メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

【公演評】ミュージカル『COLOR』

事実の重みを超える演劇としての豊かさを備えたオリジナルミュージカル

橘涼香 演劇ライター


 草木染作家・坪倉優介氏が自身の体験を綴った手記「記憶喪失になったぼくが見た世界」をベースに作られたオリジナルミュージカルの新作『COLOR』が、東京・新国立劇場 小劇場で上演中だ(25日まで。のち9月28日~10月2日大阪・サンケイホールブリーゼ、10月9日~10日愛知・ウインクあいちで上演)。

 この作品は、バイクとトラックの衝突事故によって、意識不明の重体となった青年が、集中治療室に入って10日後、奇跡的に目覚めるものの、両親や友人、自分自身のことだけでなく、食べる、眠るなどの感覚の、何もかもすべてを忘れていた、という坪倉氏自身が体験した実話をもとに、「お腹が空いたでしょう?」と出された白いご飯が「きらきら光るつぶつぶ」としか思えず、空腹感も満腹感もわからなかった“ぼく”が、如何にして目の前に立つ「オカアサン」という女性のことを、心から本当の「お母さん」と呼べるようになったのかをはじめとした、一歩、一歩、手探りで歩き続ける姿を通して、人を形成している「記憶」の意味や、生きていること、幸福の在り方が問いかけられていく、日本人が日本語で脚本、作詞、楽曲のすべてを一から立ち上げたオリジナルミュージカルだ。

ノンフィクションが演劇のフィクションとして成立していく

浦井健治(ぼく)、柚希礼音(母)、成河(大切な人たち)=田中亜紀 撮影拡大浦井健治(ぼく)、柚希礼音(母)、成河(大切な人たち)=田中亜紀 撮影

 舞台は人の心のなかや頭のなかの精神世界とも、頭上を覆う木々や、空ともとれる乘峯雅寛の印象的な装置と、そこに映し出される映像と共に進んでいく。

 登場人物は記憶をなくした“ぼく”=草太とその母、そして草太の体験手記を1冊の本にまとめて出版しようと考えた、この作品のストーリーテラーの役割も果たす編集者や草太の父など“大切な人たち”全てに扮する1人の俳優という、たった3人だけで演じられていく。彼らの言葉と、その延長線上で歌われる歌に寄り添い、時に先導するピアノとリズムセクションで構成される二人のミュージシャンが共に、約80分間ノンストップのステージを紡ぎ出すのだ。

 そんな世界観のなかで描かれていくのは、18年間のすべてがまっさらになってしまった青年が、歩き方から、目に入るもの一つひとつを覚え直していく、謂わば生き直していく物語だ。

成河(ぼく)、濱田めぐみ(母)、浦井健治(大切な人たち)=田中亜紀 撮影拡大成河(ぼく)、濱田めぐみ(母)、浦井健治(大切な人たち)=田中亜紀 撮影

 ある日目が覚めたら、突然全く知らない国の、全く知らない場所にいて、周りの人たちが理解できない言葉で話していたらどう思いますか?

 母が投げかけるそんな趣旨の言葉が、“ぼく”が置かれた状況を的確に表している。この作品に接するまで、「記憶喪失」と呼ばれる症状は、これまで数々の作品で取り上げられていたような、自分がどこの誰で、ここがどこなのかが思い出せない、というものだと寡聞にして思い込んでいた身としては、感情も知識も感覚も何もかもを忘れてしまうという状態は、とても想像すらできなかった。それだけに、舞台上の展開は時にシビアで、時に出口のない暗闇のなかのような様相も呈する。

浦井健治(ぼく)、柚希礼音(母)=田中亜紀 撮影拡大浦井健治(ぼく)、柚希礼音(母)=田中亜紀 撮影

 「どうして人間は3度ご飯を食べるのか」「どうして夜には眠るのか」「どうして生きていかなければいけないのか」、“ぼく”の感じる「どうして」は、言われてみてもこと改めて考えたことがないほど哲学的で、“母”が容易には答えられないのもよくわかる。それでも“ぼく”はそれをいま知りたい。なぜならなにもかもがわからないからだ。理解することで、この暗闇に少しでも灯りがともり記憶を取り戻せる、そんなよすがになるかもしれないとの切実な衝動が、“ぼく”を突き動かしていて、やりとりの何もかもが痛いようだ。しかもこれがフィクションではなく、実話に基づいていることが切迫感を増幅させる。

 親子の絆って素晴らしいね、人間って逞しいね、どんな悪いことからも幸福って見出せるんだね、そんな「美しい感動」にだけ浸ってカタルシスを得ることが、許されていないと思ってしまう。ある意味で逃げ場がない。観ていてそんな息苦しさに襲われた時間がないと言ったら嘘になる。

成河(ぼく)、濱田めぐみ(母)=田中亜紀 撮影拡大成河(ぼく)、濱田めぐみ(母)=田中亜紀 撮影

 それでも、この3人で演じられるミュージカルからは、とてもシンプルな「演劇の豊かさ」と「演劇を観る喜び」があふれ出ていて、いつかこの物語が実話であることや、登場する人物たちが、現在進行形の人生を今日も生き、そこになにがしかの結論を見出してしまうことの一種の残酷さから、こちらの感性をすくい上げてくれる。つまりは、演劇としての作品の抜群の面白さが、登場する人たちの置かれた状況や、事実の重さというノンフィクションを、自由に感じていい、楽しんでいいフィクションへと変換している。ここにこの作品が舞台化されたこと、オリジナルミュージカルとして生まれ出たことのすばらしさが詰まっている。

日本語による、日本語のためのミュージカルの静かな輝き

浦井健治(ぼく)=田中亜紀 撮影拡大浦井健治(ぼく)=田中亜紀 撮影

 その「演劇の豊かさと喜び」を支えたのが、原作の多くのエピソードから80分という凝縮された時間のなかに、“ぼく”“母”“大切な人たち”が歩んだ長い年月を落とし込んだ高橋知伽江の脚本と、文字通り語るような歌で構成される、言葉を大切に、大切に音に乗せた植村花菜の楽曲が織りなした、日本語による日本語のためのミュージカルの静謐で、すべらかで柔軟なクリエーションだ。実際に、この作品の言葉、この作品の音楽には、もちろん思いを歌い上げる楽曲もあるものの、そこに誤解を恐れずに言えば、歌唱力を云々する、所謂歌が上手い、そうではない、という評価をさしはさむ意味を感じない。

 キャストは “ぼく”浦井健治ד母”柚希礼音ד大切な人たち”成河の組み合わせと、“ぼく”成河ד母”濱田めぐみד大切な人たち”浦井健治の組み合わせの、固定された2バージョンがある。しかもそれぞれがびっくりするほど質感も違い、演じ方もすべてと言っていいほど異なり、驚きと発見の連続にワクワクさせられるが、同時に例えば「あぁ、ここは〇〇さんの声が伸びやかで聞きごたえがあるなぁ」というような意味での比較とは、全く無縁の感覚がある。それほど楽曲が台詞と一体化していて、どんな歌い方も、どんな表現もこの人の“ぼく”の、この人の“母”の心なのだと感じられるのだ。

成河(ぼく)=田中亜紀 撮影拡大成河(ぼく)=田中亜紀 撮影

 つまり、所謂ショーストップの喝采、この名曲を聴けただけでもう今日はいいよね、というそもそもオペラから出発した「ミュージカル」の醍醐味とは全く違うところに作品が位置している。このことが、日本のオリジナルミュージカルが新たに立ち上がる、胎動の最中にいる興奮をもたらしてくれるし、それでいてちゃんとメロディーが耳に残り、口ずさめるのにしみじみと感嘆した。

◆公演情報◆
新作ミュージカル『COLOR』
2022月9月5日(月)~25日(日) 新国立劇場 小劇場
2022年9月28日(水)~10月2日(日)  サンケイホールブリーゼ
2022年10月9日(日)~10日(月・祝)  ウインクあいち
公式ホームページ
[スタッフ]
原作:坪倉優介「記憶喪失になったぼくが見た世界」
音楽・歌詞:植村花菜
脚本・歌詞:高橋知伽江
演出:小山ゆうな
[出演]
浦井健治、成河、濱田めぐみ、柚希礼音(五十音順)

・・・ログインして読む
(残り:約2916文字/本文:約6054文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

橘涼香

橘涼香(たちばな・すずか) 演劇ライター

埼玉県生まれ。音楽大学ピアノ専攻出身でピアノ講師を務めながら、幼い頃からどっぷりハマっていた演劇愛を書き綴ったレビュー投稿が採用されたのをきっかけに演劇ライターに。途中今はなきパレット文庫の新人賞に引っかかり、小説書きに方向転換するも鬱病を発症して頓挫。長いブランクを経て社会復帰できたのは一重に演劇が、ライブの素晴らしさが力をくれた故。今はそんなライブ全般の楽しさ、素晴らしさを一人でも多くの方にお伝えしたい!との想いで公演レビュー、キャストインタビュー等を執筆している。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

橘涼香の記事

もっと見る