2023年02月20日
この「神保町の匠」では多くのノンフィクションを紹介してきました。そのなかで最も経歴が印象的な著者だったのが、元不良少年の社会学者にして圧巻のオーラルヒストリーの書き手、廣末登さんです。
こちらでの記事([書評]『組長の娘』)のあとに「暴力団博士」としてブレイクした廣末さん、最新作『テキヤの掟──祭りを担った文化、組織、慣習』(角川新書)では冒頭から自らのテキヤ体験を明かしておられます。この社会経験が豊富すぎな廣末さんに改めて、「著者生活のこれまでとこれから」について語っていただきました。
廣末 今回、こんなにご好評をいただけると思っていなかったんですよ。
──これまで暴力団離脱者の苦難を多く書いてこられてきたわけですが、そういう記事を書くと「悪いことをやってたやつらの言い分なんて聞きたくない、けしからん」っていう反応がコメント欄を埋め尽くしてましたね。
廣末 「暴力団」っていう単語で拒否反応を示すんですよね。一方でテキヤはそうではない。僕がバイトでテキヤをやっていた時に、クレーマーとかいなかったですもの。
──まあ、暴力団に怖い目にあったことがある人はいても、テキヤに怖い目にあった人ってほぼいないんじゃないでしょうか。チョコバナナを5000円で買わされた、みたいな。
廣末 それはないですね。
廣末 ありますね。僕もテキヤをしていたときは、お客さんと普通に雑談をしてました。懐かしさがあるんでしょうね。
──ところが、そんなテキヤも、行政は暴力団と同じ扱いをするんですよね。
廣末 本書の登場人物の1人、大和さん(仮名)は、テキヤ時代から建設業と二足のわらじを履いていました。それが、テキヤをやめて4年ちょっと過ぎた時に呼び出しがきて、「あなた、暴力団の関係者でなくなってから5年経ってないじゃないか」と。暴力団排除条例では、「暴力団員でなくなった時から5年を経過しない者」は“反社会的勢力”と同等の扱いということで建設業の許可を取り消されたんですよ。長年ソースせんべいを一緒に売ってきた戦友でもある奥さんが末期がんになっているっていうのに。自治体のやり方の背後に虚妄の成果主義のようなものを感じました。
──自治体がノルマを果たすかのように人の会社をつぶした、とも見えますね。ただ、この方はいちおうは暴力団の盃(さかずき)を受けていたからこうなったのではないのですか。
廣末 いいえ、彼はテキヤを束ねる団体の幹部であっただけで、そこは指定暴力団ではありません。関係ないんですよ。
──ええ? 指定暴力団に所属したことがないのに、暴排条例の対象になったんですか。
廣末 そうなんですよ。テキヤで盃を受けたということで、そういう扱いになってしまったのです。
──ひどいですよ。行政訴訟を起こすなど対抗手段はないのですか。
廣末 彼はまず知り合いの議員などに当たったのですが、みんな及び腰だったらしいです。税金の関係で税理士に助けを求めたら、税理士も彼の過去を検索などするのでしょうね。誰も仕事を受けてくれない。
──なるほど、法律家などの専門家が助けてくれないなら、訴訟どころではないですね。
廣末 いったん行政から烙印を押されてしまったら、本当に何もできないんです。
──妻と2人で長年必死に積み重ねてきたテキヤ稼業の成果すべてが、一気に無残に奪われる。本書前半のこの悲しいクライマックス、読んでいて本当に憤りを感じました。
廣末 せめて従業員だけは、と同業者に雇ってくれと頼んで回るんですけど、付き合っていたどの会社も皆さん、背を向けるわけです。要するに「官製村八分」ですよ。官が「あいつ仲間外れにしよう」とお触れを出したら、みんな言いなりになる。これはいやらしいよね、と僕は思います。
──廣末さんの一連の執筆活動は、そういった官製村八分の告発も含まれているように思えます。なぜそのようなテーマに行き着いたのでしょうか。
廣末 僕は10代の頃は不良だったんですが、その同輩たちがヤクザと非常に近かったんです。やがてボーズ(ヤクザの使い走り)になっていく人もいて、そうなると不良の中ではリスペクトされるんですよね。持ち物もだんだんよくなったり。だから僕も、ああいいな、行きたいなと思ったことがありました。ですが、どうしても一線を越えることができなかったんです。
──なぜ自分は一線を越えられず、彼らは越えられたのか。それを知るために「暴力団の加入要因」を研究テーマとされたのですね。
廣末 はい、なぜ僕はヤクザにならなかったんだろうか、という問いが研究の原問題だったんです。でも研究を重ねていたら、大学院の時に話をうかがったヤクザの方に「うちへ来たらいいやんか」と誘われたりしましたが。
──調査対象者としっかり関係を築かれたんですね。
廣末 そんなわけで、博士論文を書きあげても「これで付き合いは終了ね」なんてことはできるわけないですよね。それで連絡を取り合う関係を続けていたら、「2010年以降、息苦しい世の中になってきた」という声が彼らから聞かれるようになってきた。
──暴排条例が施行されるようになったからですか。
廣末 条例にある「元暴5年条項」というのがいかんな、と。どの自治体の条項にも、「離脱しても5年間は暴力団員『等』とみなす」などとある。この「等」が広く解釈されるせいで、「等」の1文字で彼らの社会権が著しく制約されてしまった。銀行に行っても口座が作れないのです。
──銀行口座がない生活……正直、想像を絶します。
廣末 携帯も家も借りられません。それってもう絶望しかないですよね。じゃあどうやって生きるのかというと、日払いの過酷な現場に行くしかない。僕もその現場で働いたことがあります。夏場の解体現場で、「はつり」といって、アスベストを除去する仕事をしたんですよね。あれって、まず飛散しないように、部屋全体をビニールで覆うんですよ。
──もう蒸し風呂じゃないですか。
廣末 そのうえで、吸い込んだらいけませんから、マスクしてゴーグルして、防護服を着るんです。
──二重の蒸し風呂だ。これはきついです……。
廣末 僕はスッポンポンで防護服を着られますから、まだマシなんです。ところが元ヤクザの人たちって、長袖長ズボンでその格好をするんですよ。刺青があるから。
──アスベストを吸い込まなくても、それはちょっと……生命にかかわるんじゃないですか。
廣末 しかも、こういう仕事を1日がんばってもらうお金って、8000円ぐらいなんですよ。それで生きていけますか? それでも今度の本で私が紹介した大和さんは、もう60歳くらいなのに、朝5時に起きて東京の大きい建築現場に通い、「はつり」をやっているんですよね。
──廣末さんがこうした話を取材して書籍や記事に残すようになった、つまり社会学者でありながら独自のノンフィクションを書かれるようになったのは、この暴排条例が生まれたからなのですね。
廣末 ええ、2011年までに暴排条例が全国に広がりました。そして現場で起きていることを知れば知るほど、これはやばいよねと私も思ったんです。こうして2014年度に暴力団離脱者の研究として(公財)日工組社会安全研究財団の研究報告書にまとめたわけです。
──そもそも廣末さんの研究成果を読むまで、暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、1992年施行)と暴排条例の区別もついていませんでした。
廣末 暴対法はいいんですよ、あれはちゃんと内閣府で、憲法と整合性があるかというチェックを受けているわけです。法律ですから。
ところが条例っていうのは、そんなもの受けないんです。ローカルルールだから。なのに全国でやられちゃうと、これは法律と一緒なんですよ。つまり、違憲立法審査を受けない条例が、憲法で定められている社会権、いわゆる生存権であったり幸福追求権であったり、こういったものを侵害していいのかというシンプルな疑問があったんですよね。
──こうした疑問から始まって、実際に暴排条例による「官製村八分」で生命を脅かされている人たちのケースを書いていくようになった。その結果どうなったのですか。
廣末 2022年の2月1日、警察庁が金融庁と自治体に、離脱した者の口座を作ってあげてくれ、という通達を出しました。ただし条件付きですけどね。
──前進が見られたわけですね。
廣末 弁護士の先生方も声をあげられましたから。
──暴力団離脱者の暮らしを成り立たなくさせ、よりひどいことをやらせて、それで本当に日本社会が安定するのか、という廣末さんの問いかけが結果につながったのが嬉しいです。
廣末 日本社会ってグランドデザインがないんですよね。こういう世の中にしたいっていう設計図のもとでじゃなくて、何か問題が起きたら応急処置をする、ということでやっている。だからいびつな社会になってくるんですよ。僕は政治家じゃないから、後出しジャンケンしかできないですけど、それでも出てきたものがおかしいならば、「おかしいじゃん」って言い続けたいです。
──でも廣末さんは政治の道にもいたことがありますよね。
廣末 博士号を活かして国会議員の政策担当秘書をやっていました。でも当時は立法に携われてないんですよね。
──政策秘書なのに。
廣末 秘書の仕事は、第一秘書だろうが政策秘書だろうが選挙対策なんですよ。政策を作る仕事なんてほとんどない。結局は鬱になってやめましたからね。
──テキヤをやったのはそのあと?
廣末 はい、東日本大震災の時に地元の福岡に帰って、3カ月以上寝たきりになった。それで体がなまっちゃったんですよね。それでテキヤの仕事をアルバイトニュースで見つけて行ったんです。
──廣末さんは何を売るテキヤだったのですか。
廣末 最初にやったのはイカ焼きですね。焼きそばもやりましたし、じゃがバターもやりましたし。串もやりました。串っていうのは焼き鳥ですね。
──1つの店では1種類しか作れないから、いろいろなお店をやったんですね。大変そう……。
廣末 そうなんですよ。たとえば冬場とか、火を起こすまではたまらないです。手はかじかむし、屋外ですから、せっかくガスをつけても風が吹いたら消えちゃうんですよ。
──じゃあどうやって鉄板の下で燃やし続けるんですか。
廣末 常にガスが消えないように、覗き窓的な隙間からチェックし続けるんです。で、消えてるのを見つけたら急いで火をつけるじゃないですか。するとボッとくるから、覗き窓から噴出する炎でまつ毛も眉毛も燃えちゃうんですよね。まあ大変な仕事ですよ。
──大変すぎですよ……。そこまでやるんだから、テキヤの仕事は案外儲かるのでは?
廣末 いや、僕はアルバイトだから。日給8000円でした。
──じゃあ、お店の側はどうなんですか。興味本位ですが知りたいです。
廣末 テキヤは「正五九」で稼ぐって彼らは言うんです。正月、5月、9月ですね。それと、あと年末の酉の市やガサ市とかでも稼ぐでしょうね。でも祭りがない日も多いですし、そうなると金額にすると月収20数万円ぐらいの生活だろう、って取材させていただいた方は言ってました。
──そして廣末さんはテキヤのあと、研究生活に戻ったのですか。
廣末 任期制の助教をやったりしていました。あと学会で査読とか。そうすると「このポストが空いているから応募しなよ」とか言われるので、応募する。
──でも大学教員にはなっていないですね。
廣末 最初の書類で落とされるんですよね。著書や論文や報告の数とかでは、他の応募者に負けていないんですよ。でもやっぱり落とされる。僕に「反社」の色がついているせいかな。
──暴力団離脱者や元テキヤの方と似た展開ですね。それで研究生活から執筆生活に軸足を移していったのですか。
廣末 ええ、研究データのほうは、日本の研究者に引き継がせるのは諦め、海外の某大学から興味を持って調査に来てくれている方に託すことにしました。僕自身もポスト探しに時間を割いている余裕はないと思って、完全に方向転換をしています。
──専業のライターになるのですか。
廣末 その先です。起業したんですよ。個人事業主ですが。
──ええっ。何をするんです?
廣末 本や記事を書かせてもらった時に、出版業界からいろんなことを教えてもらいました。そういった経験で得たスキルを使って、いろんな方のライフヒストリー、自分史を書いてあげる仕事をしようと思っています。すでにいくつか引き合いが来ています。
──なるほど、自費出版ではなく、私家版の自分史をオーダーメイドで廣末さんが書いてくれる、と。これは発注したくなるなあ。
廣末 オーラルヒストリーの一部を本に載せただけでも、すごく喜んでくれる方が多いんですよ。こうして形に残してくれることで、自分の人生に意味があったような、悪くないものであったような気がする、というのですね。僕自身も、こうして喜んでもらえる形で書いていけるのなら、方向転換してよかったと思えるんです。
──出版社の人間としては、ライターの方に回せる仕事がどんどん少なくなり、とても申し訳ない気持ちがあります。だから署名記事を残された方が、その先につながる仕事のきっかけにしていただけるなら、原稿依頼する意味も少しは残るかもとは思います。
廣末 僕なんかも、たとえば1本3万円の記事を月に10本書けるかとなると厳しいです。ですが、たとえばそうした記事を月1~2本にして、得たノウハウを自分史の受注生産に活かす。そうすることで依頼した人も喜び、僕も記事を多く書いたのと同じ収入が得られる。みんなハッピーになれるわけですよね。
──もっと生産量を増やすならば、他のライターの方にも発注できますね。何なら廣末文章学校ができるかも。
廣末 そこまでの才覚はない気がしますが……。いずれにしても、やる以上は何か社会的意義を見出したいんですよね。仕事を通して社会に貢献したいんです。
──廣末さんの著書を読めば、一連の明確な異議申し立てを通じて、その姿勢は伝わってきますよ。
廣末 ただ単におもしろおかしい世界を書いてるだけじゃないことがわかってもらえて、僕も嬉しいです。今度は博多の夜で、井上さんも取材させてくださいね。
──私の人生に社会的意義は乏しいですが、ぜひ痛飲しましょう、語りましょう。そしてどんどん新作を読ませてください。楽しみにしています!
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