2022年12月23日
フランス喜劇映画の“知られざる天才”、ピエール・エテックス(1928~2016)。彼の監督作品は権利問題のため長らく上映されなかったが、ジャン=リュック・ゴダールら多くの映画人の署名活動により、2010年の裁判で勝訴した彼は、自作の上映権などを取り戻した。
その結果、エテックスのほとんどの作品はデジタル修復され、多くの国で上映されるようになったが、このたび、日本でも7作品──長編4本と短編3本、うち6本が劇場未公開──が、一挙公開される(「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」12月24日~)。映画史の大きな欠落のひとつを埋める貴重な特集だが、以下ではエテックスのプロフィールを素描したのち、今回の演目中もっとも充実した作品であろう、モノクロの長編3本──『恋する男』、『ヨーヨー』、『健康でさえあれば』──を論評し、またその他の上映作品についても寸評したい。
映画監督、俳優、ギャグマン(ギャグの作者および演者)、イラストレーター、道化師、手品師、ミュージシャンとして活躍したエテックスは、文字どおり多芸多才なアーティストだったが、幼少の頃から、バスター・キートン、チャールズ・チャップリンなどのサイレント喜劇に傾倒し、また、生まれ故郷ロアンヌにやってきたサーカスに魅せられ、そこで活躍する道化師たちに憧れた。
そして、16歳の頃から地元のミュージック・ホールで道化師として人気を博したエテックスは、手品やパントマイムの芸を磨いていくが、1954年にフランス喜劇映画の最高峰、ジャック・タチとの運命的な出会いを果たす。タチの自作自演映画『ぼくの伯父さんの休暇』(1953)──タチ演じる放浪紳士ユロ氏が無言のパントマイム芸をみごとに披露する──を見て感嘆したエテックスは、芸の助言を求めにタチのもとを訪れたのだが、それが縁でタチの新作『ぼくの伯父さん』(1958)の挿し絵画家、アシスタントとして採用される。
さらに、エテックスをもう一つの運命的な出会いが待ち受けていた。『ぼくの伯父さんの休暇』と『ぼくの伯父さん』のノベライズを請け負うことになったジャン=クロード・カリエールと知り合い、意気投合するのだが、以後、エテックスとカリエールは盟友となる。
なお今回上映される、1961年から69年にかけて発表されたエテックスの7本はすべて、カリエールが脚本を執筆しているが、のちに彼は名脚本家となる(ルイス・ブニュエル『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)、ゴダール『勝手に逃げろ/人生』(1980)、大島渚『マックス、モン・アムール』(1986)などなど)。
■『恋する男』(1962:長編デビュー作だが、封切り当時(1963)、『女はコワイです』のタイトルで日本公開された唯一のエテックス作品)
可能なかぎりセリフを切り詰め、説明を排した視覚的ギャグ(とりわけ身体的ギャグ)と音響的ギャグを駆使する、というエテックスの独自性/作家性を、すなわち、彼ならではの、いわば“サイレント的トーキー”の作風を確立した記念すべき映画。
物語は、天文学に没頭する30歳の引きこもり男が、両親から結婚を命じられて一念発起、ガールハントに精を出す……という展開だが、随所に仕掛けられたエテックス的ギャグは、抱腹絶倒の爆笑ではなく、クスクス笑いを誘う、奇抜だが味のあるものだ。何より、キートンやタチから受け継いだ無表情を崩すことなく、ときに素早い身のこなしを見せ、ときに体をつっぱらせて立ち尽くすエテックスが、さまざまな女性と出会い、すれ違う様が淡々と描かれ、そこはかとないユーモアを醸す。
また、彼が恋焦がれる歌手のステラ(フランス・アルネル)の大小無数の写真が所狭しと貼られた部屋の壁や、エレベーターを使った垂直運動のギャグ(そこで彼を手こずらせる豊満な酔っぱらい女のクネクネ感も、おかしい)にも、エテックスの抜群の“映画勘”が脈うっている(人や機械の動きが制御不能になるギャグは、古典的コメディー以来の定番だ)。
さらに、ステラの魅力にとり憑かれた主人公を、ブニュエルの『エル』(1953)やアルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(1958)の主人公のような、“狂気の愛”を病んだ偏執狂ではなく、飄々とした人物として描く点もエテックスのエテックスたるゆえんだ。なお、道化師ひいてはサーカスのモチーフが初めて表れたエテックス作品である本作は、キートンの“求婚映画”『セブン・チャンス』(1925)、『結婚狂』(1929)に着想を得ている。
またエテックス/カリエールは、脚本に3年、カット割りの構想に半年を費やしたというから驚きだが、タチ同様、完璧主義者であったエテックスは、それゆえ“師匠”と同じく寡作を強いられた(本作は1962年のルイ・デリュック賞を、アラン=ロブ・グリエの『不滅の女』と分け合う形で受賞)。
■『ヨーヨー』(1964)
主人公は、180室以上もの部屋のある大きな城に住む億万長者、およびその息子。二人の人生を、1925年を起点として、大恐慌と第二次世界大戦を挟んで描く架空の傑作伝記映画である。そして、当時のサーカスで活躍したスターたちが多く出演している本作には、エテックスのサーカスへの強い愛着も顕著だ(サーカスは戦争と同様に、そのスペクタクル性、活劇性ゆえに映画とは相性がいい)。
──大恐慌で破産した父親(エテックス)はかつて愛したサーカスの曲馬師の女性(リュス・クラン)と再会し、自分と彼女との間の息子であったとのちに知る子供と3人で、サーカスのどさ回りの旅に出る。息子は長じてヨーヨーという道化師になるが、エテックスが一人二役で演じるヨーヨーは、第二次大戦後、廃墟と化している父の城を再建しようと躍起になる。やがて、イゾリーナという美貌の空中ブランコ乗りの女性(『007 サンダーボール作戦』(1965)で知られるクローディーヌ・オージェ!)に恋をしつつも、ヨーヨーは道化師を引退し興行プロデューサーとして身を立て成功を収めるが……。
『ヨーヨー』ではまた、ドラマの背景となる時代の推移/社会の変化、すなわち<歴史>がきわめて映画的な(映画以外では不可能な)手法で活写される。──3分の1を過ぎたあたりで、大恐慌とトーキー映画が始まる1929年に場面が変わり、ナレーションが不況による自殺者の急増などを簡潔に告げると、ビルの屋上から次々と投身する人々が映る。決して笑えるシーンではないが、彼らの一人が、水泳の飛び込み競技のようなポーズから宙に身を躍らせる瞬間が、奇妙にショッキングだ。……「社会問題」が説明ではなく身体的アクション──ブラック・ユーモアすれすれの──として、“非深刻化”されて描かれるこのシーンには、それゆえ、かえってインパクトがあるのだ。
──さらに時が経過して、ナレーションが国際情勢の悪化と第二次大戦の勃発を告げると、防毒マスクをして野原を散歩する男女や、巨大な飛行機が小型機をパクリとのみ込む様や、はたまた拳を振り回して演説するヒトラーが映るが、この一連においても、社会の変動とそれがもたらす災厄を、性急なリアリズムで描かずに、コメディーに昇華して表象するエテックスの描法が素晴らしい。
さらに本作には、より純粋に喜劇的ギャグ──精妙かつ簡潔なエテックス的ギャグ──も目白押しだ。たとえば冒頭の、扉の開閉が軋(きし)るような音をたてる聴覚的ギャグの反復、額の中のエテックスの肖像が動き出し、額から出て主人公として登場する場面、そして人物が絵に描かれたモノを取り出す奇術的な瞬間の妙味(額の絵とは、いわば“画面内画面”だ)。あるいは、これまた絵に描かれたピエロの鼻を手で押すと、本棚が横に大きく移動して隠し部屋が現れるシュールさ。
さらに、巡業用キャンピングカーでの移動シーンで披露されるさまざまな身体的ギャグや、象、犬、大蛇、ウサギなどの動物が登場する場面の無類の愉快さ(これらもエテックスのサーカスへの偏愛を示すものだが、ラスト、ヨーヨーが象に乗って遠ざかっていくショットの鮮明さはどうだろう)。
しかしそれらは、決してキートンやチャップリンやマルクス兄弟の映画で起こる過激なスラップスティック(ドタバタ)/大騒動には至らない。エテックスのギャグの魅力は、あくまで控えめで簡潔な<寸止め感>にある。むろんこれは、エテックスがジャック・タチの“弟子”であったことの証しだが、ただし、タチの慎ましくミニマルなギャグに比べると、エテックスのギャグにはいい意味のケレンがある。これは、シュールな奇想を得意としたカリエールの脚本によるものでもあろう。
なお、1929年までを字幕付きサイレントで、その後を前述のナレーションを含むトーキーで描くという構成も、なんとも卓抜だ(本作も脚本執筆に半年、撮影に14~15週間、編集に2か月をかけた労作)。
■『健康でさえあれば』(1965:パートカラー)
ストレスの多い現代人の生活を風刺的に描いた4部構成のオムニバス。第1部「不眠症」はドラキュラ映画形式の趣向で、なかなか寝つけない主人公(エテックス)が吸血鬼の本を読み出すと、その内容が映画内映画として映像化される点や、本を読む主人公と本の内容の映像が交互にカットバックされる点がユニークだ(現実の世界はカラー、吸血鬼をエテックスが一人二役で演じる本の世界は青みがかったモノクロ)。寝室の場面で、主人公がパイプを吸うと、隣で眠っている妻の鼻から煙が出たり、彼が眠くなると画面に幕(瞼)が下りてきたりと、ギャグもすこぶるハイレベルだ。
第2部「シネマトグラフ」は、おそらく敬愛するキートンの『探偵学入門』(1924)へのオマージュと思しき、エテックスの主人公が映画館で幕間に流れる広告を見ているうちにスクリーンの中に入ってしまうトリックや、スプレーが手りゅう弾になるギャグに目を見張る。
第3部「健康でさえあれば」は、
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