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変わり続ける街「新宿」に身を置くこととは

ひらひらの自由と反骨を『路上』に描いて

川村 毅 劇作家、演出家、ティーファクトリー主宰

 時代を呼吸し、変わり続ける街、東京・新宿。その移ろいを見つめてきた劇作家・川村毅は、この街を漂泊する精神を劇化した舞台『路上』シリーズを作り続け、「今」を切り取る短編の演劇を集めた「戯曲祭」を開催している。2月14日から始まる新たな「祭」を機に、改めて振り返る。わが街・新宿――。

キミョーでキテレツでリアルな日常

 劇の稽古のために、連日新宿三丁目に通っている。

 T Crossroad短編戯曲祭〈花鳥風月〉と名付けられたこの戯曲祭は、2022年5月、8月、11月と開催され、2月公演で春夏秋冬の掉尾を飾る。

 一年間、新宿三丁目の小劇場・雑遊に入り浸り、新宿で公演をしていることの愉楽を感じての日々を過ごした。

新宿をゆく川村毅
 東京都内の街で、わが街と呼びたい場所は、やはり新宿なのだと実感する。新宿とは長いつきあいだが、そう呼んでしまうには、どこか照れがあった。「わが街」などと微温的な回収などしまいと決めていたが、そうした肩の力は抜こうと思ったのは、軽快な足取りで新宿の路上を行く自分をあらためて発見したからだった。

 今回の短編戯曲祭にラインアップされている私の新作『路上6』は、言うなれば「わが街、新宿」という思いを臆面もなく表明させている。

 『路上』という劇の一作目は2007年に上演された。『路上6』というタイトルが示す通り、今回の新作が六作目に当たり、私たちの間では『路上』シリーズと呼んでいる。すべての上演が新宿三丁目の小劇場・雑遊で行われ、主演は文学座の大ベテラン、長らく座を牽引してきた名優・小林勝也氏である。

 小林氏演じる新宿の住人である村上という男を巡る「形而上的スラプスティック・コメディ」という謳い文句を持つシリーズは、40分から1時間の短編で、現実の日常を土台にしながらどれもキミョーでキテレツな劇である。キミョーでキテレツであるからこそ、日常の現実がリアルにあぶり出される趣向を持っている。

 『路上』シリーズは小林勝也という俳優と雑遊という場所がなければ誕生し得なかったものであり、新宿でなければ成立し得ない劇である。劇について触れる前に、まず私の新宿史を振り返りたい。

T Crossroad短編戯曲祭〈花鳥風月〉冬
『路上6』に出演する(左から)占部房子、小林勝也、千葉哲也

2023年2月14~26日
東京・新宿三丁目 雑遊

短編演劇9作を連日2~5本ずつ公演
(17、20日休演)
『路上6』は18日から連日上演
詳細はティーファクトリー

中学生で出会った「新宿」

 私と新宿との出会いは1970年代初めであった。

 1959年生まれ、当時横浜に住む中学生であった私は、おませな映画少年として、十代の半ばより見たい映画を求めて70年代初頭、街の映画館から映画館へとさまよっていた。新宿、渋谷、池袋、銀座という街々だったが、新宿には他の繁華街とは異なった空気が漂っているのを感じ取っていた。それは1968年、69年という東京カウンター・カルチャーの震源地としての新宿の残滓、残り香のような空気だったのだろうか。

1960年代の新宿駅。㊧西口広場のフォークソング集会(69年)/㊨東口通路に集まる「フーテン」たち(68年)

 もちろん当時の私がそう思ったわけではない、単に見たい映画を求めてさまようだけの中学生は、新宿の、とある飲食店の扉に貼られた「フーテン、下駄履き、サングラスお断り」という紙をぼんやりとながめて、他の街との違いを漠然と感じていた。

 有り体にいうと、蜷川幸雄・清水邦夫コンビによるアートシアター新宿文化の闘争劇を見るのには遅すぎたが、近くのミニシアター・蠍座で寺山修司、大島渚、今村昌平らの映画を見るのには間に合った、ということだろうか。

 70年代当時の中学生が、「あの時代は毎日が祭りだった」と68、69年を想う新宿文化人の高揚と嘆息を共有できたわけはないものの、しかし祭りと称されるカウンター・カルチャー全盛時の残り香のようなものにたまたま触れ得たことによって、私は後年その時代への過剰な憧れを抱かずに済んだのかも知れない。

街の変遷を映し出した『新宿八犬伝』

 大学に入学していよいよ新宿は主戦場となった。大学二年の時に劇団第三エロチカを旗揚げし、アートシアター新宿(新宿と書いてジュクと読ませる。アートシアター新宿文化とは違う)で上演し、その劇場オーナーがマスターの飲み屋で連夜ウイスキーを飲み、様々な人間模様に接した。

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