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ジャン=リュック・ゴダールが亡くなって、私はようやく呪縛から解放された

人類最高の表現手段として映画を構想したゴダール

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

10年に一度くらいのびっくりするような変貌

 2つ目は、ゴダールだけが10年に一度くらいびっくりするような変貌を遂げたことである。もちろん多くの巨匠も年月と共に作品は変化するが、なかなか若い頃の映画を超えることは難しい。

 ゴダールの場合、1959年にデビューして以来、『女と男のいる舗道』(62年)や『軽蔑』(63年)、『気狂いピエロ』(65年)など、都会に生きる若者たちの愛と苦悩と逃走を鮮烈に、そして自由に描いてきた。ところが『中国女』(67年)から、突然、ベトナム戦争や革命、共産主義、毛沢東などについての議論ばかりが続く政治の映画になった。そしてしまいには「ジガ・ヴェルトフ集団」を作って完全に商業映画と縁を切ってしまった。

シネ・ヴィヴァン六本木の第一回作品『パッション』のパンフ拡大シネ・ヴィヴァン六本木の第1回上映作品『パッション』のパンフレット=筆者提供
 そして『勝手に逃げろ/人生』(80年)で再び商業映画に復帰した。この映画は日本では1995年まで公開されなかったが、次の『パッション』(82年)は西武百貨店が初めて手がけた映画館「シネ・ヴィヴァン六本木」のオープニング作品として翌年公開された。

 当時福岡の大学生だった私はわざわざ東京に見に行き、その音と映像の大胆な組み合わせに驚嘆した。映画を超えて美術や音楽や政治の最先端が詰まっているように思った私は、この映画を何度も見た。私の中で、映画のみならず美術や音楽をまたぐ美学のようなものは、この映画で作られたと言っても過言ではない。

 そして1988年から断続的に発表され、98年に4時間28分の作品としてまとめて発表された『ゴダールの映画史』にまた驚くことになる。古今東西の映画を数百本も「引用」するのみならず、文学や哲学や音楽、絵画にも触れながら進めてゆくゴダールのナレーションは、何度見てもよくわからないが、なぜか見ていると心地よかった。

 そして、2014年の『さらば、愛の言葉よ』で3Dを使い、まるで犬の視点から見たようなけばけばしい映像を見せた。それまでの3D映画とは異なる斬新な使い方に舌を巻いた。

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筆者

古賀太

古賀太(こが・ふとし) 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

1961年生まれ。国際交流基金勤務後、朝日新聞社の文化事業部企画委員や文化部記者を経て、2009年より日本大学芸術学部映画学科教授。専門は映画史と映画ビジネス。訳書に『魔術師メリエス――映画の世紀を開いたわが祖父の生涯』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著、フィルムアート社)、共著に『日本映画史叢書15 日本映画の誕生』(岩本憲児編、森話社)など。個人ブログ「そして、人生も映画も続く」をほぼ毎日更新中。http://images2.cocolog-nifty.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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