2022年11月02日
ソウルの金浦空港に到着すると、ゲートで一人の中年男性が出迎えていた。日本語は話せないようだ。現地のプロモーターが用意してくれた韓国人ドライバーは、私たち6人分の荷物を次々とカートへ載せていく。手招きするドライバーの後に付いて、足早に駐車場へ向かった。
途中、段差のある道路を渡ろうとした時だった。カートの一番上に載せた黒い布ケースが地面にずり落ちたのだ。ケースにはリッキーのチャンピオンベルトが入っている。
リングへ上がる前のボクサーは縁起を担ぐことが少なくない。咄嗟に私は皆に聞こえるような声で冗談っぽくつぶやいた。
「ヘ〜イ!! ノーノー、スロースロー」
ドライバーはケースの中身を知らないだろう。6人のカシアスジムスタッフを乗せた車は、試合会場のある天安(チョナン)市内のホテルへ向かって走り始めた。
当初、試合は2019年8月15日の光復節に予定されていた。光複節は日本の植民地支配から解放され、祖国の主権と「回復」を祝う韓国の祝日である。ちょうど日韓関係が緊張状態にあったこともあり、訝(いぶか)しく思ったが、開催の日程は難航していく。結果的に2度の延期の末、10月9日、東洋太平洋S・ライト級チャンピオンのリッキーこと内藤律樹は、韓国天安市で同級6位の挑戦者、ジョン・ギュボム(韓国)選手を相手に3度目の防衛戦を迎えることに決まった。
リッキーと総勢6名のカシアスジムスタッフは、計量が行われる前日の7日に韓国へ到着。金浦空港から車で約2時間の距離にある天安市の宿泊先に到着した。
私にとって韓国は6年ぶりになる。初めて訪ねたのは30年前に遡るが、その時はラブホテルに泊まった。天安市の宿泊先もまたネオンに彩られたラブホテル街にあった。韓国では若者を中心に観光客がラブホテルを安宿代わりに利用することが少なくない。日本とは多少ニュアンスが違い、「トリップアドバイザー」や「ブッキングドットコム」といった旅行サイトにも掲載されている。現地では「モーテル」と呼ぶらしい。
プロモーターが用意してくれた「レックス ホテル」は数年前にラブホテルをリフォームしたビジネスホテルだった。しかしながら、ラブホテル街の路地はいかがわしいだけではなく、たいていは精を付けるための料理店や安価で美味い食堂があるものだ。私はラブホテル街の路地を散歩しながら、計量後に食事をするための店を探した。そしてホテルの近くに作業服を着た男たちが頻繁に出入りする食堂を見つけたのだった。
リッキーの父、カシアス内藤は無敗のまま日本、東洋のタイトルを獲得し、世界ランキングにも名を連ねたが、韓国で柳済斗に初黒星を喫すると、以降は精彩を欠いた試合を続けるようになっていく。カシアス内藤は柳済斗に4度、朴鐘八に1度、後の世界チャンピオン2人に韓国で敗れている。ボクシング専門誌やwebサイトはそのことを取り上げ、「因縁の韓国で挑む一戦」と扇動した。
「どうだ、パンチあるか?」。1ラウンドが終わり、コーナーに戻ってきたリッキーに訊ねると、少し笑みを浮かべながら首を横に振って「大丈夫です」とつぶやいた。サウスポーのリッキーはリングを滑るようにステップを踏みながら、ジャブで挑戦者をコントロールしていく。4ラウンド終了後にアナウンスされたポイントはリッキーのフルマーク。
挑戦者は徐々にパンチが大振りになっていく。8ラウンドには会心の左フックでダウンを奪い、挑戦者を応援する会場の声は徐々に小さくなっていった。勝負を諦めない挑戦者は前進を続けて大きなパンチを最後まで振り続けたが、判定は3-0。リングアナウンサーが韓国語でリッキーの名前をコールし、レフェリーがベルトを肩に掛けたリッキーの右手をあげた。
因縁の地、韓国のリングでリッキーは3度目のタイトルを防衛した。敵地の洗礼に対して神経質になっていたが、計量をごまかされることもなく、ジャッジによるポイントも拍子抜けするほどクリーンだった。
ホテルから空港へ向かう際のドライバーは来る時とは別だった。車中で彼は日本語でこう言った。「反日感情を持っているのは政治家や一部の韓国人だけです。私たち一般人にはまったく関係ありません」。すっかり忘れていたのだが、日韓関係が緊張状態だったことを思い出した。
(2021年12月、内藤律樹は5度目の東洋太平洋タイトルマッチでTKO負けを喫し、王座を手放した。現在、31歳になったリッキーは復帰戦に向けて練習に取り組んでいる)
18歳になり、友人とドライブへ行った福生の国道16号線で、私は交通事故に巻き込まれた。信号待ちをしていたところにノーブレーキの車が後方から突っ込んで来たのだ。その衝撃で私が乗った車も前に停まっていた車に追突してしまう。車を降りて追突してしまった車の運転席へ行くと、そこに座っていたのはカシアス内藤こと内藤純一さんだった。1年前に読んだ『一瞬の夏』のあのカシアス内藤が目の前に現れたのである。
追突事故から33年が経ち、『一瞬の夏』のクライマックスとなった韓国で、カシアス内藤の長男リッキーがタイトルマッチを戦っている。そこにはカシアス内藤と戦った柳済斗も朴鐘八も、著者の沢木耕太郎氏もいた。不思議な光景だった。私にとって17歳の時に読んだ『一瞬の夏』は、現実となって今も続いている。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください