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必見! ピエール・エテックス特集──フランス喜劇映画の秘宝

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 フランス喜劇映画の“知られざる天才”、ピエール・エテックス(1928~2016)。彼の監督作品は権利問題のため長らく上映されなかったが、ジャン=リュック・ゴダールら多くの映画人の署名活動により、2010年の裁判で勝訴した彼は、自作の上映権などを取り戻した。

 その結果、エテックスのほとんどの作品はデジタル修復され、多くの国で上映されるようになったが、このたび、日本でも7作品──長編4本と短編3本、うち6本が劇場未公開──が、一挙公開される(「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」12月24日~)。映画史の大きな欠落のひとつを埋める貴重な特集だが、以下ではエテックスのプロフィールを素描したのち、今回の演目中もっとも充実した作品であろう、モノクロの長編3本──『恋する男』、『ヨーヨー』、『健康でさえあれば』──を論評し、またその他の上映作品についても寸評したい。

「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」 12月24日(土)より、東京・「シアター・イメージフォーラム」ほか全国順次公開 配給:ザジフィルムズ 『ヨーヨー』 © 1965 - CAPAC拡大『ヨーヨー』 © 1965 - CAPAC/「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」 12月24日(土)より、東京・「シアター・イメージフォーラム」ほか全国順次公開 配給:ザジフィルムズ 

映画監督、俳優、ギャグマン、道化師……

 映画監督、俳優、ギャグマン(ギャグの作者および演者)、イラストレーター、道化師、手品師、ミュージシャンとして活躍したエテックスは、文字どおり多芸多才なアーティストだったが、幼少の頃から、バスター・キートン、チャールズ・チャップリンなどのサイレント喜劇に傾倒し、また、生まれ故郷ロアンヌにやってきたサーカスに魅せられ、そこで活躍する道化師たちに憧れた。

 そして、16歳の頃から地元のミュージック・ホールで道化師として人気を博したエテックスは、手品やパントマイムの芸を磨いていくが、1954年にフランス喜劇映画の最高峰、ジャック・タチとの運命的な出会いを果たす。タチの自作自演映画『ぼくの伯父さんの休暇』(1953)──タチ演じる放浪紳士ユロ氏が無言のパントマイム芸をみごとに披露する──を見て感嘆したエテックスは、芸の助言を求めにタチのもとを訪れたのだが、それが縁でタチの新作『ぼくの伯父さん』(1958)の挿し絵画家、アシスタントとして採用される。

 さらに、エテックスをもう一つの運命的な出会いが待ち受けていた。『ぼくの伯父さんの休暇』と『ぼくの伯父さん』のノベライズを請け負うことになったジャン=クロード・カリエールと知り合い、意気投合するのだが、以後、エテックスとカリエールは盟友となる。

 なお今回上映される、1961年から69年にかけて発表されたエテックスの7本はすべて、カリエールが脚本を執筆しているが、のちに彼は名脚本家となる(ルイス・ブニュエル『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)、ゴダール『勝手に逃げろ/人生』(1980)、大島渚『マックス、モン・アムール』(1986)などなど)。


筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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