
月組全国ツアーの『ブラック・ジャック 危険な賭け』に魅了されてしまった。そして、そんな自分自身の反応に驚いた。いったいどうして、私は3度目の再演となる『ブラック・ジャック』にかくも魅了されたのか? そのことを、これまでの上演を振り返りつつ、考えてみたいと思った。
タカラヅカ版、二つの「ブラック・ジャック」
今回、月組全国ツアーで上演された『ブラック・ジャック 危険な賭け』は、1994年に花組大劇場公演で初演されたものの再演である。初演では花組トップスターの安寿ミラがブラック・ジャックを演じた。手塚治虫記念館の開館を記念した作品で、同時上演されたショーも手塚治虫の漫画をモチーフとした『火の鳥』だった。
『ブラック・ジャック 危険な賭け』は、もちろん漫画「ブラック・ジャック」が原作なのだが、そのあらすじはタカラヅカのオリジナルである。物語の舞台は1980年代、かつて英国領だった南米のとある国だ。この国の女王の命を救ったことで一躍名を馳せたブラック・ジャックが、英国情報部のアイリス中尉から、ある依頼を受ける。彼女は、かつてブラック・ジャックが想いを寄せた女性・如月恵によく似ていた。
アイリスの頼みは、恋人ケインの手術をして欲しいというものだった。ケインもかつては優秀な情報部員だったが、アイリスの命を救った時に受けた傷の後遺症のため、英国情報部の仕事を続けられなくなり、今はブックメーカー(賭け屋)として、やさぐれた日々を送っていた。だが、そのケインが、暗躍する武器ブローカーの企みに巻き込まれていく…。
じつはタカラヅカでは、『ブラック・ジャック』を2013年にも上演している。それが雪組公演『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』で、このときはブラック・ジャックを未涼亜希が演じた。脚本・演出はいずれも正塚晴彦である。ところが、1994年版と2013年版は、まったく違うストーリーなのだ。
2013年版『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』は、ブラック・ジャックを取り巻く人々の物語がオムニバス形式で進行する。永遠の命を与えられているバイロン侯爵(夢乃聖夏)とカテリーナ(大湖せしる)との恋物語、不良少年カイト(彩風咲奈)の改心と成長の物語などである。
この2作品の方向性の違いを象徴するのが、原作の重要なキャラクターであるピノコの扱いだ。1994年版では、ブラック・ジャックはかつての恋人・如月恵への想いを心に秘めており、ピノコはあまり出てこない。いっぽう、2013年版のブラック・ジャックは色恋の気配を感じさせず、相棒ピノコ(桃花ひな)が 唯一の心のよりどころだ。いわば、ピノコがヒロインである。
2016年に出した拙著『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』の中で、私は二つのバージョンについて、「2013年版のほうが原作の世界観に忠実に、つまり今どきの『2.5次元ミュージカル』風に作られているように感じた」と書いている。
私は1994年版を映像でしか見ていないので、正確な比較はできないのだが、少なくとも2013年版を観た直後の私は、「原作の世界観に忠実」という意味で、2013年版がしっくり来ていたのである。1994年版は、タカラヅカ作品に必要不可欠と思われている恋愛要素を、無理やり入れ込んでいるように感じられたのだ。
したがって、初演の1994年版で再演されるとの発表を聞いた時は、正直「何故?」と思った。ところが、蓋を開けてみればこれが大変に面白く観られた。聞けば、脚本は初演からほとんど手を加えられていないという。それなのに、私自身の印象がこれほど変わったのは、いったいどうしてだろう?
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