関根虎洸(せきね・ここう) フリーカメラマン
1968年、 埼玉県生まれ。著書に桐谷健太写真集『CHELSEA』(ワニブックス、2012年)、『遊廓に泊まる』(新潮社、2018年)ほか。元プロボクサー。現在ボクシングトレーナーとしても活動中。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
ソウルの金浦空港に到着すると、ゲートで一人の中年男性が出迎えていた。日本語は話せないようだ。現地のプロモーターが用意してくれた韓国人ドライバーは、私たち6人分の荷物を次々とカートへ載せていく。手招きするドライバーの後に付いて、足早に駐車場へ向かった。
途中、段差のある道路を渡ろうとした時だった。カートの一番上に載せた黒い布ケースが地面にずり落ちたのだ。ケースにはリッキーのチャンピオンベルトが入っている。
リングへ上がる前のボクサーは縁起を担ぐことが少なくない。咄嗟に私は皆に聞こえるような声で冗談っぽくつぶやいた。
「ヘ〜イ!! ノーノー、スロースロー」
ドライバーは照れ笑いを浮かべてゆっくりそれを拾おうとしたが、リッキーが慌てて布ケースを拾い上げた。一瞬だけ僅かな緊張感が漂ったが、リッキーは拾い上げたケースを腕に抱えると何事もなかったかのようにワンボックスタイプの車に乗り込んだ。
ドライバーはケースの中身を知らないだろう。6人のカシアスジムスタッフを乗せた車は、試合会場のある天安(チョナン)市内のホテルへ向かって走り始めた。
当初、試合は2019年8月15日の光復節に予定されていた。光複節は日本の植民地支配から解放され、祖国の主権と「回復」を祝う韓国の祝日である。ちょうど日韓関係が緊張状態にあったこともあり、訝(いぶか)しく思ったが、開催の日程は難航していく。結果的に2度の延期の末、10月9日、東洋太平洋S・ライト級チャンピオンのリッキーこと内藤律樹は、韓国天安市で同級6位の挑戦者、ジョン・ギュボム(韓国)選手を相手に3度目の防衛戦を迎えることに決まった。
リッキーと総勢6名のカシアスジムスタッフは、計量が行われる前日の7日に韓国へ到着。金浦空港から車で約2時間の距離にある天安市の宿泊先に到着した。
私にとって韓国は6年ぶりになる。初めて訪ねたのは30年前に遡るが、その時はラブホテルに泊まった。天安市の宿泊先もまたネオンに彩られたラブホテル街にあった。韓国では若者を中心に観光客がラブホテルを安宿代わりに利用することが少なくない。日本とは多少ニュアンスが違い、「トリップアドバイザー」や「ブッキングドットコム」といった旅行サイトにも掲載されている。現地では「モーテル」と呼ぶらしい。
プロモーターが用意してくれた「レックス ホテル」は数年前にラブホテルをリフォームしたビジネスホテルだった。しかしながら、ラブホテル街の路地はいかがわしいだけではなく、たいていは精を付けるための料理店や安価で美味い食堂があるものだ。私はラブホテル街の路地を散歩しながら、計量後に食事をするための店を探した。そしてホテルの近くに作業服を着た男たちが頻繁に出入りする食堂を見つけたのだった。
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