『千代田区一番一号のラビリンス』『無人島のふたり』『戦争日記』……
今野哲男(編集者・ライター)
豆塚エリ『しにたい気持ちが消えるまで』 (三栄)
どうしてこの本かということについては、既に本欄で書いたからもう繰り返さない。ただ「私のベスト1」と問い、問われたときに、「私」にとっては、この一冊しか考えられないということである。
著者が「投身自殺」にまで追い込まれて選んだ決意は、「生きるために死ぬ」という背理の裏に「身体が生きたがる」という想定外の事実を持っていた。たとえ無意識にせよ、それが著者の潜在的な認識だったことは、本書の各所に見つけだすことができる。当時16歳だった彼女に、たとえ商業的な出版であれ、ここまで書かせることができた不思議、これを「私」は「詩的な跳躍」と呼んだ。この本にあるそういったジャンプを肯定する著者本来の力である。その証拠に……などと、やぼなことはもう言うまい。前述の原稿で触れた荒井由実(松任谷由実)の「ひこうき雲」と本書本文との比較で、「私」にとっては、もう十分な証拠だったのだから。
佐藤美奈子(編集者、批評家)
小川哲『地図と拳』(集英社)
“history”の語源を尋ねるまでもなく、「歴史」と「物語」は互いに親和性の高い語だ。ファクトとフィクション、真実とポスト真実の問題がますます私たちを混乱させている有り様は、「歴史」と「物語」がもともと深く関連し合う語であることと無縁ではないのだろう。そのせいかどうか、「歴史」と「物語」のあいだについて考えさせる作品に惹きつけられる1年だった。
圧倒的だったのが、小川哲『地図と拳』である。日露戦争開戦前から太平洋戦争に至る日本の近現代史が、「満洲」にある架空の理想郷「李家鎮=仙桃城」をめぐって錯綜する、複数視点によるストーリーを通して浮かび上がる。大河小説を読む醍醐味とともに、言葉と観念が歴史をつくっていくスリル、怖さを味わった。
もう一作、触れずにいられないのが島田雅彦『パンとサーカス』(講談社)だ。日本の戦後史と近未来を舞台に、もはやこちらが現実では? と感じさせる物語。新聞連載中から目が離せなかった。
中嶋廣(元トランスビュー代表)
ベスト1と言いながら、双方譲らず2冊挙げることになった。
鷲見洋一『編集者ディドロ──仲間と歩く『百科全書』の森』(平凡社)
まず文体。「です・ます体」を用い、「注」は付けず、参考資料・文献一覧も省略する。その結果、900ページの本が飛ぶように読める。ディドロを中心とする18世紀のフランスが生き生きと蘇り、ポリフォオニックで複眼的、独創的な世界が出現する。鷲見洋一は歴史を叙述する新しい文体・方法を見出したのだ。そういう能書きは別にして、とにかく一度本を開けばたちまち惹きつけられ、閉じることができないほど面白い。
紅谷愃一『音が語る、日本映画の黄金時代──映画録音技師の撮影現場60年』(河出書房新社)
黒澤明や今村昌平、石原裕次郎や高倉健に信頼され続けた録音技師の60年の回想。私はこの書物を読んで、映画の見方がガラリと変わった。映画音楽は一部に過ぎない。サウンドデザインとしての音は、意識されにくいのだ。これまでの映画批評は、実に半分しか見えていなかったのだ。もう一度最初から、全部の映画を観なおしたい。そう思わせる本だ。この本が、私が生きている間に出て本当によかった。