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【ヅカナビ】星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』

歴史ドラマとして見ると、また違ったものが見えてくる

中本千晶 演劇ジャーナリスト


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 現在、東京宝塚劇場で上演中の星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』は、13世紀のジョージアを舞台にした美しい愛の物語である。宝塚大劇場での公演を経て、さらに進化した見応えのある舞台となっている。劇中の楽曲の、憂いを秘めた旋律がいつまでも耳に残る作品だ。

 そして、タカラヅカファンの間では、この公演を機にジョージアという国への関心が高まっている。舞台上の人物たちと同じ民族衣装を身につけて観劇に現れるジョージア大使は注目の的だ。私も先日、ジョージア料理を初めて食し、そのヘルシーな味わいがすっかり気に入ってしまった。

 だが、そもそも、ジョージアとはいったいどこにあるのだろう? 地図を見ると、黒海とカスピ海の間に位置する国である。ヨーロッパ世界から見ると東の果てであり、戦乱の続くウクライナはジョージアの北西にある。

 ジョージアは4世紀にキリスト教を国教にした国だが、やがて、南方にはイスラム王朝が勃興する。異なる文化、異なる宗教がぶつかり合い、どうみても何かが起こりそうな場所である。

 ルーム・セルジュークの王子として生まれながらも、ジョージアに人質として送られ、ルスダンの王配として生涯をまっとうしたディミトリ(礼真琴)は、いわば、2つの異世界の軋轢の申し子のような存在ではないだろうか。

 この作品、史実を踏まえながら歴史ドラマとして見ると、もっと面白い。ディミトリの生き様も、また違って見えてくる。今回は、そのことについて少し考えてみようと思う。

ジョージア、ルスダンの生きた時代

 ジョージアの歴史は古く、紀元前6〜3世紀にはそのルーツとなる国々が誕生している。その後、周辺の強国の脅威にさらされる歴史が続く中で、最も栄えたのが12世紀末から13世紀初頭、ルスダンの母であるタマラ女王の治世であった。劇中でも回想シーンとして描かれる時代である。

 だが13世紀、世界はモンゴルの時代を迎える。1206年、チンギス=ハーンによって統一されたモンゴル帝国の勢いはヨーロッパ世界にまで迫り、ジョージアもまたその侵攻に悩まされることになる。1223年、タマラ女王の後に即位したギオルギ王(綺城ひか理)が、モンゴルとの戦いで不慮の死を遂げ、思いがけず妹のルスダン(舞空瞳)が即位することとなったのは『ディミトリ』の物語に描かれているとおりだ。

 そして、隣国ルーム・セルジューク朝から人質としてやってきて、ルスダンと幼なじみとして育ったディミトリは、王配(女王の配偶者)としてルスダンを支えていくことになる。

ディミトリの祖国、ルーム・セルジューク朝

 ディミトリの祖国であるルーム・セルジューク朝とは、11世紀の終わりから14世紀の初頭まで、アナトリア半島に存在したトルコ系民族によるイスラム王朝である。11世紀前半のイスラム世界にはセルジューク朝という強大な王朝が誕生したが、ルーム・セルジューク朝は、このセルジューク朝の一族が建てた王朝だ。

 ちなみにルーム・セルジューク朝が支配したアナトリア半島は、現在はトルコ共和国があるが、最近のタカラヅカには縁が深い場所でもある。『天は赤い河のほとり』で描かれた、古代のアッシリア帝国はこの場所から起こった。ルーム・セルジューク朝は13世紀末にはモンゴルの支配下に入るが、その後この地で栄えるのが、『壮麗帝』で知られるオスマン帝国である。

 ジョージアはタマラ女王の時代にルーム・セルジューク朝と戦い、撃破したという。おそらく「ルーム・セルジュークの王子」は、その時に人質として差し出されたのだろうか。異国の地で、名前も信じてきた神も根こそぎ奪われた少年の喪失感は、日本人などには計り知れないものであったことだろう。

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筆者

中本千晶

中本千晶(なかもと・ちあき) 演劇ジャーナリスト

山口県出身。東京大学法学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て独立。ミュージカル・2.5次元から古典芸能まで広く目を向け、舞台芸術の「今」をウォッチ。とくに宝塚歌劇に深い関心を寄せ、独自の視点で分析し続けている。主著に『タカラヅカの解剖図館』(エクスナレッジ )、『なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか』『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』(東京堂出版)、『鉄道会社がつくった「タカラヅカ」という奇跡』(ポプラ新書)など。早稲田大学非常勤講師。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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