関根虎洸(せきね・ここう) フリーカメラマン
1968年、 埼玉県生まれ。著書に桐谷健太写真集『CHELSEA』(ワニブックス、2012年)、『遊廓に泊まる』(新潮社、2018年)ほか。元プロボクサー。現在ボクシングトレーナーとしても活動中。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
2020年1月、上海浦東国際空港に到着した私はバスと地下鉄を乗り継いで、人民広場の近くにある古い倉庫街へ向かった。年末に武漢市で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による第1例目の感染者が報告されたが、まだ私を含めて危機感はほとんどなく、空港には多くの旅行者が行き交っていた。
地下鉄の新閘路(しんこうろ)駅を下車して蘇州河沿いを歩く。河沿いに並ぶレンガ造りの古い倉庫街には、歴史的建造物として登録されている建物も少なくない。それらをリフォームしてアートギャラリーや飲食店などに利用している倉庫も見受けられる。多くの倉庫は、上海が「魔都」と呼ばれた1920~30年代に建てられたものだ。アヘン戦争の敗北によって、上海に設けられた租界(外国人居留地)には西洋建築のホテルや銀行などが建ち並び、「東洋のパリ」と呼ばれる国際都市として繁栄していた。
1933年に建てられた倉庫は、かつて青幇(ちんぱん)の伝説的な首領として知られる杜月笙(と・げつしょう)が所有していた。
魔都・上海の華やかな街の路地裏には、青幇と呼ばれる秘密結社が暗躍していた。もともとは運河の荷役労働者の結社を源流とする青幇は、幇会三宝(幇の3資金源)とうたわれた烟、賭、娼、つまりアヘン、賭博、売春の3事業を背景に巨大な財力と権力を築き上げ、上海の暗黒街を支配していった。
「上海 SOHO インターナショナル ユース ホステル」はアヘンを加工するための工場だったといわれている。バックパッカーが行き交うフロントでチェックインを済ませ、ルームカードを手にした私は、20代の男性スタッフに語りかけた。
「ここは杜月笙の倉庫だった建物ですか」
「……はい。そうです。ドゥー・ユエション(杜月笙)の倉庫でした」
そして男性スタッフは、次のように続けた。
「ドゥー・ユエションのことは中国人なら誰でも知っていますよ。彼のストーリーは映画やドラマにもなっています」
日本では資料も少なく、杜月笙のことはほとんど知られていないが、「中国人は誰でも知っている」という言葉は、あながち大げさではないのかも知れない。