メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[3]内藤律樹「韓国の一戦」と、沢木耕太郎『一瞬の夏』

関根虎洸 フリーカメラマン

 ソウルの金浦空港に到着すると、ゲートで一人の中年男性が出迎えていた。日本語は話せないようだ。現地のプロモーターが用意してくれた韓国人ドライバーは、私たち6人分の荷物を次々とカートへ載せていく。手招きするドライバーの後に付いて、足早に駐車場へ向かった。

 途中、段差のある道路を渡ろうとした時だった。カートの一番上に載せた黒い布ケースが地面にずり落ちたのだ。ケースにはリッキーのチャンピオンベルトが入っている。

 リングへ上がる前のボクサーは縁起を担ぐことが少なくない。咄嗟に私は皆に聞こえるような声で冗談っぽくつぶやいた。

 「ヘ〜イ!! ノーノー、スロースロー」

金浦空港に到着したリッキー(内藤律樹、右)とカシアス内藤会長=撮影・関根虎洸金浦空港に到着したリッキー(内藤律樹、右)とカシアス内藤会長=撮影・関根虎洸
 ドライバーは照れ笑いを浮かべてゆっくりそれを拾おうとしたが、リッキーが慌てて布ケースを拾い上げた。一瞬だけ僅かな緊張感が漂ったが、リッキーは拾い上げたケースを腕に抱えると何事もなかったかのようにワンボックスタイプの車に乗り込んだ。

 ドライバーはケースの中身を知らないだろう。6人のカシアスジムスタッフを乗せた車は、試合会場のある天安(チョナン)市内のホテルへ向かって走り始めた。

 当初、試合は2019年8月15日の光復節に予定されていた。光複節は日本の植民地支配から解放され、祖国の主権と「回復」を祝う韓国の祝日である。ちょうど日韓関係が緊張状態にあったこともあり、訝(いぶか)しく思ったが、開催の日程は難航していく。結果的に2度の延期の末、10月9日、東洋太平洋S・ライト級チャンピオンのリッキーこと内藤律樹は、韓国天安市で同級6位の挑戦者、ジョン・ギュボム(韓国)選手を相手に3度目の防衛戦を迎えることに決まった。

 リッキーと総勢6名のカシアスジムスタッフは、計量が行われる前日の7日に韓国へ到着。金浦空港から車で約2時間の距離にある天安市の宿泊先に到着した。

宿泊先の部屋にて。計量の前日は日本から持ち込んだ体重計に何度ものった。飛行機による移動で多少の疲れはあったが、リッキーはすでにリミットを切っていたので精神的にも余裕があった=撮影・関根虎洸宿泊先の部屋にて。計量の前日は日本から持ち込んだ体重計に何度ものった。飛行機による移動で多少の疲れはあったが、リッキーはすでにリミットを切っていたので精神的にも余裕があった=撮影・関根虎洸

 私にとって韓国は6年ぶりになる。初めて訪ねたのは30年前に遡るが、その時はラブホテルに泊まった。天安市の宿泊先もまたネオンに彩られたラブホテル街にあった。韓国では若者を中心に観光客がラブホテルを安宿代わりに利用することが少なくない。日本とは多少ニュアンスが違い、「トリップアドバイザー」や「ブッキングドットコム」といった旅行サイトにも掲載されている。現地では「モーテル」と呼ぶらしい。

 プロモーターが用意してくれた「レックス ホテル」は数年前にラブホテルをリフォームしたビジネスホテルだった。しかしながら、ラブホテル街の路地はいかがわしいだけではなく、たいていは精を付けるための料理店や安価で美味い食堂があるものだ。私はラブホテル街の路地を散歩しながら、計量後に食事をするための店を探した。そしてホテルの近くに作業服を着た男たちが頻繁に出入りする食堂を見つけたのだった。

リッキーはS・ライト級のリミット(63.5キロ)の300gアンダーで計量をパスした。表情からやる気が伝わってくる=撮影・関根虎洸リッキーはS・ライト級のリミット(63.5キロ)の300gアンダーで計量をパスした。表情からやる気が伝わってくる=撮影・関根虎洸
現地で制作されたポスター現地で制作されたポスター

挑戦者のジョン・ギュボム選手(右)は1階級上のウエルター級で戦っていただけあって身体のフレームがリッキーよりも一回り大きかった。左胸に漢字で「捲土重来」のタトゥーが彫ってある=撮影・関根虎洸挑戦者のジョン・ギュボム選手(右)は1階級上のウエルター級で戦っていただけあって身体のフレームがリッキーよりも一回り大きかった。左胸に漢字で「捲土重来」のタトゥーが彫ってある=撮影・関根虎洸
計量後の昼食はホテル近くにあったローカル食堂で。リッキー(左)は豆腐チゲ定食を注文した=撮影・関根虎洸計量後の昼食はホテル近くにあったローカル食堂で。リッキー(左)は豆腐チゲ定食を注文した=撮影・関根虎洸

試合当日の早朝にホテル屋上から見た天安の街並み。宿泊した「レックス ホテル」はラブホテル街にあった=撮影・関根虎洸試合当日の早朝にホテル屋上から見た天安の街並み。宿泊した「レックス ホテル」はラブホテル街にあった=撮影・関根虎洸

因縁の地、韓国のリングで

試合当日にリッキーが食べたのは納豆とご飯。前日にマネージャーとタクシーで市内の大型スーパーを訪ねて調達した=撮影・関根虎洸試合当日にリッキーが食べたのは納豆とご飯。前日にマネージャーとタクシーで市内の大型スーパーを訪ねて調達した=撮影・関根虎洸
ホテルから車で10分の試合会場へ。リッキーはスーツにサングラスで会場入りした=撮影・関根虎洸ホテルから車で10分の試合会場へ。リッキーはスーツにサングラスで会場入りした=撮影・関根虎洸
試合会場の体育館。当日はハングル文字の発布を記念した祝日「ハングルの日」入場料は無料=撮影・関根虎洸試合会場の体育館。この日はハングルの発布を記念した祝日「ハングルの日」だった。入場料は無料=撮影・関根虎洸
控え室は体育館のステージそばにあった倉庫。かつては「真冬の韓国で控え室に暖房がなかった」等の話も聞いたが、敵地の試合にありがちなストレスはまったくなかった=撮影・関根虎洸控室は体育館のステージそばにあった倉庫。かつては「真冬の韓国で控室に暖房がなかった」等の話も聞いたが、敵地の試合にありがちなストレスはまったくなかった=撮影・関根虎洸

試合直前の控え室。作戦のイメージを繰り返しながら集中力を高めていく=撮影・関根虎洸試合直前の控え室。作戦のイメージを繰り返しながら集中力を高めていく=撮影・関根虎洸
 横浜のJR石川町駅の近くにE&Jカシアス・ボクシングジムがオープンしたのが2005年。その3年前にボクサーを引退した私は、縁のあったカシアス内藤こと内藤純一さんが開設したジムで、フリーカメラマンの仕事の合間に、トレーナーとして手伝うことになった。あの頃、中学1年生だったリッキーも28歳になり、父のカシアス内藤も戦った韓国の地へやって来たのである。

 リッキーの父、カシアス内藤は無敗のまま日本、東洋のタイトルを獲得し、世界ランキングにも名を連ねたが、韓国で柳済斗に初黒星を喫すると、以降は精彩を欠いた試合を続けるようになっていく。カシアス内藤は柳済斗に4度、朴鐘八に1度、後の世界チャンピオン2人に韓国で敗れている。ボクシング専門誌やwebサイトはそのことを取り上げ、「因縁の韓国で挑む一戦」と扇動した。

柳済斗の東洋太平洋(OPBF)タイトル 王座返上によってカシアス内藤と王座決定戦を争ったのが朴鐘八さん(左)。後にアジア人による最重量級(S.ミドル級)の世界チャンピオンになった。朴さんから激励を受けるリッキーと笑顔のカシアス内藤会長=撮影・関根虎洸柳済斗の東洋太平洋(OPBF)タイトル王座返上によってカシアス内藤と王座決定戦を争った朴鐘八さん(左)から激励を受けるリッキー(右)と笑顔のカシアス内藤会長。朴さんは後にアジア人による最重量級(S.ミドル級)の世界チャンピオンになった=撮影・関根虎洸
会場の控え室へ激励に来てくれたのは元世界チャンピオンの柳済斗さん(中央)。自伝映画が製作されるなど韓国の国民的英雄だ。カシアス内藤との初対戦はこの48年前。沢木耕太郎さん(左)は5度目の対戦に奔走するが、交渉の途中で柳さんは引退してしまう=撮影・関根虎洸会場の控室に激励に来た元世界チャンピオンの柳済斗さん(中央)。自伝映画が製作されるなど韓国の国民的英雄だ。カシアス内藤との初対戦はこの48年前。沢木耕太郎さん(左)は5度目の対戦に奔走するが、交渉の途中で柳さんは引退してしまう=撮影・関根虎洸

 「どうだ、パンチあるか?」。1ラウンドが終わり、コーナーに戻ってきたリッキーに訊ねると、少し笑みを浮かべながら首を横に振って「大丈夫です」とつぶやいた。サウスポーのリッキーはリングを滑るようにステップを踏みながら、ジャブで挑戦者をコントロールしていく。4ラウンド終了後にアナウンスされたポイントはリッキーのフルマーク。

 挑戦者は徐々にパンチが大振りになっていく。8ラウンドには会心の左フックでダウンを奪い、挑戦者を応援する会場の声は徐々に小さくなっていった。勝負を諦めない挑戦者は前進を続けて大きなパンチを最後まで振り続けたが、判定は3-0。リングアナウンサーが韓国語でリッキーの名前をコールし、レフェリーがベルトを肩に掛けたリッキーの右手をあげた。

試合は序盤からリッキーのペースで進み、8ラウンドに会心の左フックでダウンを奪う。終盤は相手選手の粘りもあって勝負は判定に=撮影・関根虎洸試合は序盤からリッキーのペースで進み、8ラウンドに会心の左フックでダウンを奪う。終盤は相手選手の粘りもあって勝負は判定に=撮影・関根虎洸
ベルトを肩から掛けてもらい、安堵の笑みを見せたリッキー。韓国で東洋太平洋タイトルの3度目の防衛に成功した=撮影・関根虎洸ベルトを肩から掛けてもらい、安堵の笑みを見せたリッキー。韓国で東洋太平洋タイトルの3度目の防衛に成功した=撮影・関根虎洸

 因縁の地、韓国のリングでリッキーは3度目のタイトルを防衛した。敵地の洗礼に対して神経質になっていたが、計量をごまかされることもなく、ジャッジによるポイントも拍子抜けするほどクリーンだった。

 ホテルから空港へ向かう際のドライバーは来る時とは別だった。車中で彼は日本語でこう言った。「反日感情を持っているのは政治家や一部の韓国人だけです。私たち一般人にはまったく関係ありません」。すっかり忘れていたのだが、日韓関係が緊張状態だったことを思い出した。

試合後に会場の外で会った対戦相手のジョン・ギュボム選手と=撮影・関根虎洸試合後に会場の外で会った対戦相手のジョン・ギュボム選手(右)とリッキー=撮影・関根虎洸
リッキーは饒舌だった。ソウルから羽田までの2時間半、通路側に座ったリッキーと世界戦へ向けたこれからのプランを語り合った=撮影・関根虎洸リッキーは饒舌だった。ソウルから羽田までの2時間半、通路側に座ったリッキーと世界戦へ向けたこれからのプランを語り合った=撮影・関根虎洸

(2021年12月、内藤律樹は5度目の東洋太平洋タイトルマッチでTKO負けを喫し、王座を手放した。現在、31歳になったリッキーは復帰戦に向けて練習に取り組んでいる)

追突した車の運転席へ行くと……

沢木耕太郎『一瞬の夏』(上下、新潮文庫版)沢木耕太郎『一瞬の夏』(上下、新潮文庫版)
 今回の本は「旅の一冊」とは少しニュアンスが異なるかもしれない。15歳の時にボクシングジムへ入門した私は、ボクシング好きが高じて17歳の時に『一瞬の夏』(沢木耕太郎著、新潮社、1981年)を手に取った。カシアス内藤の類稀な才能とボクサーとしては優しすぎる性格、そしてカシアス内藤に寄り添うトレーナーのエディ・タウンゼントと著者の沢木耕太郎。カシアス内藤が語る「いつか」を追い求めて、燃え尽きることができない悲哀を描いたノンフィクションである。

 18歳になり、友人とドライブへ行った福生の国道16号線で、私は交通事故に巻き込まれた。信号待ちをしていたところにノーブレーキの車が後方から突っ込んで来たのだ。その衝撃で私が乗った車も前に停まっていた車に追突してしまう。車を降りて追突してしまった車の運転席へ行くと、そこに座っていたのはカシアス内藤こと内藤純一さんだった。1年前に読んだ『一瞬の夏』のあのカシアス内藤が目の前に現れたのである。

 追突事故から33年が経ち、『一瞬の夏』のクライマックスとなった韓国で、カシアス内藤の長男リッキーがタイトルマッチを戦っている。そこにはカシアス内藤と戦った柳済斗も朴鐘八も、著者の沢木耕太郎氏もいた。不思議な光景だった。私にとって17歳の時に読んだ『一瞬の夏』は、現実となって今も続いている。