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【ヅカナビ】花組全国ツアー『フィレンツェに燃える』

柴田侑宏氏の転機となった作品は、47年ぶりの再演でいかに蘇ったか?

中本千晶 演劇ジャーナリスト

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 柴田侑宏氏は、タカラヅカ史上に残る名作を数多く残した演出家である。再演が続いている作品も多く、昨年だけでも『川霧の橋』(月組博多座)、『哀しみのコルドバ』(花組全国ツアー)、『ヴェネチアの紋章』(雪組全国ツアー)が上演されている。また、来年新春には花組が『うたかたの恋』、3〜4月の星組全国ツアーでも『バレンシアの熱い花』が再演されることが発表されている。

 タカラヅカの様式美の中で、恋する男女の心の動きを深く繊細に描き上げる作風は、多くのファンに愛されてきた。氏の名作『あかねさす紫の花』でタカラヅカを知った筆者もまた、その一人である。

 その柴田氏の転機となった作品『フィレンツェに燃える』が、何と47年ぶりに再演された。今回のヅカナビでは、初演の『フィレンツェに燃える』がどんな作品であったかを、まず振り返ってみたい。そして、今回の花組バージョンでいかに蘇ったのかをお伝えしよう。

芸術選奨の文部大臣新人賞を取った、転機の作品

 『フィレンツェに燃える』は1975(昭和50)年、雪組で初演された。この年は、前年に月組で初演された『ベルサイユのばら』が「アンドレとオスカル編」として花組で再演され、「ベルばらブーム」が加速した年である。だが、柴田氏にとっても転機の年となった。『フィレンツェに燃える』が、文化庁・芸術選奨の文部大臣新人賞(大衆芸能部門)を受賞したのである。

 ちなみに、その前後の柴田作品としては、前年に星組の『アルジェの男』、翌1976年には花組の『あかねさす紫の花』、雪組の『星影の人』、月組の『バレンシアの熱い花』がある。いずれもタカラヅカファンにはおなじみの名作だ。

 つまり、柴田氏の才能が一気に開花し、独自の作風を作り上げつつあった時期に生まれたのが、『フィレンツェに燃える』なのである。初演プログラムに掲載されていた脚本を追うと、そのあらすじは、次のようなものだった(カッコ内は初演キャスト)。

 物語の舞台は1850年頃のフィレンツェ。バルタザール侯爵家には2人の息子がいた。ノーブルで品行方正な兄のアントニオ(汀夏子)は侯爵家の後継としての責任感を強く持っていたが、野生的で奔放な弟のレオナルド(順みつき)は、さまざまな階層の人と接する中でイタリアの未来を憂えていた。
 静養のため侯爵家を訪れた美しき未亡人パメラ(高宮沙千)は歌姫から這い上がってきた過去を持ち、貴族たちの間で白い目で見られていた。だが、パメラの瞳の奥に真実の姿を感じたアントニオは、パメラに心惹かれ、結婚を申し込む。パメラが兄を陥れる悪女だと思い込んだレオナルドは、兄を救うべくパメラに偽りの恋を仕掛けた。パメラもまた、自分はアントニオに相応しい女ではないと気付き、レオナルドのものとなる。傷心のアントニオの心を癒したのは、幼馴染のアンジェラ(沢かをり)であった。
 カーニバルでフィレンツェの街が熱狂する中、アントニオ・レオナルドの仲間たちはイタリア国家統一運動の義勇軍に加わるべく旅立っていった。
 いっぽう憲兵のオテロ(麻実れい)はパメラの夫の死に疑いを抱いており、ベローナから執拗にパメラを追ってきていた。かつてパメラと男女の仲であったオテロは、逮捕されたくなければ自分の元へ戻れと脅すが、パメラは「そんな脅しは今の私にはもう効かない」と断る。いつしかパメラのことを深く愛するようになっていたレオナルドはオテロを刺すが、パメラもまた、オテロに刺されて命を落とす。
 兄弟は再び和解した。そしてレオナルドはひとり義勇軍に参加する決意をし、旅立っていくのだった。

 公演プログラムの中で柴田氏は、この作品はドストエフスキーの『白痴』で描かれる愛の二面性(純粋な神への志向と悪魔的な欲望の相剋)というテーマに挑んだものであると述べている。

 柴田氏は当て書きの上手さに定評があるが、この作品も、大人の女性が似合う高宮沙千にパメラ役を、演技力抜群の順みつきにレオナルド役を当てている(順はすでに星組に組み替えになっていたが、柴田氏のたっての希望で特別出演してもらっている)。いっぽうアントニオ役の汀夏子は、「動」と「静」でいうところの「静」の役は新境地であったようだ。

 だが、脚本を読んだ限りでは、意外とシンプルな展開の物語という印象が強かった。セリフの言葉だけからは読み取れない、キャストの芝居に負うところが大きい作品なのではないか? そんな期待からも、観劇の日がいっそう心待ちにされたのだった。

柴田ワールドの原点がここに

 幕開き、柚香光扮するアントニオが登場した瞬間に、物語世界にグッと引き込まれた。そこに立っていたのは、貴族社会が滅びようとしているとき、落日の輝きを背に受けて立っている男の姿だった。

 アントニオ、レオナルド、そしてオテロ、3人の男たちの愛を受ける、魔性の女パメラ。その愛の形は三者三様だ。アントニオに対してパメラは、愛していながらもわざと冷たい態度をとる。これは、歌舞伎でもよくある「愛想尽かし」ではないか。古典的だが、それでも泣けてしまう。

 パメラと対照的な女性として描かれるアンジェラの素直さが清々しい。カーニバルの場面、アンジェラと共にいるアントニオの表情の微妙な変化の中に、彼の優しさ、哀しみ、諦観など、さまざまな表情が読み取れる。

 パメラを追い続けるオテロ。二人の最期は衝撃的だ。彼は何故パメラを撃ったのだろう。そして、今際の際にパメラの脳裏をよぎった男は果たして誰だったのか。想像は尽きない。舞台端に転がるオテロの死体はそのままに、カーニバルの熱狂は続く。たとえ人が一人死んでも、世の中は何一つ変わらないという、残酷な真実を突きつける絵柄だ。

 そして、イタリア独立運動の義勇軍として旅立つレオナルドの胸にあった思いはどんなものだったのか。やがて兄弟が敵味方となって戦わねばならぬかもしれない、なんともやるせない幕切れである。

 そこには、この後に生み出された数々の名作を彷彿とさせる、柴田ワールドの原点があった。それは極めて荒削りだが、その分、純粋な形で残されている。一筋縄ではいかない愛の形が幾重にも折り重なっている。

 その深淵な世界にどっぷり浸ることができたのは、柴田ワールドをこよなく愛する者にとっては至福の時間だった。だが「荒削り」ゆえに、わかりにくいという感想も散見された。それもわかる気がした。

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筆者

中本千晶

中本千晶(なかもと・ちあき) 演劇ジャーナリスト

山口県出身。東京大学法学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て独立。ミュージカル・2.5次元から古典芸能まで広く目を向け、舞台芸術の「今」をウォッチ。とくに宝塚歌劇に深い関心を寄せ、独自の視点で分析し続けている。主著に『タカラヅカの解剖図館』(エクスナレッジ )、『なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか』『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』(東京堂出版)、『鉄道会社がつくった「タカラヅカ」という奇跡』(ポプラ新書)など。早稲田大学非常勤講師。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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