前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【56】多くの日本人が知らない実はラブソングなどではない「カチューシャ」の正体
いずれにせよ、日本人の「カチューシャ」理解はあまりにも無邪気すぎる。友人のアンケートにも、それを象徴する印象深いコメントがあった。
「ロシア民謡っていい歌が多いのに、どうして戦争なんか始めたんだろう」(74歳女性)
この疑問への私の答えはこうである。
「いい歌があるからロシアは戦争を始めたのだ」
あるいは、「ロシア人がよく戦えるのは、いい歌があるからだ」
こう言うと、アンケートに応えてくれたわが友人たちも読者諸賢も戸惑いを覚えるだろう。だが、私はそう確信を持っている。
とりわけ「カチューシャ」はロシア歌謡のなかでも、実によくできた「いい歌」である。かつて独ソ戦の最前線では兵士たちが「カチューシャ」を陽気に歌いながら戦い、銃後では彼らの帰郷をまちわびながらこの歌がうたわれた。「カチューシャ」ほどロシアの大地に生きる人々の心情と共振しつづけた歌はない。
迷走をきわめるウクライナ問題の核心を読み解くために、今こそ私たちは「カチューシャ」の正体を知らなければならない。
「カチューシャ」は、日本では、「ロシア民謡」と名付けられた歌謡ジャンルにくくられているが、正確にいうと古くからうたいつがれてきた「民謡」(フォークソング)ではない。おそらく多くの日本人の理解とは異なるだろうが、アメリカ生まれのジャズを出自とする「流行歌(ポピュラーソング)」である。
1917年10月(ロシア歴)、農民と労働者を主人公とした革命によって、「社会主義政権」が世界史上初めて誕生。成立当初から西欧の資本主義諸国とは、政治経済体制だけでなく文化芸術でも敵対的だったが、アメリカ生まれのジャズは例外であった。
それまで世界の中心だったヨーロッパが第一次世界大戦で戦場となったことで“漁夫の利”を得たアメリカは、「ジャズエイジ」と呼ばれる狂騒の20年代を謳歌。その文化シンボルであったジャズを、生まれたばかりのソ連は、容認するだけでなく、積極的に受け入れて「ソ連製ジャズ」が数多くつくられる。ジャズは奴隷として連れてこられた黒人たちの魂を癒す音楽であるとの理解から、これを「政治的な武器」として使えるかもしれないとの思惑によるものであった。
1920年代後半にはモスクワとレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に、ご当地ジャズバンドが誕生。ソ連当局の肝いりで「国立ジャズオーケストラ」までつくられている。
1930年代に入ると、一転して、ジャズはソ連指導部から「俗悪的かつ頽廃的なブルジョワ文化のシンボル」としてやり玉にあげられ、一時は消滅の危機におちいる。しかし、第二次世界大戦が勃発、ナチスドイツとの戦いに赴く兵士たちを鼓舞するために、多くの慰問コンサートが開かれたことによって息を吹き返した。日本では戦時中、ジャズが「敵性音楽」として禁止され、戦意発揚のためにはもっぱら軍歌のみが許されたのとは対照的であった。
そんな状況下で「愛国歌謡」となったのが「カチューシャ」である。
その経緯は以下のようなものであった。
ソ連が第二次世界大戦に巻き込まれるのは、1941年6月にヒトラー率いるナチスドイツ軍の侵攻をうけてからだが、1936年にはじまったドイツによるポーランド進駐によって、すでに戦時色は増しつつあった。国境警備にあたる兵士たちを鼓舞する歌が求められていた。
それに応えたのが国立ジャズオーケストラの芸術監督であったマトヴェイ・ブランテルである。ブランテルが、それまでジャズをふくめて多くの流行歌謡をてがけてきたミハエル・イサコフスキーに作詞を依頼したところ、すぐさま歌詞をそらんじてみせた。その場でブランデルには軽快なジャズ調のメロディが浮かんだという。「カチューシャ」誕生の瞬間だ。
ただ、その時の歌詞は以下の2番までしかなかった。(筆者のロシア語の直訳を付した)
(1)
Расцветалияблони и груши,
Поплылитуманынадрекой.
ВыходиланаберегКатюша,
Hавысокийберег, накрутой.
リンゴやナシも花を開きはじめ
川面を霧が流れだす
カチューシャは岸に出てきた
高くて険しい岸の上に
(2)
Выходила, песнюзаводила
Простепногосизогоорла,
Протого, котороголюбила,
Протого, чьиписьмаберегла.
そぞろ歩きながら口ずさんむのは
草原の蒼い鷲のこと
愛しいあの人、
大切な手紙をくれるあの人のこと
これだけでは戦時色がますます濃厚になる時局には不十分だという判断からだろう。国境警備兵とその恋人を主人公にした3番と4番が付け加えられることになった。
それが以下である。
(3)
Ойты, песня, песенкадевичья,
Тылетизаяснымсолнцемвслед
И бойцунадальнемпограничье
ОтКатюшипередайпривет.
ああ歌よ、娘の歌よ
飛んで行け、輝く太陽を追って
遠き国境の兵士のもとへ
カチューシャからのことばを届けておくれ
(4)
Пустьонвспомнитдевушкупростую,
Пустьуслышит, каконапоет.
Пустьонземлюбережетродную,
А любовьКатюшасбережет.
兵士が素朴な娘を思い出すように
娘の歌うのが聞こえるように
彼が祖国の大地を守るように
そして、カチューシャが愛を守り通すように
連載「嗚呼!昭和歌謡遺産紀行〜あの時、あの場所、あの唄たち」はこちらからお読みいただけます