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安倍元首相「国葬」という空疎な栄誉──自然発生的な弔意こそが本物の名声

三島憲一 大阪大学名誉教授

 議論は出尽くしたようだ。安倍元首相の葬儀をめぐっての、「やるべき派」と「やるべきでない派」がそれぞれ掲げる理由のことだ。

 代表的な議論ないし根拠を四つずつあげてみよう。

 まずは「やるべき派」ないし「やりたい派」の論拠から。

 第一に、安倍氏は、憲政史上最長の首相在任期間を誇るからとされる。第二にあげられるのは、内政においては経済を立て直し、外交においても各国首脳との長く深い交流によって功績をあげたというものだ。第三には、選挙演説中に安倍氏に向かって放たれた凶弾に対抗して、つまりは政治テロに断固対抗して、日本の民主主義を守る必要があるとされる。第四には、死の直後に諸外国の首相や元首から寄せられた数多くの弔意に礼節をもって応える必要がある。そして、弔問外交によってこの機会を日本の未来に生かす、という論拠だ。

vector_brothersvector_brothers/Shutterstock.com

 それに対して、「やるべきでない派」「やらせたくない派」の言い分はこうだ。

 第一に、現行の日本国憲法下では国葬を行う法的根拠がない。国葬についての戦前の規定は戦後の新しい国家の出発の際に失効している。第二に、安倍首相の政治は国内に分裂と対立をもたらし、外交上の成果も見るべきものがないどころか、日本を危険に晒すものが多い、という主張だ。第三には、国葬によって学校その他で半旗等による弔意を示すのは、個人の内面への強制であるとともに、なんびとも法の下に平等であるという憲法の基本に反するばかりか、葬儀に税金を使うのは不平等ではないか。それでは、民主主義の政治における人権と財政の基本に抵触するではないか、というものだ。第四には、各国首脳からの弔意は外交儀礼上当然のことであって、弔問外交でさしたる成果が上がるとも思えない、というものだ。

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「理屈じゃねえ」と、どうしても国葬をやりたい人々

 それでは、現代社会で共有されている政治的常識に従うならば、どちらが筋が通っていると思われるだろうか?

 暗殺された原敬は、在任期間こそ3年と短かったが、はじめての「平民宰相」として、それこそ憲政史上、安倍氏より重要と見る人が多いはずだ。それにやはり法的根拠がないのは、まずいだろう。国家行事としての葬儀が比較的多いドイツでは、大統領が発議し、連邦議会その他の憲法で規定された三権の諸機関の承認が必要と法律で定められている。

 民主主義をめぐる議論はどうだろう。選挙演説中の暗殺はたしかに言論封殺だ。その意味では民主主義に対する正面攻撃だ。だが、次第に明らかになってきた背景を考えれば、私的怨念による復讐の一発だった。怨念を引き起こしたのは、宗教団体を隠れ蓑にして事実上の献金強要を生業とする反社会的な集団であり、この“暗黒世界”に安倍氏もコミットしていたようだ。民主主義への挑戦はむしろ安倍氏のほうだったかもしれない。マーチン・ルーサー・キング師への暗殺とは質が異なろう。

 だが、現実の利害の前には、理屈で負けてもそのことを認めない人々が、いやそれどころかますます頑なになる人々がいることも人生の知恵として知っておく必要があるだろう。「理屈じゃねえんだよ」、麻生太郎氏はこう言って岸田首相に国葬を迫り、「聞く耳」はそれを受け入れたとか。

「理屈じゃねえんだよ」と麻生太郎氏(右)は岸田首相を説得したという「理屈じゃねえんだよ」と麻生太郎氏(右)は岸田首相を説得したという

 「理屈じゃねえ」と、どうしてもやりたい人々がそれなりに多くいる事態は、国家や企業が与えてくれる名誉を嬉しがっている人々が民主主義社会でもきわめて多いことを物語っている。そこまでいかなくても、葬式に、故人が勤めていた、もしくは喪主が勤めている会社の社長や業界団体のトップからの、あるいは、国会議員からの弔電を嬉しがる人が多いこともたしかだ。本人はほとんど会ったこともない人からなのに。大きな会社では庶務課なるものがそうした「無駄な」事務をしているようで、これがなくなるだけでも、「合理化」に役立つだろう。

 今、必要なのは、こうした傾向そのものを無化する議論だ。国家の与える栄誉をお手盛りで調達する輩はどこの国でもいるが、民主主義に天皇制が深く組み込まれている日本では特に多そうだ。名誉欲や格式思考に駆りたてられて力ずくで強引に大葬儀をやってなにになるのだろう。

強制による儀礼の押しつけでは魂の救いは得られない

 ここで思い出されるのは、イギリス17世紀の政治思想家ジョン・ロック(1632─1704)の『寛容に関する書簡』(1689)だ。宗教戦争が荒れ狂った時代を受けて書かれたこの論の中心的考えはこうだ。同じキリスト教の宗派同士の戦争で勝った方は、負けた側に自分たちの宗派を押しつけている。礼拝のやり方も違うので、自分たちの礼拝儀式や祈りの文句を強要している。

 だが、とロックは問う。どちらの宗派にとっても重要なのは霊魂の救いではなかろうか、と。負けた側が、心の中では反発しながらやむをえず勝った側の儀礼に従ったとしたら、その魂に救いはないのではなかろうか。嘘をついて従っているのだから、神に義とされるわけはない。宗教戦争の両側にとって一番重要な価値を、つまり魂の救済を勝った側の儀礼に従うことで得られるだろうか?

 つまり、力や強制ではなにも得られないではないか。だから宗教に関しては寛容になるに越したことはない、と。ロックは「おたがいに両派がよく話し合うように」などという「対話のすすめ」を欺瞞的に説くことはない。そうではなく、「皆さんがたいせつにしている目標は皆さんのやり方では得られませんよ」と考え方の転換を説いた。

 この議論も継承しながら「正義の圏域 spheres of justice」(翻訳書では『正義の領分』)という考え方を展開したのが、アメリカの政治哲学者マイケル・ウォルツァー(1935~)だ。彼の考えはきわめて単純だが、なるほどと思わせるものがある。

 例えば、愛と権力、愛と金銭だ。この二つ、いや三つはそれぞれ言ってみれば担当圏域が異なる。思いを寄せている女性をなんとか手に入れようと

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