狡猾な“狸オヤジ”は格差を解消し誰もが食べられる社会を目指した稀有の武将だった
2023年02月14日
今年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」の主人公である徳川家康のイメージが近年、変わりつつあるという。
家康と言えば、権謀術数に長けた“狸オヤジ”というのが通り相場だったが、戦国時代の勝利者となって江戸幕府を開き、約250年間もの「平和(泰平の世)」を実現させただけでなく、貧富の差の解消や誰もが食べてゆける社会という高みを目指す稀有な武将、人間味豊かなリーダーだったいうイメージに、じわりと変わっているのだ。
世界では、ウクライナでの戦火はおさまらず、米中の対立も続く。少子高齢化や物価高などに悩まされる日本の先行きも、不透明さが増すばかりだ。こんな内外の閉塞状況からどうやって抜け出すか。考えるヒントが「家康の生き方」にはあるかもしれない。
徳川家康(1543~1616年)の印象はこれまで、あまり良いとは言えなかった。とりわけ、関ケ原の戦い(1600年)から豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614~15年)にかけては、狡知(こうち)をつくして罠を仕掛け、豊臣一族を根絶やしにした、としてすっかり「悪役」扱いだ。織田信長や豊臣秀吉と比べて、人気の面でははるかに及ばなかった。
そんな家康像を変えるきっかけのひとつにしようと、直木賞作家・安部龍太郎さん(67)がライフワークとして書き続けているのが、『家康』シリーズだ。2015年から書き始めた『家康』は、戦国期から大坂の陣に至る家康の波乱の生涯をたどり、現在、文庫判で8巻まで刊行。完結まで全16巻を予定する大作だ。
安部龍太郎(あべ・りゅうたろう)
1955年福岡県出身。久留米工業高専卒。東京都大田区役所勤務を経て、90年「血の日本史」で単行本デビュー。「関ケ原連判状」「信長燃ゆ」「レオン氏郷」など歴史小説の大作を次々と発表している。2005年「天馬、翔ける」で中山義秀文学賞、13年「等伯」で直木賞を受賞した。『家康』は2015年から書き始め、文庫判(幻冬舎刊)は8巻まで刊行(全16巻予定)されている。
そこで描かれる家康は、とにかく人間くさい。
母親(於大の方(おだいの方))からは容貌(ようぼう)を悪しざまに罵られて腹を立てる。武勇に秀でた息子(結城秀康)に嫉妬に近い感情を抱く。“天下取り”で先を行く、信長や秀吉には「才覚の差」をこれでもかというほどに見せつけられ、後塵を拝することを余儀なくされてしまう。
それでも、家康はがまん強く、あきらめない。苦い思いや経験を糧として、一歩一歩ゆっくりと階段を上ってゆくようにして、愚直に理想の世を追い続ける。温かみを感じさせる人柄や、何事でも率直に言い合える家臣団との固い絆も家康の強みだ。
「信長が直線的、秀吉が多角的だとすれば、家康の生き方は『螺旋(らせん)的』。苦労や失敗を重ねながら、時間をかけて高みに登ってゆくのです。家康の人格形成には、幼少期から青年期にかけて織田、今川両家に人質として預けられた経験が大きな影響を及ぼしたと思う。決して、やり過ぎない、といった信条だけでなく、『時間』が問題を解決することや、他人への優しさ、(仏教への)信仰についても学んだのでしょう」
家康が旗印として掲げたのが「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」のキャッチフレーズだ。現世を穢(けが)れた地と見なし、阿弥陀如来の導きによって極楽浄土への往生を願う。元は、浄土教思想の言葉だが、家康は宗教的なメッセージにとどまらず、実際にこの世を浄土に変えようとした。これが家康の生涯で一貫したテーマとなる。
「家康が追い求めたのは、泰平の世というだけでなく、貧富の差をなくし、誰もが食べていける社会の実現。『厭離穢土…』は『そのために戦っているのだ』という政治的なスローガンなのです。家康はそれを家臣や領民だけでなく、敵方の武将、領民にも訴えました」
有史以来、人類の歴史は「戦いに明け暮れた歴史」でもあった。現在でも、昨年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻の戦火はおさまる気配がない。そんななか、家康が扉を開いた江戸時代の「約250年間の泰平」は、世界史的に類をみない珍しいケースなのだという。
『家康』の中に、信長との違いについて、「浄土を信じられるか否か」と語られる場面がある。安部さんはこう思う。「戦争を起こす原因となる『敵意やエゴイズム』を無くすことは現実には簡単ではありません。ただ、そういった厳しい現実はあるけれども、理想としての価値観を複眼的に持つことが大事だと思う。それが物事を判断する際に生きてくるからです。(家康が訴えたように)浄土を信じることによって、現世の振る舞いを律することにつながったようにね」
家康は、敵を皆殺しにした信長のような非情さに徹しきれない武将だった。裏切った家臣を許したり、自分の命を狙った刺客にカネを与えて逃がしたりする場面がしばしば出てくる。
「これも人質時代に学んだことでしょう。敵を皆殺しにしたら、その時は勝てたとしても、『恨み』となって5年先、10年先に何倍もの仕返しが来るかもしれない。家臣の直言に腹を立ててもその場では感情を露わにしない。一度裏切った部下も再び、懐に入れて、うまく活用する。高い理想があるから、その場の腹立ちや不満を抑えることなど何でもない。これこそがリーダーの器なのでしょう」
『家康』では世界的な視点から戦国時代を捉えている。戦国から安土桃山期、世界は大航海時代に入っていた。先駆者となったスペインとポルトガルは、交易やキリスト教の布教をテコに海外進出を競い、地球を“切り分ける”ようにして、自国の領土へと組み入れて行く。
日本もその荒波に揉まれることになる。当時、石見(いわみ)銀山の開発が進み、日本はシルバーラッシュに沸いていた。その銀などと引き換えに、海外から鉄砲や火薬、弾丸の材料となる硝石、鉛を南蛮貿易によって手に入れた戦国武将が武力を高め、勢力を広げていった。その筆頭が信長であろう。貿易、商業による経済力、武力を背景にして、「中央集権・重商主義」型の世を目指す。秀吉もそれを受け継いだ。
だが、日本進出を企てるヨーロッパ諸国との南蛮貿易は“諸刃の剣”でもある。安部さんは『家康』で、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変も、後に秀吉が行った無謀な朝鮮出兵も、背後のひとつの勢力として、外国やキリシタンの思惑が働いていたとする説を打ち出している。
ただ、家康は、信長・秀吉型の社会を選択せず、「地方分権・農本主義」型を選んだ。そして、幕藩体制による泰平の世を実現したのである。その契機となったのが、秀吉によって、北条氏が滅ぼされた後の関東の地へ家康が移封されたことだった、と安部さんは見ている。
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