メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

脚本家・黒澤明、「世界のクロサワ」もう一つの顔

寝ずに書いた修業時代、今も「現役」の魅力を語る展覧会

槙田寿文 黒澤明研究家

デビュー80年、脚本はいまも現役

 私は、国立映画アーカイブ(東京・京橋)で開催中の「脚本家 黒澤明」展に「企画協力」という形で参画している。映画監督・黒澤明が書いた「脚本」に焦点を絞り、新たな光を当てることを意図とした展覧会である。

拡大企画展「脚本家 黒澤明」の入り口=東京・京橋の国立映画アーカイブ
 脚本は映画の設計図と言われ、映画製作の全ての基本情報が含まれている。脚本に強度がなければ、作品には必ずその弱点が露呈する。近年、韓国の映画・ドラマが国際的に評価され、商業的にも大きな成功を収めているが、背景にあるのは、時間もお金も惜しまず才能ある脚本家を養成し、国際的に通用する世界観を構築してゆく脚本開発力だといわれている。日本は韓国に大きなリードをゆるして、やっと脚本の重要性を再確認し始めたように思える。

 黒澤の脚本ほど強度が高く、輝き続けているものは世界でも類がないであろう。世界に衝撃を与えた『羅生門』をはじめ、『七人の侍』『用心棒』はそれぞれハリウッドなどで複数回リメイクされ、米国の映画会社は『隠し砦の三悪人』『椿三十郎』『天国と地獄』等のリメイク権を獲得していた。数年前には、中国の映画会社が10本以上の未映画化脚本の映画化権を取得して話題になった。今年で製作70周年の名作『生きる』は、英国でカズオ・イシグロの脚本でリメイクされ、日本でも来春に公開される。

 黒澤はいまも世界を魅了する「現役の脚本家」なのである。

拡大黒澤明=1992年撮影

 初めて「脚本 黒澤明」とクレジットされた映画は1942年公開『青春の気流』(監督伏水修)である。今年は「脚本家デビュー80周年」にあたる。

 こう書くとまるで黒澤がかつて脚本家を目指していたかのような印象を与えてしまうが、もちろん本人は一貫して監督を志向していた。だが、師匠である山本嘉次郎の、監督になるには、まずシナリオを書けることが不可欠だという教えのもと、助監督に脚本修業に励んだ。

 本稿では、その時代を中心に、1942年の『姿三四郎』の脚本執筆(映画公開は翌年)までを中心に、「脚本家・黒澤明」を考察してみたい。

企画展「脚本家 黒澤明」
2022年11月27日まで(月曜と9月27日~10月2日休み)
国立映画アーカイブ展示室(東京都中央区京橋)
https://www.nfaj.go.jp/exhibition/akirakurosawascreenwriter2022/

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

槙田寿文

槙田寿文(まきた・としふみ) 黒澤明研究家

1959年北海道生まれ。黒澤明研究家。国立映画アーカイブで開催された「公開70周年記念 映画『羅生門』展」(2020年)、「旅する黒澤明」展(18年)、「生誕100年 映画監督 黒澤明」展(10年)への企画協力・資料提供をはじめ、TV番組『イノさんのトランク~黒澤明と本多猪四郎 知られざる絆~』(12年、NHK)の企画・監修、「国際ドストエフスキーシンポジウム」(18年、ブルガリア)や「ラモン・マグサイサイ賞『羅生門』シンポジウム」(21年、フィリピン)等での海外講演、黒澤明研究会誌への論考発表など多様な観点から黒澤明の研究活動を続けている。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです