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SMAP中居正広、香取慎吾、草彅剛が『笑っていいとも!』に果たした役割

[9]なぜ3人は、危機にあった『いいとも!』の救世主的存在になれたのか

太田省一 社会学者

 前回、『笑っていいとも!』の多彩、かつユニークなレギュラー出演者についてみたが、そのなかでレギュラー期間の長かった出演者として、中居正広、香取慎吾、草彅剛というSMAPの3人の名を挙げた。今回は、3人が番組に残した足跡をたどりながら、彼らが『いいとも!』の歴史において果たした重要な役割について考えてみたい。

『笑っていいとも!』の個性的なレギュラー出演者たち

『いいとも!』が迎えた危機

 お昼を代表する番組としてずっと安泰だったように思える『いいとも!』だが、約32年の放送期間のあいだに裏番組との競争、それに伴う試練がなかったわけではない。

 1987年には、『午後は○○(まるまる)おもいっきりテレビ』(日本テレビ系)が同じ12時台にスタート。当初は試行錯誤を繰り返し、視聴率も芳しくなかった。ところが1989年4月にみのもんたが総合司会に就任し、生活情報の紹介を主体にした番組内容に衣替えすると、スタジオ観覧の女性を年齢に関係なく「お嬢さん」と呼んだりするみのの独特の司会や独自の健康・食品情報などが評判になり、視聴率が上昇し始めた。そしてとうとう1990年代前半には平均視聴率を二桁に乗せ、『いいとも!』を上回る日も出てくるようになる。

 この『おもいっきりテレビ』は主婦層を主なターゲットにした番組であり、その意味では若い視聴者が主体の『いいとも!』とは被らない。ただ、そうした状況の変化のなかで、同じバラエティでも『いいとも!』の裏に新番組をぶつけるテレビ局が出てくる。

 1994年10月に始まった『まっ昼ま王!!』(テレビ朝日系)は、そうした番組のひとつである。曜日ごとのレギュラーがいて、日替わり企画があるところは『いいとも!』に似た構成でもあった。しかし、視聴率が伸びず、結局わずか半年で終了してしまう。

放送作家の高須光聖拡大放送作家の高須光聖
 この番組の構成作家のひとりだった高須光聖の回想によれば、『いいとも!』の勢いが衰えてきたことを受けて、その当時『まっ昼ま王!!』のスタッフは「いいともを食いにかかるぞ」と意気盛んだったという。

 だが番組は返り討ちにされた。高須は、その理由を「中居くんをはじめとする、SMAPのみんな」の存在に求める。そして、「彼らがいなかったらとっくの昔に、『笑っていいとも!』は終わってるんじゃないかなぁ」と述懐する(『高須光聖オフィシャルホームページ 御影屋』より)。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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