2022年12月15日
聴覚障碍を持つ女性ボクサーが健気に闘う姿を、岸井ゆきのが絶妙に演じる『ケイコ 目を澄ませて』は、今年の邦画界最大の収穫のひとつだと断言できる傑作だ。
──レフェリーの指示も、セコンドの声も、ゴングの音も聞こえないケイコは、ボクシングへの情熱にかられて、練習を重ね、試合に挑む。が、やがてケイコの心に、ボクシングを続けることへの迷いが生じ、彼女は休養したい旨の手紙をジムの会長宛てに書くが、それを出せないまま時が過ぎていく。そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知り、再起を決意する。自分が自分であるために……。
こうしたシンプルな物語を、監督の三宅唱は、再開発が進むコロナ禍の東京の下町を舞台に、感傷を排した、しかし<情>の表現を逃げない、古典的な正攻法で描き切る(原案は聴覚障碍者の元プロボクサー・小笠原恵子の自伝『負けないで!』)。
まず目を奪うのは、ボクシングの練習に励むさいの、またリング上での攻防のさいの、岸井ゆきの/ケイコの身体のさまざまな動きや様相である。縄跳び、ロードワーク、筋トレ、バンデージを巻かれる手、サンドバッグやパンチングボールへの打撃、ミット打ち、スパーリング、試合での緊迫した打ち合い、試合後の痛々しく腫れ上がった顔……。身長150センチの小柄な彼女の身体が、あるときはリズミカルに躍動し、あるときは立ちすくみ、またあるときはアッパーを食らいアゴをのけぞらせる。
とりわけ、岸井ゆきのが、ミット打ちでコンビネーション・ブローを繰り返すところに目を見張る。撮影に臨んで、岸井がいかにボクシングの訓練を積んだかを端的に示すシーンだが、三宅は、彼女の熱意と身体能力の高さゆえに、彼女のボクシング・シーンをアップでごまかさずに、引きの全身ショットで撮れた、という意味の発言をしている(「映画『ケイコ 目を澄ませて』作りながら自身も変わった」ウェブサイト『創―Tsukuru―』12月6日配信/ボクシングに詳しい知人は、彼女が、ダッキングやUの字状に身をかわすウィービングをしながらコンビネーションを打つシーンに一驚した、と言っていた)。
そして、縄跳びやさまざまな打撃や息づかい、あるいは列車の通過音や川音といった<音響>のクリアさ。生まれつき聴覚を奪われているケイコには聞こえない<音>を、録音の川井崇満は丁寧に拾う。本作が、“目を澄ませて”被写体を見つめる映画であると同時に、<聴く映画>でもあるゆえんだ(劇伴がないことも<音>をいっそうクリアにしている)。
また、ケイコが聴覚障碍者であるという設定/制約の逆手をとって、三宅唱はさまざまな映画的工夫を凝らしている。たとえば、ケイコが他人と意思疎通を図る場面。──手話だけでなく、サイレント映画式の字幕やスーパーインポーズ、あるいは小型の携帯ボードによる筆談が活用されるそれらの場面では、一度ならず、ケイコと相手の意思疎通がうまくいかない、というサスペンスが生まれるが、したがって本作は、“サイレント的トーキー”とも呼べる映画だ。
ケイコのコミュニケーションの相手は、彼女を見守り気づかう脇役たち、すなわち、ジムの会長(三浦友和)、その妻(仙道敦子)、母親(中島ひろ子)、弟(佐藤緋美)、二人のトレーナー(三浦誠己、松浦慎一郎)らであるが、彼、彼女らの演技は、ケイコの感情の起伏を際立たせるような、気張らない、抑えられたものだ。
それでいて、いやそれゆえに、彼、彼女らは確かな存在感を放つが、会長の妻/仙道敦子が、脳梗塞の再発で倒れた夫が入院している病院の一室で、再起を決意したケイコの日記を読むシーンが、なんともいい。そこでは、ケイコの練習風景が映像化され、それにかぶせて、あまり抑揚をつけない仙道の声がオフで流れる、といった細心の<声>の演出がなされるのだ(ケイコが日記に記した、「ボクシングは相手を殺す気でやらないと負ける」という言葉に、再起を決意した彼女の強い思いが滲む)。
また、ホテルの客室清掃係をしているケイコが、職場で上司の中年の女性に、ボクシングと仕事を両立させるなんてすごい、と言われると、仕事のストレスをボクシングで発散している、と答える手話のやりとりも心に残る。
さらに会長/三浦友和の、ボクシングをやっていると頭がからっぽになる、無になるとか、宝くじって本当に当たっているやついるのか、とかの一見なんでもないセリフにも、三宅と酒井雅秋が共同執筆したシナリオの充実ぶりが窺えるが、ボソボソと喋る三浦は、そのニュートラルな風貌ゆえに、どんな役柄にも過不足なく馴染む稀有な俳優だ(同じようなタイプの役者としては、役所広司、松重豊、故・大杉漣くらいしか思い浮かばない)。
先に少し触れたように、ケイコ/岸井ゆきのは、喜怒哀楽や不安や葛藤を、つまり<情>を、さまざまなニュアンスの表情で表す。無表情、あるいは微妙な表情の変化で、または目と鼻と口をくしゃっと歪める岸井独特の演技で、巧みに表現する(いや、巧みにと言っても、“芸達者”の「名演技」とは無縁の、三宅の演出と彼女の素地とが相乗された演技だが)。
さらに後半、練習を再開したケイコが、目を潤ませながらステップを踏み、軽くパンチを繰り出すシーンにもジーンとくる(目といえば、ボクサーとしての突出した才能はないケイコは、目がいい女性、すなわち“目を澄ませて”対象を見つめることのできる選手、という設定だ)。
ケイコは自分が生まれた東京・荒川区のジム(その名も「荒川ジム」)に所属しているが、その下町界隈の風景をフレームに切り取る月永雄太のカメラも素晴らしい。たとえば、ケイコがロードワークを行い、会長と二人でストレッチなどをする早朝の河川敷や、時代から取り残されたような古びたジムが面している狭い路地に漂う、黄ばんだような、くすんだような弱い日差し。
それらの景色は、
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