2023年01月19日
舞(福原遥)がIWAKURAの営業担当になった。ハカタエアラインの内定を断り、亡き父(高橋克典)が残したネジ製造会社の再建に向けて本格始動だ。リーマンショックが連れてきた人生の大転機。うまくいきますように。そしてこのドラマを包む空気が、もう変わることがありませんように。
というわけで朝ドラ「舞いあがれ!」だ。昨今の風潮にあらがうよい作品で、“佳作”という表現がふさわしいと思う。2022年の“傑作”ドラマ「エルピス」(カンテレ・フジテレビ系)のように「あらがうぞ!」とぐいぐい訴えかけるタイプではない。だけど「あらがってくれている」と癒やされる。支えているのは、ヒロイン舞をはじめとする口数少なめな登場人物たちだ。
朝ドラ界において、口数少なめヒロインは珍しいことではない。「べっぴんさん」(16年後期放送)もその一つだった。ヒロイン(芳根京子)は何かを語る時に「なんか、なんかな」と逡巡した。そこに注目はしたが、心引かれたわけではなかった。それが「舞いあがれ!」では、「口数少なめ」に激しく引かれる。なぜだろう。
自分で自分を分析するに、世の中全体が当時よりずっと「口数多め」になっているからだと思う。論破したり暴露したりで名をあげる人はごく一部だとしても、SNSというものは結局、自分が「真ん中」にいることを「大声で」アピールする手段なのだ。そんな世の中に感じる苦さが、自分の中で増している。
「舞いあがれ!」は主題歌がこれまた“佳作”でとてもよい。若い男子(なのだろう、「back number」というテロップに流れるバンド名しか知らないが)の声が、「公園の落ち葉が舞って飛び方を教えてくれている」と歌いだす。「親切にどうも」と落ち葉に礼を言い、「横切った猫に不安を打ち明けながら」君に会いたいのだと続ける。
ささやか、という言葉が浮かんだ。そうだ私は、ささやかな人のささやかな声を聞いていたい。プレゼンだの強みだのという概念が、ビジネス現場だけではなく日々に侵入してきている時代だから、落ち葉や猫と会話する人が愛おしい。
back numberは22年暮れの紅白歌合戦に出るだろうなー、と思っていたら「出ない」と話題になった。出ない方が例外になっている朝ドラ主題歌と紅白の関係だから、「真ん中」でなくてよいとのメッセージかも、と勝手に解釈していた。結局「特別枠」での出場になり、これも話題になったけれど、とにかくこの歌にもドラマにも肯定されているような気分になっていたのだ、途中までは。
で、冒頭だ。「このドラマを包む空気が、もう変わることがありませんように」と書いた。これまでの「舞いあがれ!」を大きく「①子役期」「②航空学校期」「③卒業後」と分ける。②だけ、まるで空気が違った。原因はわかっている。脚本家が違うのだ。
21年に桑原亮子さんのオリジナル脚本と発表された「舞いあがれ!」だったが、22年に嶋田うれ葉さんと佃良太さんも加わると発表された。不穏な空気に心配したが、①が桑原さん、②が嶋田さんと佃さんで、③は桑原さんに戻った。「心の傷を癒すということ」(20年、NHK)が本格的な連続ドラマデビューという桑原さんだから、サポートのための臨時措置なのかもしれない。だったら、ここからはずっと桑原さんでお願いしたい。
と要望を伝えたところで、①と③にあって②にないのが、「落ち葉と猫」の世界観だ。例えば①に登場したスミちゃん。学校の飼育小屋のうさぎ。体の弱い舞(浅田芭路)が勝手に名付けてそう呼んでいるのは、いつも隅っこにいるから。そう、「落ち葉と猫」の世界とは、隅っこへの愛なのだ。
舞の友人は、同級生で隣に住む貴司(齊藤絢永)と飼育係の久留美(大野さき)。貴司は文学少年で、久留美は仕事の続かない元ラグビー選手の父と2人暮らし。3人ともが「真ん中」にはいないし、口数も少なめだ。この3人が仲良くする様子はささやかで温かく、よい脚本だとしみじみした。
好きなシーンを二つ。一つ目は体の弱い舞が母(永作博美)の故郷の長崎・五島で療養し、健康になって東大阪に戻ってすぐ。
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