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『ロシアのなかのソ連』が描く「謎の大国」の素顔

駒井 稔 編集者

 あるロシア文学者から聞いたのですが、今年の2月にロシア軍がウクライナ侵攻を始めた時に、今年度のロシア文学の履修者が少なくなると悲観したそうです。あにはからんや、予想に反して例年よりたくさんの学生が講義に出席したといいます。これを聞いて今の若者たちがロシアは怖い国だという従来のイメージではなく、逆にどういう国か知りたいという気持ちが強いことに安堵しました。

 しかし一般的な日本人が、ロシアという国は理解不能、謎の大国だという印象をもっていることも否定できません。私はロシアの大衆の素顔が報道からはあまり見えてこないことが問題ではないかと感じていました。

『ロシアのなかのソ連──さびしい大国、人と暮らしと戦争と』(現代書館)拡大馬場朝子『ロシアのなかのソ連──さびしい大国、人と暮らしと戦争と』(現代書館)
 そんな時に本書、『ロシアのなかのソ連──さびしい大国、人と暮らしと戦争と』(現代書館)を手に取ったのです。素敵なカバーの絵にも魅了されました。読了後いろいろと国情に違いはあるものの同じ人間が生活する国であるという当たり前のことが確認できた気がしました。

 著者の馬場朝子さんはNHKのディレクターとしてソ連、ロシアに関する40本以上の番組制作に携わった経歴の持ち主です。しかも馬場さんは1970年から6年間、ソ連・モスクワ国立大学文学部に留学していたのです。NHK退職後の2012年から5年間再びモスクワに住んだといいますから、激しく変化する政治や社会と庶民の変わらぬ暮らしぶりも熟知しています。

 現在のロシアでは50歳以上の人は「ソ連人」として教育を受けているという著者の指摘から、ソ連のシステムへの一部回帰を志向するプーチン大統領が支持される要素があることが分かります。第一章では、まず著者が留学したソ連時代の話が披露されます。「利益」という言葉さえ必要のない世界では、モスクワ大学でも教授と清掃員も給料はたいして変わらず、医師や教師の給料がもっとも低いレベルだったという記述には驚きを禁じ得ませんでした。

 そういう平等の感覚に70年も慣れた人たちが、市場経済に翻弄されたこともよく理解できます。しかも現在のロシアでは収入の地域格差は60倍にもなるそうです。ちなみに日本は2倍です。人々がモスクワを目指すというのはよく分かります。しかし著者はロシアの友人たちに資本主義における自由競争の説明をしながら、格差そのものに違和感を覚えるロシア人の感覚の方が正常なのかもしれないと考えます。これは私には大変重要な視点ではないかと思えました。

Vikky Mirs拡大danielo/Shutterstock.com

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筆者

駒井 稔

駒井 稔(こまい・みのる) 編集者

1979年、光文社入社。1981年、「週刊宝石」創刊に参加。1997年に翻訳編集部に異動、書籍編集に携わる。2004年に編集長。2年の準備期間を経て2006年9月に古典新訳文庫を創刊。10年にわたり編集長を務めた。著書に『いま、息をしている言葉で。──「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』‎ (而立書房)。編著に『文学こそ最高の教養である』(光文社新書)、『私が本からもらったもの──翻訳者の読書論』(書肆侃侃房)がある。大酒飲みだったが禁酒歴6年。1956年、横浜生まれ。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです