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「拡大自殺」という言葉の乱用に異議あり!

「死にたい」と語る人は凶悪犯罪の予備軍なのか

鶴見済 ライター

 殺人を自殺と呼ぶことに反対したい。その理由は、自殺は殺人(他殺)とはまったく別のものだから。

 こんな当たり前のことを、最近は声高に主張しなければならなくなった。もちろん「拡大自殺」という呼称について言っているのだ。

 例えば7月に秋葉原無差別殺人犯の加藤智大死刑囚が刑死した時も、この語の提唱者である精神科医の片田珠美氏はこの事件を「典型的な拡大自殺」と語っていた。加藤死刑囚はもちろん犯行時に自殺を図っていないし、「死にたくてやった」とも言っていない。

拡大2022年7月27日付朝日新聞朝刊
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 仮に殺人犯が犯行後に自殺したのであれば、これを拡大自殺と呼ぶ余地はある。殺人後に「死ぬためにやった」と言っただけなら、自殺していないのだから、殺人と呼ばずに自殺と呼ぶのはおかしいだろう。それどころか今では、「死ぬためにやった」と言っていなくても拡大自殺と呼ばれるのだ。

 おそらく新奇さから、こんな呼び方が広まるのだろう。けれどもそこに問題はないだろうか。

自殺は言わば“控えめな”行為

 当たり前だが、自殺は決して他者を傷つける行為ではないし、犯罪でもない。本来自らを消すという言わば“控えめな”行為なのだ。それが無差別殺人という最悪の犯罪と同一視されてしまう。後に詳しく述べるが、前述した片田氏も自殺と他殺を表裏一体と考えている。彼女は「拡大自殺の予防対策は自殺対策と同じ」としている。

拡大songpholt/Shutterstock.com

 もちろんこの言葉を使っているのは片田氏だけではない。むしろこの言葉を広めている張本人はこうした専門家や評論家ではなく、マスコミと考えるべきだろう。この人ならその言葉を使うだろうという人に、コメントや分析を依頼して広めているのはマスコミだ。だからことさら提唱者やその言葉の使用者を責める気もない。

 この呼び方が続けば、自殺の間違ったイメージがますます広まり、死にたいと語る人は凶悪犯予備軍扱いされるだろう。実際に新聞紙上で「拡大自殺予備軍は隣にいるから気をつけろ」などと呼びかける記事も出ている。

 死にたい気持ちは、ようやく普通に語ることができるようになってきたのに、これではまた語りづらくなってしまう。

 「拡大自殺」の定義は、提唱者の片田氏の著書によれば、

 「絶望感から自殺願望と復讐願望を抱き、誰かを道連れに無理心中を図ること」(『拡大自殺』より)

 となっている。

 心中で親が子どもを殺すのは、もちろん許されない犯罪に違いないが、決して復讐心からではなく、残された子の行く末をはかなむからだ。だからこれはとてもあいまいな定義と言える。無差別殺人と心中を一緒に扱おうとするのは無理がある。しかしながら、この定義の吟味に時間を費やすのは避けたい。

 今のところ日本では、拡大自殺という言葉は、主に自暴自棄の無差別殺傷(未遂)事件に対して用いられている。この記事でも、心中よりそれらを念頭に置いて考える。

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筆者

鶴見済

鶴見済(つるみ・わたる) ライター

1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。最新刊は『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)。その他の著書に『0円で生きる──小さくても豊かな経済の作り方』、『脱資本主義宣言』、『完全自殺マニュアル』、『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』(編著)、『無気力製造工場』、『人格改造マニュアル』、『檻のなかのダンス』(以上太田出版)、『レイヴ力』(共著、筑摩書房)など。
鶴見済のブログ http://tsurumitext.seesaa.net/
twitter @wtsurumi

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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