日本クラシック音楽事業協会の入山功一会長に聞く
2022年11月15日
新型コロナウイルス感染症は社会の至るところに影響を与えました。クラシック音楽の世界も例外ではありません。一時は演奏会が激減、苦境にあえいだ演奏家や事業者でしたが、最悪期を脱するにつれて演奏会も復活し、コロナと共存する新しい道を歩みつつあります。コロナ禍を経てクラシック界はどう変わったか。コロナで浮き彫りになった課題にどう向き合っていくのか。年末の風物詩、ベートーベンの「第九」の季節を前に、クラシックコンサートなどを企画する事業者でつくる日本クラシック音楽事業協会(クラ協)の入山功一会長に聞きました。(論座編集部 吉田貴文)
――入山さんには、新型コロナウイルスの感染が拡大し、三度目の緊急事態宣言が日本各地で出されていた2021年5月にインタビューをさせていただき、コロナ禍おける日本のクラシック界の現状や課題、展望などをお聞きしました(論座「コロナを超えられるか?日本のクラシックの現状と可能性~クラ協の入山会長に聞く」)。あれから1年半が経ち、コロナをめぐる社会状況も次第に落ち着いてきて、コンサートやリサイタルもふつうに開けるようになっています。「ブラボー」などの声はまだかけられないようですが、人気のあるコンサートだと座席はいっぱいで、間隔をあけて座っていたコロナの時期を懐かしく感じたりします。
入山 お客様のなかには、コロナの感染対策で一席おきに座っていた頃のほうがよかったという人は結構いらっしゃいます。当然ですよね。両脇に人がいないほうがゆったり聴けますから。でも、事業者としては、50%の入りでは採算がとれません。お客様にはくつろいで聴いてほしいけれど、興行としても成り立たせないといけない。悩ましいです。
――そうなんですね。それはともあれ、クラシックの公演が元に戻りつつあるのは、喜ばしいことだと思います。入山さんは、1年前のインタビューでコロナ禍のなかで見えてきたクラシックの課題をいろいろ話しておられましたが、そうした課題は解決されていますか。
入山 振り返れば、1年半前は課題ばかりという意識でしたね。今はどうなっているか。一歩進んだものもあるし、コロナ前に戻っているものもある、という感じでしょうか。具体的にお話しする前に大前提の収穫として申し上げておきたいのは、コロナ禍のなかでクラシック音楽関係者が一体感を得られたということです。
――一体感ですか?
入山 新型コロナ感染症という未曽有の事態に直面し、演奏家や演奏団体、われわれマネジメントといったクラシック音楽に関わる人たちが、それぞれの立場で努力をして対応してきましたが、そのなかで皆が「同じ船」に乗っているという意識を、お客様も含めて持つことができました。これは大きな収穫だった思います。
――演奏家や業界だけではなくて、お客さんも含めてというのがいいですね。
入山 東日本大震災の後、復興のために仙台フィルハーモニーを東京に招いてコンサートを主催した際、多かれ少なかれ震災を体験したお客様が、会場で気持ちを共有した空気感に似ていました。ただ、今はコロナで緊急事態が出された当時と比べると、危機感が薄れつつある分、お客様の熱が少し下がってきた気もしています。
――聴衆は戻りつつありますが……
入山 そうです。ただ、たとえばライブビューイングをお金を払って見ることで、クラシック音楽を応援しよういった熱気は冷めたように感じます。まさに「のど元過ぎれば……」で当然なのかもしれませんが。
――ライブビューイングは楽しかったです。僕も幾つか見ました。
入山 あの頃は演奏会に行くのがままならなかったため、ライブビューイングが新たな表現の場になりました。私もコロナがもたらした“副産物”と捉えていたのですが、今は意外とやらなくなっているのです。普段は目に触れない“舞台裏”を見せるなど工夫したにもかかわらず、また配信の技術を習熟したにもかかわらず、下火になった印象です。個人的には残念です。
当初、ライブビューイングが緊急避難だったのは確かです。ただ、やってみると、別の気付きがありました。たとえば、これまで東京ではなかなか聴けなかった地方のオーケストラの演奏を聴けた。それぞれに特色があって楽しいんですよ。逆もあります。在京オーケストラの演奏を地方の人も楽しむことができた。
今も、そしてこれからも、あの頃のように発信したらいいと思うし、音楽ファンも歓迎してくれると思うのですが……。
――そう思います。なぜ下火になったのでしょうか。
入山 これは半分想像になってしまいますが、音楽ホールで演奏会ができるようになると、従来の業務をこなすので手いっぱいなのではないでしょうか。コロナの頃は演奏会がないので、オンラインを手掛ける時間も労力もあったと思いますが、率直に言ってどのオーケストラも余裕のない体制で運営しているので、リアルな演奏会が始まると目の前の仕事で手一杯なのでしょう。
経済的な理由もあるかもしれません。オンライン配信には経費がかかります。あの頃は演奏会ができないので、動画配信に国から補助金が出ました。演奏会が復活し、ただ配信するだけでは補助金も出にくい状況になっていることも関係している気がします。
ただ、状況がもう少し落ち着いてくれば、オンラインを再開しようという機運が出てくると思いますし、そう期待もします。バイオリニストの指をクローズアップして映すとか、生では見られない工夫をして、それを楽しんだお客様も多くいらっしゃいましたから。コロナが終息しても続けたいと関係者の間では話していましたので、ぜひ再開してほしいですね。
もうひとつ、コロナ禍で顕在化した課題が「チケット」です。
――チケット、ですか?
入山 コロナ禍のコンサートでは、人の接触を極力避けるため、お客様に自らチケットの「もぎり」をしていただきました。
――そうでした。僕も演奏会場の入り口で、自分でチケットをもぎって半券を箱に入れてました。
入山 ならば、いっそ紙のチケットをやめて、スマホを活用したチケットレスに移行するべきだという声は多くありました。
――チケットレスのほうがいいですか?
入山 紙のチケットが減ると、もぎりの人員を減らすことができます。さらに、急に行けなくなったチケットをマーケットに戻して、他の人が買うこともできます。当日券も買いやすくなります。
――確かに当日チケットは便利になりますね。
入山 今は当日券は演奏会場でしか買えません。残り席が少なそうだと、お客様は確認の電話をいれますが、残念ながらそこで予約出来ないことが多々あります。確実に会場に来るという確認がとれないからです。大抵、会場に来た順でチケットをお売りするのですが、諦めてしまう人も出てきますよね。スマホを使ってクレジットでチケットを買えれば、その席は売れたのに……。
コロナを機にチケットレス化を一気に進めようという機運もあったのですが、クラシックの聴衆は高齢者が多く、スマホだと手間取るという慎重論は根強く、結局、元に戻ってしまったように感じます。
――ライブビューイングにしても、チケットレスにしても、新たな客層の拡大につながったかもしれなかったのに、残念な気がします。
入山 コロナ禍を機に生まれた、クラシック音楽界の今後をよくするであろう“副産物”が、意外と失速している。今は元に戻ることに必死という感じがなきにしもあらずです。
――コロナ禍の災いを転じて福となそうという試みが、バックラッシュの局面にあるわけですね。ところで、コロナで露わになったもうひとつの課題に、クラシック音楽が「不要不急」とみなされたことがあります。コロナを経てクラシックに対する社会のそうした見方は変えていけるでしょうか。
入山 これはコロナがあろうとなかろうと、クラシック音楽が抱える大きな課題だったと思っています。クラシック音楽のような普遍的で偉大な芸術が、いかなる事態に直面しようとも廃れるものではありません。しかし、そのことに私たちは安心しきっていたのかも知れません。結論から言うと、これからは「不要不急」と言われないように、社会性を意識した活動を、演奏家もわれわれ事業者もしないといけないと思います。
クラシック音楽が閉ざされた趣味の世界という側面があったのは否めません。一枚数万円もする高額チケットを、「それでも、お好きで買われる方がいますから」と言いながら販売して成り立っていたのは事実です。裏を返せば、多くの人にとってどこか縁遠いものになっていた。
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