トリビューンは過去に「アメリカで高級寿司を1カン食うたびに統一教会が潤っている」という記事を出しています。トランプに至るまで、統一教会が共和党と密接な関係を築いたままであるのも事実です。
──それが陰謀論ではない証拠はあるのですか。
山田 文鮮明が2012年に亡くなったあとに、妻や娘、7男たちが後継問題で揉めました。最近だって、トランプ支持者による2021年1月の連邦議会襲撃事件のときには、その7男が襲撃した人たちの中にいましたよ。
──なんと。
山田 文鮮明はイラク戦争のとき、ブッシュ大統領にやめたほうがいいと進言したという趣旨のエピソードを残しました。その進言が事実ならば、一宗教団体のトップが現役の大統領、しかも9・11の直後という大変な時に直接やりとりできて、進言できたということになります。そういう影響力がずっと続いてきたんでしょうね。
──それでイラク戦争をやめていたら、統一教会が世界平和に貢献した事例になっていたかも。
山田 本当ですよね。ですが、アメリカの社会の教科書を見ても、統一教会は「カルト」であると名指しされています。宗教に対して寛容なお国柄ですから、大きな問題にはなっていないのですが。
──それどころか、統一教会と政権中枢の人々が堂々と付き合っている。日本のワイドショーでもやってましたね。
山田 ここ1~2年の統一教会系のイベントに出ているアメリカの高官って、もうオールスターメンバーですよ。トランプ前大統領、ペンス前副大統領、ポンペオ前国務長官、エスパー前国防長官……。こんな人たちがスピーチしてくれるって、「どれだけの金が動いてんだ」って話です。ところが、アメリカではほぼ記事になっていないんですよ。
──日本で被害者を出していても、一応「キリスト教系団体」だから、あまり厳しく報じられないのでしょうか。
山田 そうなんですよね。だから結局、陰謀論を排除しても、裏でいろんなものが繋がってしまっているという現実もあるわけです。
──『プーチンと習近平』にも書かれていましたが、ウクライナの戦争でも、裏側でフェイクニュースが乱発されていたのですね。
山田 はい、ウクライナ発の情報にPR会社が大々的に介在していたことは、取材を通じて明らかになりました。表で私たちが見ているニュースは本当に表面的なものにすぎなかったわけです。たとえばつい最近、アメリカのバーンズCIA(中央情報局)長官とイギリスのムーアMI6(秘密情報部)長官が、同じイベントでそれぞれが時間差でスピーチをして、これまで自分の組織が発信していた「プーチンは異常だ」という論調を一変させました。どちらもプーチンは健康だ、精神状態も安定しているといった内容のことを語ったのです。
──えええ! 米英の情報機関トップが手のひら返しをするとは。開戦当初、さんざんプーチンの精神と肉体の状態がやばいって言いまくってたじゃないですか。
山田 そうなんですよ。それをひっくり返してきたんですよね。逆にプーチン側も「核兵器を使いません」って明言してみたりしている。彼らの発言の変遷を分析すると、今後、そう遠くない未来になんらかの合意はあるのではないか、と僕は見ています。
──手打ちの準備は進んでいて、前言を翻すことで観測気球をあげていると。
山田 要は、どっちが戦争に勝つか負けるかじゃないんです。交渉がないと戦争は終わらないので、米英はいまああいう発言でプーチンに交渉への水を向けている。頭が異常な人と合意するよりは、頭が異常じゃない人と合意した、というほうが体裁がいいわけですからね。
──なるほど。結局、ロシア側もアメリカ側も、少なくとも開戦当初に言っていたことはほとんど外れちゃったっていう。
山田 「プーチンはがんでもうすぐ死ぬ」と断言していた人もいましたね。多くの研究者の発言がズレていたことが分かってしまいました。確かなことは、プレイヤーは、やはりロシアと中国とNATO(北大西洋条約機構)だった、ということです。当事者のはずのウクライナは、武器が来なかったら一瞬で負けてしまうから、交渉の席に置かれたら妥協せざるを得ないでしょう。
──ゼレンスキーは強気の発言を続けていますが。
山田 でもアメリカはとっくにキーウの大使館を再開しています。日本も追随するでしょう。なので、もうロシアがキーウに攻めてくることはないっていう保障を得ていると思うんです。そのうえで、ゼレンスキーが妥協を強いられる交渉が進んでいるのではないでしょうか。
──2015年のミンスク合意が、よりロシア有利になって繰り返されるのですか。
山田 で、何年かしたらまた合意を破る。戦争に巻き込まれる人が本当に気の毒ですが、そんな繰り返しが起きそうですよね。
──なんてことだ。日本も対岸の火事と見ていられないでしょう。
山田 中国では習近平が10月の共産党大会で3期目の国家主席になるのは確実です。その先、4期目を狙うのであれば、台湾「解放」が視野に入ってくる。日本も対応する必要があるでしょうね。いま僕はCIAの成立過程を取材しているのですが、第二次世界大戦の記憶を残しておられる方に、今のうちに話を聞くことで、これからの戦争への備えができたら、という気持ちもあります。
──現実は陰謀論の先を行っているのですね。漫画も負けずにもっと先を描かないといけません。500年後の未来を描く『望郷太郎』という漫画の話をしていいですか。作者も同じ山田(芳裕)さんなんですけれど……。
山田 ここで宣伝をしてないで、続きは酒場でやりましょうよ。
──ならばここでは快作『プーチンと習近平』の宣伝にとどめておきます。では、漫画飲みにまいりますか!
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