『ウトロ』『歴史の屑拾い』『未完の敗戦』
2022年12月26日
今年2022年の最大のニュースは、安倍元首相狙撃・殺害事件であろう。今日このようなことが起こるとは恐らく誰も予想していなかった、戦後最大の事件と言ってもいい。
ところが、安倍元首相の死後、国葬の是非と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への“制裁”に話題が移り、事件そのものの衝撃は長く続かなかったように思う。生前の安倍元首相の業績が称揚されることも少なく、一方で様々な疑惑や負の遺産──「モリカケ問題」「桜を見る会」「新型コロナ禍対策」「東京オリンピック強行」等々も、「旧統一教会と政治」の問題に覆い隠されてしまったかのようだ。ぼくにはどうしても「安保関連法制」と結びついてしまい、とても象徴的に思える殺害容疑者=元自衛隊員という事実も、今はもう霞んでしまっているようである。
積み残された問題の一つに、韓国の人々から戦時の強制労働の補償を求められている「徴用工問題」がある。
ウトロの在日コリアン集落は、中国との戦争の長期化、欧米との関係悪化の中で1940年に着工された「京都飛行場」建設に起源がある。1943年、滑走路用の土砂を採取した後に出来た「くぼ地(宇土)」に、集められた朝鮮人労働者の飯場が統合された。宇土口(うどぐち)の読み間違えである「ウトロ」が後に正式な地名になったという。
地名が表すようにウトロは「くぼ地」であるから、何度も水害に襲われた。下水道も浄化槽もないから、台風のたびに、共同便所から糞尿が溢れ出す。住み家は、雨漏りはもちろん、隣家との隔ても十分ではなかった。壁に空いた穴からお隣の様子がわかる。時にその穴を通して食事のやり取りをしたという。安普請は、住民の結束も強めたのである。
敗戦直後の混乱を抜け出した日本は、在日コリアンを、より過酷な状況に追いやった。
1952年4月28日、ウトロ住民らを含む在日朝鮮人、台湾人は、植民地化で強要された日本国籍を今度は一方的に喪失させられ、戦後補償、社会保障の対象外とされる。
そして、「解放」された祖国を分断する戦火。住処に隣接する、自分たちが建設した軍事飛行場には、連合軍が進駐していた。
「鉄くず拾って売ってたけど、あれ結局朝鮮に流れて、戦争で使ってたんだと今思うのです。……自分の国、滅ぼしてくれいうて鉄、運んでいるようなものです。当時そんなん分からへんやん。ただ食うだけのことや」(P.108)
生きるための「闇」酒、「闇」煙草の製造は警察の介入の恰好の材料となり、唯一可能だった生活保護は、しばしば「不正受給」摘発の対象となった。
そのように在日コリアンを経済的に追い詰めることは、1959年に始まる北朝鮮への「帰国事業」とセットであった、と中村は指摘する。「歴史の証人であり、謝罪と補償の対象である在日朝鮮人」の国外追放こそ、政府にとっての「帰国事業」だったのである。
時代は下り1980年代、思いもしなかった問題が住民たちを襲う。土地登記社である日産車体(飛行場建設時の登記者である日本国際航空工業が、敗戦後に日産と合併し出来た会社)が、在日コリアンのウトロ居住を「不法占拠」として、買い取りか明け渡しかと迫ったのだ。
騙し同然で集めて重労働を課し、何の補償もなく放ったらかしにしておいて今さら出ていけとは、何をか言わんやである。そもそも土地の所有権とは一体何なのか?
裁判への戸惑い、強制執行の恐怖、地上げ屋の跋扈、同胞の「裏切り」……。だが、一方で日本人協力者、援助者も現れ、韓国の民主化が故国の人々の目をウトロに向けさせた。韓国政府や運動団体の日本の政府や行政への働きかけ、そして市井の人々の広範な寄付がウトロの人々を支援し、奮い立たせる。
ウトロの歴史は、戦後日韓史の縮図なのだ。それは、植民地支配の歴史的責任、戦後補償の棚上げを問う、ウトロ住民の困難にして不屈の闘いの歴史である。
『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』に記されたような当事者の貴重な証言が、歴史学にとっていかに重要かを、藤原辰史は『歴史の屑拾い』(講談社、2022年10月)で繰り返し説いている。藤原は、自らの歴史学を「屑拾い」と言う。歴史の「大きな物語」は、常に勝者によって書かれた。それぞれの時代の人々の具体的な生を復元し全体像を掴むため、藤原は、「大きな物語」に接続しえず顧みられなかった名もなき人々の日記や生活記録へと視線を落とす。
20年間の聞き書きを『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』に纏(まと)めるにあたって、中村一成は二つの対照的な困難を感じている。一つは聞き取りの内容が余りに豊饒であったため、本にするに当たって削除せざるを得ないことへの葛藤、一方で、識字率の低い極貧の集落で、「郷土史家」もいないウトロの人々の体験を時系列に位置づけることの困難である。
だが、ウトロの歴史的経緯と、敗戦後も振るわれ続けた構造的暴力の量と質、今なお残る(時にますます強まる)レイシズムを思いながら、中村はその困難に立ち向かった。
“遺されたものが歴史と向き合う上で大事なのは、客観的事実以上に、彼彼女らにとっての真実だと思う。誤解を恐れずに言えば、語られたことが事実である必要はない”(『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』P.347)
証言も筆記も人間の営みだから、誤りも虚偽もそこに潜入し得る。相互に矛盾する場合もあるだろう。そもそも膨大な数の史料のどれを選択して「歴史」を組み立てるかが難しい。
そうした史料を利用するにあたって、藤原は次のように提言する。「一次資料を恣意的に選択し配置することは、読者の感情にダイレクトに訴えるのと引き換えに、ひとりよがりな歴史観への扇動や誘導にも容易につながる」から、「できるかぎり多くの史料と歴史研究を読み込み、出来事の文脈を探らなければならない」(『歴史の屑拾い』P.103)。
「できるかぎり多くの史料を読み込むこと」は、その都度参照すべき時代の全体的な傾向を掴むのに役立つし、多くの歴史研究を読むことで、先人や研究者仲間の助けを得ることができる。歴史研究は共同作業であり、個人の恣意的な創作ではないのだ。
“大事なのは、方法をあれこれ模索すること以上に、自分を惹き付けてやまないテーマと出会い、それに振り回されつづける、ということに他ならない”(同P.63)
『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』や既刊著作を貫く中村一成のテーマは、戦後日本が在日コリアンを遇してきた「歴史的経緯と、敗戦後も振るわれ続けた構造的暴力の量と質」であろう。
「約80年前の戦争の清算」、或いは「77年前の敗戦の清算」がなされていないことを明らかにするために、山崎雅弘は『未完の敗戦』(集英社新書、2022年5月)の冒頭で、コロナ禍のさなか多くの国民の反対を押し切って強行された2021年の東京オリンピックを総括、
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