メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

貧困と閉塞感、沖縄の若者たちを描いた痛切な物語──映画『遠いところ』

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

逃げ出せない若者たち

©️2022「遠いところ」フィルムパートナーズ映画『遠いところ』 ©️2022「遠いところ」フィルムパートナーズ

 昨年(2022年)末、工藤将亮(くどうまさあき)監督が撮った『遠いところ』(2022)の試写を見る機会があった。

 沖縄の貧しい若者たちを描いた劇映画である。主人公のアオイ(演:花瀬琴音)は17歳。コザあたりのキャバクラで働いている。開巻直後、そのキャバクラで彼女と仲間の海音(ミオ、演:石田夢実)が客の男たちと交わす会話が聞こえてくる。

 「君たち、めちゃくちゃ若くない? 今、何歳?」
 「いくつだと思います?」
 「18とか?」
 「うーん……もっと下かもしれないし」
 「17歳!? 東京じゃありえないよ!」
 「中学からキャバ嬢は、あたりまえだよね?」

 アオイには子どもが一人いる。朝まで店で働いて、覚束ない足取りで祖母(演:吉田妙子)の家へ向かう。険しい表情のおばぁからケンゴを引き取り、自宅へ連れ帰ると、酔いつぶれた夫マサヤ(演:佐久間祥朗)はまだベッドに倒れ込んだままだ。3人の朝食風景。マサヤはアオイに「最近よく働くな」と声をかける。「だって、お金ないのに……」と返すアオイに、「時給2500円貰ってるんだろ?」と被せる。家計の負担は、どうやら17歳の妻の方により大きく傾いているようだ。

©️2022「遠いところ」フィルムパートナーズ©️2022「遠いところ」フィルムパートナーズ

 マサヤは建築現場で働いていたが、不熱心な勤務態度を現場監督に注意され、仕事に行かなくなってしまう。ところがこの気弱な男は、妻に「働け! カネを入れろ!」と詰め寄られると逆上し、彼女を殴る。どうやら、こうした事態は若い夫婦の日常茶飯事らしい。

 マサヤはアオイが隠していたカネを持ち出し、彼女の追及に遭うとその暴力をエスカレートさせる。顔のかたちが変わるほど殴られたアオイ。さらに残りのカネを脅し取ったマサヤは、「病院に行けよ」と言い残してアパートから立ち去る。

 『遠いところ』の主題は、沖縄の若者たちにまとわりつく貧困と、そこから抜け出せない閉塞感から発現する暴力である。“遠いところ”とは、彼らが言葉にならないままに憧れる、ここではない何処かだ。

「沖縄ブーム」の裏側で

 本作は、アジア映画を中心とする国際映画祭、「第23回東京フィルメックス」で昨年、観客賞を受賞したほか、チェコのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭などで上映され、高い評価を得ている。公開予定は本年7月と聞くが、現在そのための宣伝費などを募っている(詳細は記事末尾を参照してください)。

 私事で恐縮だが、昨年末に沖縄の「本土復帰」50年を振り返って、『沖縄の岸辺へ──五十年の感情史』(2022)を上梓した。サブタイトルに「感情史」と付けたのは、論理や思想では捉えきれないもの、沖縄社会にたち込める気配を掬い上げたいと思ったからだ。

 復帰後の50年は、南の島に経済振興策や観光ブームと共にさまざまな負担や危険や不公平を押し付けてきた。そのたびに小さな島は、無数の慨嘆や憤懣や憂鬱を溜め込んだ。沖縄の人々が観光客に見せる笑顔の裏には、やりきれないフラストレーションが積もっている。

 私がもう一つ、今度の本で焦点を当てたいと思ったのは、1990年代以後の「沖縄ブーム」に同期して盛り上がったウチナンチュたちの内発的な沖縄再発見ムーブメントである。それは、島唄と総称された多彩な歌曲、現実と幻想を平気で跨ぎ越す映画、沖縄人気質を捨てようとして捨てきれない高校野球、さらにサブカル特有の自己批評的な味わいを持つ出版物や笑いの芸など多岐にわたった。

 ただ、こうした百花斉放のウチナーポップカルチャーの背後では、公共事業への依存を脱却できない産業経済の弱体、本土との格差が縮まらない所得の低迷が、結果として貧困層の深刻な社会問題を生み出していた。

 その複雑な問題群の原因の一つが米軍基地の存在であり、もう一つが基地を押し付けている本土の「構造的差別」であることは間違いないだろう。差別される側の社会が、その歪みを内部の退廃と暴力へ転嫁することはよく知られていることである。

少女たちの連帯

 沖縄の若者たちの姿を間近で観察し、記録し、広く知らせたのは、現地のジャーナリストや社会学者たちである。中でも、私たち本土の人間がその手法と筆力に圧倒されたのは、上間陽子の『裸足で逃げる──沖縄の夜の街の少女たち』(2017)などの著作である。

 上間は10代から20代のキャバクラや風俗店で働く女性たちのケアや支援を行いながら聞き取りを続け、一連の論考で彼女たちが体験した(多彩なようで実はよく似た)出来事を丹念に綴っていった。セックスと家族と暴力の記録は、沖縄の下層社会の困窮と悲劇を冷静な筆致で写し取っている。

上間陽子『裸足で逃げる──沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)の著者・上間陽子

 『裸足で逃げる』のエピソードの一つ、「記念写真」には、「翼」と「美羽」の二人の女性が登場する。彼女たちは同じ店で働き、美羽は幼い子どものいる翼をなにくれとなくサポートしている。翼が夫の暴行で顔に大怪我をすると、美羽が助けにやってくる。

 アパートを訪れた美羽は、翼に「大丈夫?」とは言わない。

・・・ログインして読む
(残り:約2134文字/本文:約4265文字)