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つかこうへいとの38年、紫煙の中で幕

演劇再開後の作品への思い、そして最後の「はあ」

長谷川康夫 演出家・脚本家

希代の演劇人、つかこうへい。劇団解散後のその軌跡をたどってきた連載「つかこうへい話Returns」、いよいよ最終回です。筆者がつかと過ごした38年、そのラストシーンは……

 つかこうへいとの関係が一区切りした年
 つかこうへいからの「ひとり立ち」
 つかこうへい代表作『熱海殺人事件』映画に から続きます

映画『熱海殺人事件』〝口立て〟リハーサル

 1986年公開の、つかこうへい原作脚本による映画『熱海殺人事件』に関して、僕はその企画から完成まで、まるでタッチしておらず、偉そうなことを言える立場ではない。

 ただ、一日だけそのリハーサルに参加したことを書いておく。つかから呼ばれ、見学に行ったのだ。当時新宿区河田町にあった、フジテレビのリハーサル室だった。

 ほぼ全員の出演者が集まっていた。

 そこで例によって、つかは〝口立て〟による稽古を始めた。いつも通り台本無視で、新しい場面や台詞が次々と生まれていく。スタッフを含め、初めて経験する人間たちは、最初ポカンとしていたが、つかの〝口立て〟に圧倒されるうち、それに慣れた風間杜夫や志穂美悦子の芝居に、笑い転げるようになっていった。

 そんな風に稽古場が温まるのがわかってから、つかはようやく仲代達矢に声をかけた。

 正統的な演劇の訓練を受けて来た年配の俳優たちが、つかの〝口立て〟に途惑い、どこかぎこちない芝居を見せてしまう場面には、何度も立ち会ってきたが、天下の仲代でさえもその例にもれなかった。

 おまけに相手を務めるのがつかの芝居を知り尽くした風間なのだから、その差はいっそう際立つ。

 何とか進めようとするつかが、しだいにイラつき始めたらしいことがわかった。

 するとつかは振り向き、僕と目が合うと叫んだのだ。

 「長谷川、仲代さんと替われ!」

 ただの見学者であり、もう俳優でも何でもなくなった僕に向かってである。リハーサル室を埋めた、僕のことなど知るはずもない者たちがすべて、唖然とするのがわかった。何より僕自身、心臓が止まりそうだったのは言うまでもない。

 しかし僕は出ていくしかない。そのままつかは平然と、風間を伝兵衛に、僕を風間が演じていた熊田留吉にして、稽古を再開した。

映画『熱海殺人事件』の製作を伝える1986年1月20日付け朝日新聞夕刊

 ◆これまでの連載はこちらからお読みいただけます。

「つか主導」でよかったのか――残ったしこり

 つかの口から台詞が飛び出し、風間と僕がそれを繰り返す。三人のかけ合いのようなテンポで芝居は出来上がって行った。それはかつての稽古場と変わらない光景だったはずだ。

 ところが、突然リハーサル室に怒鳴り声が響き渡った。

 声の主は、隅からじっと見ていた大ベテランの大物俳優だった。特徴のあるかすれ声で、つかに食って掛かったのだ。

 「君ねぇ! 俳優というのは脚本をもらい、読み込んで自分なりに役作りをした上で、芝居に臨むんだ! その場の思いつきで台詞をどんどん変えられたりしたら、何のための脚本だったということになるだろう!」

 リハーサル室は静まり返った。つかがどう反応するか、皆が息を吞んで見つめる。

 するとつかは満面に笑みを浮かべ、

 「ああ○○さん、大丈夫です。大丈夫ですから、心配しないで下さい」

 とだけ、よく通る声で言い放ったのだ。

高橋和男の手元に残る映画『熱海殺人事件』の台本
 いやはや答えにも何もなっていない。しかしつかの全く動じることのない自信たっぷりのもの言いに、激高したベテラン俳優はそれきり口を閉ざし、皆も何となく納得して、胸を撫で下ろしたのである。

 すごいなぁこの人……と、呆れながら僕はつかに目をやったが、表情とは裏腹に、その膝がカクカク小刻みに震えているのにすぐ気づいた。相変わらずのつかこうへいだった。

 と、これが僕の中にある、映画『熱海殺人事件』に関わった唯一の記憶であり、印象深いエピソードなのだが、肝心なのはそこではない。

 そのときそこに監督の高橋和男がいなかったことなのだ。ロケハンに出ていたというのである。

 もちろん日程的な問題もあっただろう。しかしいくらつかこうへいの希望とはいえ、平気で監督のいないリハーサルというスケジュールを組み、つかの好きにさせてしまう制作サイドは何なのだろう。

 そんなところに、この映画への僕の残念な思いの原因があったのではないだろうか。

 僕が観たかったのは、高橋和男がつかこうへいと戦いながら撮った、彼の本来作りたかった『熱海殺人事件』だ。こうして書きながら、胸に残るしこりのようなものがそれだったことに、今さらながら気づくのだ。

 これが映画『熱海殺人事件』への、僕の正直な感想である。

演劇を再開したつか、『今日子』とそれから

 さて、2年半に亘った僕の「つかこうへい話」も、このあたりでお開きにしよう。

 今回説明したように、1986年以降のつかの活動について、僕が直接知っていることはほとんどないと言っていい。プライベートな付き合いはかろうじて続いていたが、その作品に関してとなると、僕は単なる一観客、一読者でしかなくなるのだ。

 その前提の上で、つかこうへいの〝その後〟に少しだけ触れておく。

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