三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授
大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
議論は出尽くしたようだ。安倍元首相の葬儀をめぐっての、「やるべき派」と「やるべきでない派」がそれぞれ掲げる理由のことだ。
代表的な議論ないし根拠を四つずつあげてみよう。
まずは「やるべき派」ないし「やりたい派」の論拠から。
第一に、安倍氏は、憲政史上最長の首相在任期間を誇るからとされる。第二にあげられるのは、内政においては経済を立て直し、外交においても各国首脳との長く深い交流によって功績をあげたというものだ。第三には、選挙演説中に安倍氏に向かって放たれた凶弾に対抗して、つまりは政治テロに断固対抗して、日本の民主主義を守る必要があるとされる。第四には、死の直後に諸外国の首相や元首から寄せられた数多くの弔意に礼節をもって応える必要がある。そして、弔問外交によってこの機会を日本の未来に生かす、という論拠だ。
それに対して、「やるべきでない派」「やらせたくない派」の言い分はこうだ。
第一に、現行の日本国憲法下では国葬を行う法的根拠がない。国葬についての戦前の規定は戦後の新しい国家の出発の際に失効している。第二に、安倍首相の政治は国内に分裂と対立をもたらし、外交上の成果も見るべきものがないどころか、日本を危険に晒すものが多い、という主張だ。第三には、国葬によって学校その他で半旗等による弔意を示すのは、個人の内面への強制であるとともに、なんびとも法の下に平等であるという憲法の基本に反するばかりか、葬儀に税金を使うのは不平等ではないか。それでは、民主主義の政治における人権と財政の基本に抵触するではないか、というものだ。第四には、各国首脳からの弔意は外交儀礼上当然のことであって、弔問外交でさしたる成果が上がるとも思えない、というものだ。
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