[9]なぜ3人は、危機にあった『いいとも!』の救世主的存在になれたのか
2022年09月29日
前回、『笑っていいとも!』の多彩、かつユニークなレギュラー出演者についてみたが、そのなかでレギュラー期間の長かった出演者として、中居正広、香取慎吾、草彅剛というSMAPの3人の名を挙げた。今回は、3人が番組に残した足跡をたどりながら、彼らが『いいとも!』の歴史において果たした重要な役割について考えてみたい。
お昼を代表する番組としてずっと安泰だったように思える『いいとも!』だが、約32年の放送期間のあいだに裏番組との競争、それに伴う試練がなかったわけではない。
1987年には、『午後は○○(まるまる)おもいっきりテレビ』(日本テレビ系)が同じ12時台にスタート。当初は試行錯誤を繰り返し、視聴率も芳しくなかった。ところが1989年4月にみのもんたが総合司会に就任し、生活情報の紹介を主体にした番組内容に衣替えすると、スタジオ観覧の女性を年齢に関係なく「お嬢さん」と呼んだりするみのの独特の司会や独自の健康・食品情報などが評判になり、視聴率が上昇し始めた。そしてとうとう1990年代前半には平均視聴率を二桁に乗せ、『いいとも!』を上回る日も出てくるようになる。
この『おもいっきりテレビ』は主婦層を主なターゲットにした番組であり、その意味では若い視聴者が主体の『いいとも!』とは被らない。ただ、そうした状況の変化のなかで、同じバラエティでも『いいとも!』の裏に新番組をぶつけるテレビ局が出てくる。
1994年10月に始まった『まっ昼ま王!!』(テレビ朝日系)は、そうした番組のひとつである。曜日ごとのレギュラーがいて、日替わり企画があるところは『いいとも!』に似た構成でもあった。しかし、視聴率が伸びず、結局わずか半年で終了してしまう。
だが番組は返り討ちにされた。高須は、その理由を「中居くんをはじめとする、SMAPのみんな」の存在に求める。そして、「彼らがいなかったらとっくの昔に、『笑っていいとも!』は終わってるんじゃないかなぁ」と述懐する(『高須光聖オフィシャルホームページ 御影屋』より)。
では、なぜSMAPは、危機にあった『いいとも!』の救世主的存在になれたのか?
まず確認しておきたいのは、SMAPの3人が『いいとも!』のレギュラーになったのは、彼らを代表するバラエティ番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)がまだ始まる前だったということである。
『SMAP×SMAP』の放送開始は1996年4月。それに対し、中居正広と香取慎吾のレギュラー就任は1994年4月、草彅剛が同じく1995年10月と、それよりも前になる(当時、SMAPにおいては、この3人がいわゆる「バラエティ班」で、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行が「ドラマ班」という大まかな路線の違いがあった)。すなわち、押しも押されもせぬ「国民的アイドル」だったからというよりは、若手芸人などと同様に“旬”の存在として起用されたと言える。
実際、当時のSMAPは、バラエティの世界で着々とステップアップしていた。
1991年にCDデビューしたSMAPだが、当初は曲が期待したほどには売れず、アイドルとして苦労していた。そのなかで活路として求めたのがバラエティ番組に本格的に取り組むことだった。いまでこそジャニーズアイドルがバラエティで活躍するのは見慣れた光景になっているが、それはSMAPがそのような道を開拓したからにほかならない。
特にフジテレビは、SMAPのバラエティの才能を大きく開花させたテレビ局だった。
まず、森且行が在籍した6人時代の『夢がMORI MORI』(フジテレビ系、1992年放送開始)があった。そのなかの「音松くん」は、SMAPが6人兄弟に扮したコント。お揃いのウイッグにメンバーカラーに合わせた学生服を着て演じる姿が話題を集め、SMAPが広く世に知られるきっかけになった。
同時にそこにはひとりのスタッフとの出会いがあった。
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