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松本零士さんとの半世紀──“子守”との出会いから復刻版刊行まで

野上 暁 評論家・児童文学者

 編集者の知り合いから、松本零士さんの訃報を聞きびっくりした。そして享年85歳と知り、ぼくよりだいぶ年上だとばかり思っていたのだが、わずか5歳しか違わなかったのに改めて驚かされた。

松本零士さん(1938-2023)松本零士さん(1938-2023)

 松本さんに最初にお会いしたのはもう半世紀以上も前になる。1967年4月に小学館に入社し、「小学一年生」編集部に配属されたぼくは、まだ担当も決まらない頃、漫画家の牧美也子さんにお願いしていた世界名作童話の挿絵を、真夜中に東京・練馬区大泉のお宅までタクシーで受け取りに行かされた。

 客間に通され最後の仕上げを待っている間に、赤ちゃんを背負った男の人が出てきて、運転手さんとぼくにお茶を入れてくれた。原画をもらって帰るタクシーの中で、運転手さんが「人気漫画家の旦那さんも大変だね」とぼくに言った。

 会社に戻って先輩にその話をすると、「牧さんのご主人は松本零士先生だよ」と教えられてびっくり。松本零士の名前は当時すでに有名だったから知っていたが、顔までは知らなかったのだ。それにしても、著名な漫画家が夜中に赤ちゃんの子守をしているとは意外で、まだ20代の若かった松本さんの良き家庭人としての一面を垣間見た気がした。

東京都練馬区練馬区大泉町で1995年.東京・練馬区の仕事場で=1995年

「死ぬために生まれた者などいない」

 

「小学一年生」1967年11月号「小学一年生」1967年11月号(小学館)=筆者提供

 その後、松本さんにも「小学一年生」に世界名作童話「はくちょうのおうじ」の挿絵をカラーで描いてもらった。柔らかな色調で可愛い少女を表情豊かに描ける画家が少なかったので、たびたびお願いしたかったのだが、1971年から「週刊少年マガジン」で「男おいどん」の連載が始まって忙しくなり、挿絵を依頼することができなくなってしまった。

 まだ独身だったぼくは、風呂はもちろんトイレも共同の安アパートに住んでいたから、「男おいどん」は共感を持って毎号楽しみに読んでいた。洗濯をする暇もなく忙しかったので、押し入れにパンツや靴下が山のように溜まり、「男おいどん」の洗濯されないパンツから増殖する「サルマタケ」に奇妙なリアリティーを覚えたことを思い出す。

 「宇宙戦艦ヤマト」については、怪獣ブームの最盛期に、編集部に来て取材協力してくれた元祖オタクともいうべき中高校生たちに教えられた。テレビ放映が終わってからも彼らは番組について熱っぽく語り、「小学四年生」に松本さん原作、池原茂利(画)で連載された漫画をガリ版印刷でコピーして回し読みしたり、「ASTRONAUT」というヤマトファンの同人誌を発行して持ってきてくれた。そして劇場版の映画ができると空前の大ブームになったのだ。

「ASTRONAUT」同人誌「ASTRONAUT」=筆者提供
同同=筆者提供

列車「銀河鉄道999号」を走らせるイベントで「一日車掌」を務めた松本零士さん=1979年7月22日、栃木県那須郡烏山町(現:那須烏山市)列車「銀河鉄道999号」を走らせるイベントで「一日車掌」を務めた松本零士さん=1979年7月22日、栃木県那須郡烏山町(現:那須烏山市)

 松本さんは、戦争中にお父さんが戦闘機のテストパイロットや訓練生の教官を務めていたことが影響してか戦闘機に詳しく、「戦場まんがシリーズ」(「週刊少年サンデー」不定期連載、「ビッグコミックオリジナル」掲載)など戦争マンガもたくさん描いている。緻密なメカ描写や戦闘場面のリアルさとともに、戦場の非情がペーソスを交えて描き出される。戦中戦後を通して少年期に様々な体験をした松本さんは、「敵であれ、味方であれ、死ぬために生まれた者などいない」と言い、「誰でも家族とともに生きる権利がある。それを奪うことが最も罪深いと知った」と述べている。

戦前戦後の漫画コレクターとして

 松本さんは若い頃から漫画のコレクターであり、ボロボロになるまで読まれて消耗されてしまいかねない戦前戦後の漫画を膨大に収集されている。それらをもとに、『漫画歴史大博物館』(松本零士/日高敏・編著、ブロンズ社、1980年)という、近代漫画の成立から現代に至るまで、主要な作品をカラーとモノクロ図版をふんだんに使った画期的な大著があった。

松本零士/日高敏編著『漫画大博物館』松本零士/日高敏編著『漫画大博物館』(発行・小学館クリエイティブ、発売・小学館)=筆者提供
 それがしばらく絶版になっていて、研究者や漫画愛好家たちに復刊が待たれていた。そこで、この本を小学館クリエイティブから復刊させてもらうことになった。1922年から、「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」が創刊され週刊誌時代が始まる1959年までの日本の漫画史を豊富な図版と解説でたどり、新たに「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」のかつての編集長のインタビューも追加した増補改訂版を、2004年に松本零士/日高敏編著『漫画大博物館』として刊行した。

 この時、松本さんは、印税はいらないからそれを使って作品を掲載させてもらった現存する漫画家たちを招待して、お礼の会を開きたいと提案された。さすが漫画文化とその継承を大事にする松本さんだと敬服し、銀座のレストランを借り切って出版記念を兼ねたお祝いの会を開催した。当時、90歳近かった上田としこ(トシコ)さんをはじめ、やなせたかしさん、藤子不二雄Ⓐさんほか、そうそうたる漫画家たちと、夏目房之介さんや藤本由香里さんなどの評論家や研究者にも参加していただいた盛大な会になった。

 これを契機に、松本さんの貴重な蔵書をお借りして、小学館クリエイティブからマンガの復刻版が次々と刊行されることになる。戦前の、旭太郎作、大城のぼる画の『火星探検』、大城の『汽車旅行』などの漫画史に残る名作から、戦後の漫画少年たちを魅了した手塚治虫+酒井七馬『新宝島』や、貸本漫画時代の水木しげる作品など、どれも古書店にさえなかなか出ない希少本なのに、それを惜しげもなく提供してくださった松本さんには感謝してもしきれないくらいだ。

 しかも復刻するためには、見開きごとに中面まで読み取れるように強く押しつけてスキャニングしなくてはならない。そのため貴重な本が傷みかねないのだが、それさえも承知の上で貸してくださったのだ。

少年時代の手塚マンガへの傾倒

 その中には、もちろん松本さんの作品もある。1958年に「松本あきら」の名で出版された幻のデビュー作『宇宙作戦第一号』や、1957年に少女雑誌「少女」の別冊付録作品などをまとめた単行本第2作として58年に刊行された『青い花びら』などのほか、加藤謙一が主宰して漫画家の登竜門ともなった「漫画少年」に投稿して1954年2月号に掲載された『蜜蜂の冒険』の私家版までも復刻させていただいた。

=筆者提供『宇宙作戦第一号』『青い花びら』(発行・小学館クリエイティブ、発売・小学館)=筆者提供

 この復刻版のケース入り「限定版BOX」には、なんと小学6年生の夏休みに描いたという

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