青木るえか(あおき・るえか) エッセイスト
1962年、東京生まれ東京育ち。エッセイスト。女子美術大学卒業。25歳から2年に1回引っ越しをする人生となる。現在は福岡在住。広島で出会ったホルモン天ぷらに耽溺中。とくに血肝のファン。著書に『定年がやってくる――妻の本音と夫の心得』(ちくま新書)、『主婦でスミマセン』(角川文庫)、『猫の品格』(文春新書)、『OSKを見にいけ!』(青弓社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
安倍さんの国葬における、菅前総理の弔辞が感動的だったと評判になった。
私はあれをリアルタイムで聞いていて、わりと何も思わずに聞き流してしまっていたので、その後にあれが「感動的な弔辞」と言われて、え? そうだったっけ? とあらためて全文を読み返し、映像も見直してみて、それでも個人的には何とも思わなかったけれど、「ああなるほど、こういうふうにすれば国民を感動させられるのか」ということは確認した。そして『ちむどんどん』について考えてしまったのである。
菅さんのあの弔辞の、どこが、見る者のツボをついたのか。わかりやすいところでいうと、「山県有朋」のくだりである。
安倍さんが岩波書店『山県有朋』(岡義武)を読んでいたというのは、なかなか絵になるセレクトである。故郷の先輩でもある、毀誉褒貶の大政治家を描いた本。途中まで読まれたそれが、主のいない議員会館の部屋にぽつんと残されている……。映像が浮かぶようで、さらにドラマチックだ。
しかし、それだけでは足りない。
そこで短歌が出てくる。山県有朋が伊藤博文を偲んで詠んだ歌。菅さんは2回繰り返してそれを読み上げた。
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
山県有朋には悪いがこの歌、いかにも石碑に刻まれそうな、典型的“政治家のつまらない(が、わかりやすい)歌”だと思う。
しかし、このつまらない歌を、菅さんが、首相の時にはさんざん文句を言われていたあの、感情の入らない、つまらなそうな声と口調で淡々と読み上げたら、なんかいい歌に聞こえてしまうという作用があった。あれが岸田首相によって読み上げられていたらもっと嘘っぽく、歌のダメさもよく伝わってしまっただろう。
私は、弔辞というのは、参列者の心を動かすことができるならば、どんな内容であってもいいと考えている。そしてこの弔辞はたくさんの人の心を動かしてしまったようで、その意味で「成功した弔辞」だ。その後、冷静な人がこの弔辞の文面のそこここにあるつっこみどころを今つっこんでいるという状態で、私もつっこみたいところはいっぱいあるが、ここで言いたいのはそのことではないので措いておく。
私が言いたいのは、『ちむどんどん』の話なのだ。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?