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つかこうへいからの「ひとり立ち」

結婚披露宴はつか夫妻の「仲人お披露目会」に

長谷川康夫 演出家・脚本家

つかの中で生まれた区切り

 1986年1月。僕は〝三婆〟と呼ぶ、松金よね子、岡本麗、田岡美也子たちに頼まれ、初めて自分の作った芝居を上演する。しかしそれを、事前につかに伝えることはなかった。

拡大(左から)松金よね子、田岡美也子、岡本麗=2006年撮影
 菅野重郎からすべて報告が行っているのはわかっていたが、11月にソウルから戻ったあとも、つかと何度か顔を合わせる中で、そのことが話題になったりはしなかった。もちろん本番をつかが観に来るはずもない。

 ただ菅野がおせっかいにも舞台を撮ったビデオを渡し、つかは一応それに目を通したようだ。客も入り、それなりに評判もよかったことを、素直に喜んでくれたらしい。

 とはいえ菅野によれば、いつも通り、すべて自分がやらせてやったような口ぶりだったというのだから、恐れ入る。

 しかし想像するに、この時つかの中で、僕との関係にひとつの区切りをつけようとの思いが生まれたのではないか。

 それがわかるのは、夏になってからだ。

 前回【つかこうへいとの関係が一区切りした年】こちら


筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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