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[4]マフィアが支配した「魔都」と、『上海の顔役たち』

関根虎洸 フリーカメラマン

 2020年1月、上海浦東国際空港に到着した私はバスと地下鉄を乗り継いで、人民広場の近くにある古い倉庫街へ向かった。年末に武漢市で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による第1例目の感染者が報告されたが、まだ私を含めて危機感はほとんどなく、空港には多くの旅行者が行き交っていた。

 地下鉄の新閘路(しんこうろ)駅を下車して蘇州河沿いを歩く。河沿いに並ぶレンガ造りの古い倉庫街には、歴史的建造物として登録されている建物も少なくない。それらをリフォームしてアートギャラリーや飲食店などに利用している倉庫も見受けられる。多くの倉庫は、上海が「魔都」と呼ばれた1920~30年代に建てられたものだ。アヘン戦争の敗北によって、上海に設けられた租界(外国人居留地)には西洋建築のホテルや銀行などが建ち並び、「東洋のパリ」と呼ばれる国際都市として繁栄していた。

杜月笙(とげつしょう・1888‐1951年)。上海暗黒街の三大ボスの一人。国民党陸軍少将、中匯銀行設立者、上海市参事会議長、また 60 社に及ぶ社長の顔も持っていたといわれる。村人たちから教父(ゴッドファーザー)と呼ばれ、その名は今も中国全土で知られている=百度百科
拡大杜月笙(と・げつしょう、1888‐1951年)。上海暗黒街の三大ボスの一人。国民党陸軍少将、中匯銀行設立者、上海市参事会議長、また60 社に及ぶ社長の顔も持っていたといわれる。村人たちから教父(ゴッドファーザー)と呼ばれ、その名は今も中国全土で知られている=百度百科
 倉庫街を歩きながら、私は上海優秀歴史建築に認定されたいわくつきのホテルに到着した。「上海蘇州河畔国際青年旅舍」と書かれた煉瓦のアーチを潜り、エントランスの扉を開けると、倉庫を改修したロビーが広がっている。英語表記は「上海 SOHO インターナショナル ユース ホステル」。

 1933年に建てられた倉庫は、かつて青幇(ちんぱん)の伝説的な首領として知られる杜月笙(と・げつしょう)が所有していた。

 魔都・上海の華やかな街の路地裏には、青幇と呼ばれる秘密結社が暗躍していた。もともとは運河の荷役労働者の結社を源流とする青幇は、幇会三宝(幇の3資金源)とうたわれた烟、賭、娼、つまりアヘン、賭博、売春の3事業を背景に巨大な財力と権力を築き上げ、上海の暗黒街を支配していった。

杜月笙の倉庫だった「上海 SOHO インターナショナル ユース ホステル(上海蘇州河畔国際青年旅舍)」。「ドゥー・ユエション(杜月笙)のことは誰でも知っていますよ。彼のストーリーは映画やドラマにもなっていますから」(ホテル・フロント談) =撮影・関根虎洸拡大杜月笙の倉庫だった「上海 SOHO インターナショナル ユース ホステル(上海蘇州河畔国際青年旅舍)」。「ドゥー・ユエション(杜月笙)のことは誰でも知っていますよ。彼のストーリーは映画やドラマにもなっていますから」(ホテル・フロント談) =撮影・関根虎洸
ビリヤード台のある食堂には 100 年前に倉庫だった頃のレンガが剥き出しになっている。「この建物はアヘンの倉庫だったのでしょうか」「……私には分かりません」(ホテル・フロント談) =撮影・関根虎洸拡大ビリヤード台のある食堂には 100 年前に倉庫だった頃のレンガが剥き出しになっている。「この建物はアヘンの倉庫だったのでしょうか」「……私には分かりません」(ホテル・フロント談) =撮影・関根虎洸

 「上海 SOHO インターナショナル ユース ホステル」はアヘンを加工するための工場だったといわれている。バックパッカーが行き交うフロントでチェックインを済ませ、ルームカードを手にした私は、20代の男性スタッフに語りかけた。

 「ここは杜月笙の倉庫だった建物ですか」
 「……はい。そうです。ドゥー・ユエション(杜月笙)の倉庫でした」

 そして男性スタッフは、次のように続けた。

 「ドゥー・ユエションのことは中国人なら誰でも知っていますよ。彼のストーリーは映画やドラマにもなっています」

 日本では資料も少なく、杜月笙のことはほとんど知られていないが、「中国人は誰でも知っている」という言葉は、あながち大げさではないのかも知れない。

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筆者

関根虎洸

関根虎洸(せきね・ここう) フリーカメラマン

1968年、 埼玉県生まれ。著書に桐谷健太写真集『CHELSEA』(ワニブックス、2012年)、『遊廓に泊まる』(新潮社、2018年)ほか。元プロボクサー。現在ボクシングトレーナーとしても活動中。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです