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高橋幸宏さんのやさしさと強さが残した音楽の“ニュアンス”

印南敦史 作家、書評家

誰もが魅了される人柄

 突然届いた高橋幸宏さん逝去の報に際し、日本を代表するサウンドエンジニア・DJであるDub Master XさんがSNSに以下のような文章を寄せていた。

自分にとっての音楽の先生みたいな人達が鬼籍に入って行くのは寂しいけれど、それだけ自分も歳をとってしまったということなのだなぁ。幸宏さん71歳とか聞くとあと11年かよ……とか思ってしまう(筆者注:1952年6月6日生まれとのことなので、亡くなった時点では70歳)。11年で何できる?誰とどれだけ音楽出来る?とか。ほんと真剣に考えるよね。

 Dub Master Xさんと私は同い年なので、この気持ちはとてもよくわかる。本当に、あと10年、11年でどれだけのことができるのだろう? そのとき、私はどんな気持ちなのだろう? 決してひとごとではなく、そんなことを切実に考えさせられた訃報であった。

 ジェフ・ベックの死に驚き、しばらくは彼の作品を聴きなおしながらモヤモヤした気分を引きずっていた。同じような方は少なくなかっただろうが、そこから数日を経て、またもや悲しい知らせが届くとは思ってもいなかった。

高橋幸宏さん(1952─2023)高橋幸宏さん(1952─2023)

 とはいえ私は幸宏さんと面識がない。フェイスブックではつながっていたのだが、結局は一度もお会いすることがなかった。にもかかわらず、深い悲しみが一向に晴れない。寂しさのようなものが、ずっと心の底に沈殿したままなのだ。

 遠い存在であるはずなのに、なぜ、そこまで心に訴えかけてくるのだろう? 思うにそれは、幸宏さんの人柄のおかげだ。彼は穏やかでやさしく、人を選り好みしたりせず、誰に対しても自然なかたちで心を開け放つ。ファッショナブルかつクリエイティブである半面、ギャグセンスも備えている。

 そして、それらすべてが、誰にも真似できないテクスチャーとして作品に反映されているからこそ、私のように距離のあった人間の心をも捕らえて話さないのだ。それが、高橋幸宏という人なのだと思う。

「大丈夫だ」と思わせてくれた 

 1982年の6月下旬、7月生まれの私はあと少しで20歳になろうとしていた。青春時代の真っ只中、一般的な感覚でいえば“なんでもできる時期”である。ところが当時の私はなにをやってもうまくいかず、毎日暗い顔をして過ごしていた。いま思えばそれもまた、青春のあり方なのだろうけれど。

 そんなとき、ひとりの日本人アーティストがリリースしたニュー・アルバムに私は強く引きつけられた。正確にいうと、肝心の音を耳にするよりも先に、そのアルバム・タイトルに救われた気がしたのだった。

高橋幸宏『WHAT,ME WORRY? ボク、大丈夫!!』高橋幸宏『WHAT,ME WORRY? ボク、大丈夫!!』
 高橋幸宏さんの4枚目のソロアルバム『WHAT,ME WORRY? ボク、大丈夫!!』がそれだ。幸宏さんの青っぽいポートレートが印象的なLPレコードのジャケットにはグレーの帯がかかっていて、そこには「ボク、大丈夫!!」という大きな文字が明朝体で白く抜かれていた。メイン・タイトルである“WHAT,ME WORRY?”のほうが目立たないデザイン。だから、「そうか、大丈夫なのか」と感じさせられたのである。

 そして、そこまで強く「ボク、大丈夫!!」といわれると、まったく大丈夫ではなかった自分まで、「大丈夫かもしれない」という気持ちになれたのだった。

 どんな理由があったのか、同作のタイトルはのちに『WHAT,ME WORRY? ボク、大丈夫!!』から『WHAT,ME WORRY? ボク、大丈夫?』へと変更された。「大丈夫!!」と断言していたはずなのに、疑問系になってしまったわけである。そのため、上記のような経緯で勇気づけられた私はやや戸惑うしかなかったのだが、とはいえこのアルバム(のタイトル)に救われたことは疑いようのない事実だ。

パワフルなドラム

 『WHAT,ME WORRY?』のオープニングは、やや緊張感のあるタイトル曲。短いインストゥルメンタル・ナンバーだ。それが、疾走感のある2曲目“IT'S GONNA WORK OUT”につながっていく。“IT'S GONNA WORK OUT”には「きっとうまくいく」という邦題がつけられているが、2曲の流れには、漠然とした不安感を「きっとうまくいく」という断定口調で救うようなニュアンスがあり、そんなところにも幸宏さんのやさしさが表れているように思う(少なくとも、私はそう感じた)。

 「なにを大げさな」と笑われそうだが、決して押しつけがましくなく自然体であるからこそ、こうした小さなところにさえ彼の人柄は表れるのではないだろうか。そして、普遍的な強さを感じさせるのではないだろうか。そう、高橋幸宏という人は、やさしさと強さを兼ね備えた人だったのだ。私はそう感じている。

 彼の強さを初めて意識したのは、高橋幸宏名義の作品でも、YMO名義の作品でもなかった。

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