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システムとしてのお墓の限界──「守る人」の存在が不安定に

[22]お墓のあり方が多様化していく理由

薄井秀夫 (株)寺院デザイン代表取締役

お墓に入る人/お墓を守る人

 人が死んだら遺骨を納める「お墓」。ほとんどの人はその言葉から、「○○家」という家の名前が刻んである、縦に細長い長方形の石を思い浮かべるだろう。

 近年では、デザイン性の豊かな墓石が建立されたり、樹木葬でのように、これまでとは新しい形式のお墓がつくられたり、お墓の多様化が進んでいる。

 それでも、和型墓石と呼ばれる、縦長の石のお墓がまだまだ主流であることは変わらない。

 現代のお墓というものは、構造的には、遺骨を入れる小さな部屋(カロートと呼ばれる)と、その上に建てられている墓石から成り立っている。

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 これはそれぞれ、遺骨を入れて保管するという機能と、故人の「しるし」という機能がある。「しるし」の機能はさらに、故人を記録する、記念する、というメモリアル的機能と、故人に祈りを届ける、故人と対話する、という依り代的な機能に分けられる。

 これらのうち、お墓がお墓である所以は、依り代的な機能にある。

 保管の機能だけであれば倉庫で充分であり、メモリアル的機能だけであれば街角や家の庭に記念碑を建てればいい。そこに依り代的な機能が加わるから、石というモノが、お墓となり、手を合わせる対象となる。

 またお墓には、そこに入っている人(遺骨)と、それを守る人がいる。死者と生者と言ってもいい。

 お墓における主役は、もちろんお墓に入っている死者である。

 一方でお墓を使うのは、生者であり、遺された家族である。つまり、お墓は、それを守る人がいないと成り立たない。

 ところが、このお墓を守る人に、近年異変が起きているのだ。

 それは、お墓を守る人という存在が、極めて不安定になってきているということである。

守る人がいないお墓

 現代では、少子化の波が進み、子どものいない人、子どもがいても娘だけの人が増えている。

 お墓は死者が主役であるが、それを守る人がいないと維持することができない。少子化が進む中で、守る人がいない、あるいは将来守る人がいないお墓が増えているのである。

 例えば子どものいない夫婦の場合、どちらか先に亡くなった人の遺骨は、遺されたつれ合いの手によってお墓に納められ、供養される。ところが、後に亡くなるつれ合いの遺骨は、それをお墓に持ってくる家族がいない。運よく親類らの手助けで無事遺骨がお墓に納められても、今度はお墓を管理し続ける人がいないということになる。

 息子がいれば特に問題無いが、娘しかいない場合も、いろいろと不都合なことが出てくる。もちろん娘がいれば、遺骨を無事お墓に納めることができるが、今度は、そのお墓を娘が守ることになる。

marokemaroke/Shutterstock.com

 現代では、明治以来の家制度はほとんど崩壊しているが、お墓に関しては家意識が色濃く残っていて、お墓を守るのは長男と考えている人が多い。特に女性の場合、実家のお墓を守り続けるには、嫁ぎ先に気を遣わざるを得ない。嫁ぎ先の理解を得られたとしても、お墓が二つあるということで、経済的負担も2倍になっていく。現実的には、両家のお墓を守ることは簡単ではないのである。

非定住時代のお墓

DaphniaDaphnia/Shutterstock.com

 また、決まった場所に何代にもわたって住み続ける人が少なくなっていることも、お墓のあり方に影響を与えている。

 かつての日本は、農業に携わっている人口が多く、定住型の社会であった。特に地方では、何代にもわたって同じ家に住み続けるのが当たり前だった。 

 ところが、第一次産業に従事する人が減り、会社勤めをする人が増えてくると、同じ場所に住み続けることが当たり前ではなくなってくる。また子どものうちは親と同居していても、大人になると家を出て、別に暮らす人も多い。

 つまり定住という文化が無くなってきているのである。

 一方お墓は、ずっと1カ所にあるのが当たり前という意識の人が多い。お墓は未だ定住文化の中にあるのである。

 本当は住んでいる場所の近くにお墓があったほうが、お参りもしやすいし、便利である。

 ただ現実問題として、住む場所が変わった時に、お墓の引っ越し

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