ロシアのウクライナ侵攻下、「戦争」を主体的にとらえ直す
2022年10月13日
連日報じられるウクライナの戦争を目の当たりにして、引き付けられるようにこの本『ぼくらの戦争なんだぜ』(高橋源一郎著、朝日新書)を手にした。敗戦から77年。戦場体験者はもちろん、戦時下を記憶する人も極めて少なくなってきた中で、戦争を知らない戦後世代の政治家たちによって、戦争をしない国から戦争ができる国へと舵が切られ、軍事予算も急増して軍事大国に向かいつつある昨今だからなおさらだ。
2013年12月、当時の安倍政権下で特定秘密保護法が強行採決され、翌14年7月1日には、歴代政権が維持してきた憲法解釈を変更し、閣議決定で集団的自衛権の行使を容認する。15年7月には、それに連動して安全保障関連法案も与党のみにより強行採決され、他国の戦争に参戦できるように法的整備もされた。さらに17年6月、戦前の治安維持法のように治安弾圧に使われるのではと危惧される「共謀罪」(組織的犯罪処罰法改正案)も強行採決される。
菅政権下でも、戦前の戦争協力への反省から軍事研究に消極的な日本学術会議会員に、政府の意向に批判的とされるメンバーの選任を拒否するなど、戦前回帰の様相が危惧され、「新たな戦前」が始まったともいわれている。
とはいえ、戦争を主体的にとらえ、身近に感じるというのは想像以上に難しい。そこで著者は、戦争を伝える「ことば」からアプローチする。
まず、鶴見俊輔の文章を手掛かりに、教科書の中にある「戦争のことば」を検証する。戦前の日本では「修身」の冒頭から忠君愛国と皇国民教育が徹底され、戦時下となると他の教科でも戦意高揚の話ばかり。ドイツやフランスの高校用歴史教科書や、韓国や中国の歴史教科書も読んでみて、これらに比べると日本の高校の歴史教科書は、受験勉強に役立つような知識を淡々と記述しているようでしかないとその違いを問う。
続いて、戦時下の1944年に発行された日本文学報国会編『詩集 大東亜』を読む。当時の日本の有名な詩人たち189人が参加し、序文を高村光太郎が書いている。「神国」「聖戦」「大君」「皇国」など「大きなことば」で戦意高揚を謳う。きわめて個人的な「小さなことば」で『智恵子抄』を書いた詩人とは思えない。
戦時下でも、この対極にあるような「小さなことば」で記された幻の詩集を見つける。太平洋戦争開戦前夜に中国大陸に出征した6人の兵士たちが、戦場で書いた詩を持ち帰り1941年に刊行した『野戦詩集』(山本和夫・編)だ。厳しい検閲の中で500部刊行したものの、実際には没収や焼却でほとんど世に出ることがなかった幻の詩集で、無名の詩人たちが戦場で紡いだ作品の「ことば」には、暗闇を照らす輝きがあると著者は高く評価する。
編者で書き手でもある山本和夫(1907~96)は、中学時代から詩を書き始め、同人誌に発表した評論が反戦的という嫌疑で逮捕されたこともあり、ウィキペデイアでは「戦時中は多くの戦意高揚の作品を書いた」とも紹介する。
著者は山本の「新戦場」という作品を取り上げ、この詩には「戦争」の匂いがほとんどしないし、中原中也や宮沢賢治のような「詩のことば」そのものの匂いがすると記す。『野戦詩集』の中の山本の詩を解説し、このような作品を書いた詩人は、戦争の時代をどのように生き、戦時下に書いた詩をどのように思っているのだろうと問いながらも、著者はその先については語っていない。
筆者が知るところによれば、山本は、陸軍士官として日中戦争に召集され、除隊後に『戦争』『山ゆかば―武漢攻略戦記―』などで注目され、『野戦詩集』を出版した41年には、童話集『大将の馬』『支那の子ども』を刊行している。42年には『戦場の月』や〈国民学校聖戦読本〉『パンポン高地』、44年には、〈少国民大東亜戦記・上級向〉『花咲くビルマ戦線』、軍国主義賛歌の『詩集 亜細亜の旗』を刊行するなど、大人気の子どもの本作家として戦時下に戦意高揚作品をたくさん書いているのだ。「小さなことば」の詩人が、「大きなことば」に呑み込まれていったのはなぜか。
それは、昭和の初年代に童話童謡雑誌「赤い鳥」に投稿して北原白秋や鈴木三重吉に見いだされ、戦時下にデビューする芸術派と呼ばれた子どもの本の作家たちにも共通するものだ。皇国民錬成と戦意高揚を謳った童謡集『さくら咲く國』『内原詩集 日輪兵舎の朝』や『春の神さま』『ヒカリノ子タチ』『ボクのミタ蒙古』『満州の燕』などおびただしい翼賛詩集や絵本を精力的に刊行した巽聖歌。『戦ふ兵隊蟻』『詩集 海の少年飛行兵』『伊勢参宮』などの他、『少国民のための大東亜戦争詩』を編纂した与田凖一。他にも、佐藤義美、小林純一などなど枚挙にいとまがない。
しかも、出版統制下にありながら、1930年代末から43年あたりまで、絵本や児童書の出版点数は急上昇している。それだけ子どもの本が、皇国民の錬成と戦意高揚のプロパガンダに有効活用されたのだ。
小さな子どもを対象にし「小さなことば」を愛しんできた子どもの本の作家たちが、戦争という大海の荒波の中で、「大東亜」「神国日本」「天皇」など「大きなことば」に収斂されていく。芸術派と呼ばれた高踏的で大衆離れした意識が、戦時下のナショナリズムと親和性が高かったのだろうか?
そして戦後は、そのことをすっかり封印して民主主義を謳歌するあたりは、今後詳細に分析されるべき課題でもある。戦後の山本和夫は、平和と民主主義を標榜する子どもの本の作家団体・日本児童文学者協会の理事長になっている。
戦争文学作品はたくさんあるが、実生活に近く、身近な「ぼくらの戦争」について描かれた小説として、著者は向田邦子の「ごはん」という短編をあげる。非常時の中に日常の感覚を浮上させ、非常時や戦争に抵抗できる日常や平時の感覚を豊かにしていくことが大切なのかもしれないと著者はいうのだ。
南京陥落後の日本軍に従軍取材した林芙美子の『戦線』、古山高麗雄や後藤明生の作品も「ぼくらの戦争」として取り上げられる。多くの詩人たちが『詩集 大東亜』に参加していた時期に戦争詩を書かず、同調圧力に囚われず違う向きを向いてしまう「おっとせい」という詩を書いた金子光晴などに、著者は「ぼくらの戦争」を読み取る。
戦時下の厳しい言論統制下で、時局に同調するかのような素振りを見せながら「十二月八日」や「散華」を書いた太宰は、魯迅を主人公にした長編小説『惜別』では、「加害の国の作家は、なにをするべきなのかを考え、実行した」と、著者はその強(したた)かさに目を見張る。世界の趨勢が不透明で時代閉塞感さえ漂い、自由な発言や自由な著作活動さえも、ともすれば委縮しがちな現在、著者は表現者としての可能性を戦時下の太宰の創作姿勢から問い直してみせたのだ。
ロシアのウクライナ侵攻に伴う戦争と、米中対立による台湾有事を想定しての軍備拡大には、戦争を放棄したはずのこの国が、何時また戦争に加担しかねないという危うさが漂う。政府は、北朝鮮からの弾道ミサイル発射実験でJアラートを発し、緊急避難を呼びかけるなど、近隣諸国を仮想敵国のように喧伝して危機感を煽り軍事大国化への口実に利用する。まさに新しい戦前のはじまりだとの危機感が募る状況だからこそ、戦争を多視点的に検証し、「ぼくらの戦争」として主体的にとらえ直すことがとりわけ重要である。
著者は、戦時下における表現者としての可能性を太宰から読み取りながらも、一般市民にとって戦争を阻止する方図については触れない。それは、思考停止することなく、絶えず「戦争」について考え続けるということなのだろうか。
様々な「戦争のことば」を、「戦争」を語る作家の立ち位置の微妙な違いから検証して、「彼らの戦争」から「ぼくらの戦争」を浮かび上がらせる手法は斬新だが、その違いがデリケートなのでいささか理解しにくく、「ぼくらの戦争なんだぜ」と呼びかけた読者に、それがどれだけ鮮明に伝わったかどうか。とはいえ、多くの資料を紹介しながら、戦争を主体的にとらえようとする試みは、じつに示唆的でしかも今日的である。
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