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映画『エゴイスト』は男同士の愛、家族への至高の愛を真正面から描いた傑作

鈴木亮平の自然体、宮沢氷魚のピュアな姿、阿川佐和子の存在感……

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 東京国際映画祭は、ここにも書いたように市山尚三氏がプログラミング・ディレクターとなった一昨年(2021年)からようやく、コンペに選ばれる日本映画がまともになった(「今年の東京国際映画祭にはあちこちに「知性」が感じられた」「東京国際映画祭は「飛躍」したか──作品の質は高くなったが……」)。その年の映画賞を賑わすような国内的な話題作であると同時に、海外の国際映画祭に出してもおかしくないようなレベルの映画が選ばれるようになった。昨年の東京国際映画祭のコンペで上映されてこの2月10日に公開される松永大司監督の『エゴイスト』は、まさにそんな作品だ。

『エゴイスト』 2月10日(金)全国公開 © 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会『エゴイスト』 2月10日(金)全国公開 © 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会

 21世紀になって、日本ではようやく男性中心の社会に反対の声を挙げる声が高まり、性的マイノリティに対する理解が少しずつ高まりつつある。この動きはなかなか遅々として進まないが、その曖昧な雰囲気を一足飛びに突き抜けて、とどめを刺すような映画が『エゴイスト』ではないだろうか。そこでは男と女、家族と他人といった区別を軽々と乗り越えて、至高の愛のかたちが真正面から示されている。

 千葉の漁村に育った浩輔(鈴木亮平)は、出版社でファッション誌のベテラン編集者として働く「業界人」だが、心が休まるのはゲイ仲間との飲み会だけだった。年に一度、母の命日に田舎に帰る時は、ブランドの服に身を包み、父親(柄本明)以外とは誰にも会おうとしない。そんな彼が仲間の紹介で出会ったのが、パーソナル・トレーナーの龍太(宮沢氷魚)だった。

© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会

 2人の出会いが鮮烈だ。雨の日に約束の時間に遅れてきた龍太は、階段の下で待つ浩輔にはまるで天使のように見えたのだろうか、後に「きれいな顔してるよね」と思わず彼に漏らす。2度目のトレーニングの後の別れ際に歩道橋の階段でキスをする龍太に驚く浩輔。どちらも見上げる浩輔の視線がいい。カメラは手持ちの長回しで2人の呼吸に合わせるように動く。映画は2人の性行為もきちんと写す。男同士の交わりがこれほど自然に見えた日本映画は、私は初めてだった。

互いを思い合う言葉や仕草のやり取りの繊細さ

 男同士の純愛に転調が生まれるのは、映画の真ん中ほどで龍太の母(阿川佐和子)が現れてから。浩輔は龍太の家の夕食に招待されて母に会う。もともとドキュメンタリーのような映像だったが、部屋の中に母親が出てくると、ほとんど実写のように思えてくる。背が低く遠慮がちな母は狭いアパートでかいがいしく料理を作る。浩輔は中学生の時に亡くなった自分の母を思い出す。

© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会

 それからしばらくすると龍太に不測の事態が発生し、映画の後半は主に浩輔が龍太の母と過ごす時間を写す。体の弱い母親を何とか助けようとする浩輔とそれを遠慮する母の展開は全く先が読めずにドキドキするし、鈴木亮平と阿川佐和子の互いを思い合う言葉や仕草のやり取りの繊細さには、がっつりと心を掴まれた。

 この映画では極めて普通なこととして男同士の愛が描かれ、さらにそれは家族を超えて相手の母親にまで広がってゆく。龍太の事件の後に、浩輔は命日でもないのに田舎に突然帰る。柄本明演じる父親は驚くふうでもなく「急に帰ってきてどうした。泊まっていくか」と言いながらご飯の用意を始める。親子二人の静かな夕食。最近の柄本明は『ある男』(石川慶監督)の囚人役のように脇役ながら強烈な個性を見せることが多いが、ここでは阿川佐和子と同じく、普通のもの静かで実は思慮深い親の姿を見せている。

© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会

 時おりメタ映画的な映像も見せる。龍太と知り合って嬉しくてしかたがない浩輔は、自宅でちあきなおみの『夜へ急ぐ人』を大音量でかけて歌い出す。映画は浩輔の歌う顔を真正面から見せる。あるいは龍太と浩輔が話しているうちに、突然龍太は浩輔をスマホの動画で撮影し始める。嫌がる浩輔は正面を見てカメラをふさごうとする。いつの間にか映画の画面自体がスマホの映像になっている。ある時浩輔は仕事場でモデルの撮影の後に、「編集者のファッション」という特集なのか自分も撮影してもらう。これまた浩輔はカメラマンに向かってポーズを取る。

 それにしても、浩輔を演じる鈴木亮平の自然体がいい。業界人らしく海の見える高級マンションに住んですべてにおいて自分の美学を守りながらも、人との付き合いを大事にする人間的な優しさが眼差しや動作ににじみ出ている。宮沢氷魚は、困難な人生を懸命に生き抜くピュアな姿を体全体で表現している。後半は宮沢氷魚の代わりに阿川佐和子の天然ボケのような存在感が画面を圧倒する。

いくつもの生き方が交差する圧倒的なハーモニー

松永大司監督松永大司監督=2105年
 松永大司監督はデビュー作の『ピュ~ぴる』(2011)では、性同一性障害を持つアーティストのピュ~ぴるが衣装やインスタレーションの創作を通じて自分を見出してゆく過程を8年間追い続けた。

 他人の目を恐れずに自分の生き方を追求する人物を描くという姿勢は、初長編劇映画『トイレのピエタ』(2015)でも貫かれる。こちらは余命3カ月と宣言された20代後半のフリーターの男が、忽然とピエタ像を描き始める話だった。『ハナレイ・ベイ』(2018)は村上春樹の原作のせいかこの2本に比べたら少し甘いが、ハワイで死んだ息子を持つ母親が毎年ハワイに通う孤独な姿を見せた。

 本作でも、まず世の中に反抗しながら自分の生き方を貫く浩輔の孤独な姿が描かれる。そこに経済的に彼よりも何倍も苦労している龍太の必死に生きる姿がからむ。さらに田舎で浩輔の生き方を認めて遠くから心配する父親もいれば、龍太に助けられながら何とか生き延びて浩輔とも仲良くなる母親の生き方も出てくる。各自が自分に自然ないくつもの生き方が交差して、今回の圧倒的なハーモニーが生まれている。

 映画の終わりにもう1度「エゴイスト」という題名が出てくる。

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