前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【56】多くの日本人が知らない実はラブソングなどではない「カチューシャ」の正体
それにしても、なぜ、これほどまでに「カチューシャ」は国民的熱伝導力をもちえたのだろうか? それが私にとって半世紀以上も前からの疑念であった。
若かりし頃、たまたまロシア語を学んだ教材が「カチューシャ」だったため、この歌が日本で流布されている「青春のラブソング」などではなく、ある種の「軍国歌謡」であるとは知っていた。しかし、それにしては歌詞も緩いしメロディも軽い。これでは戦意高揚にはならないだろうと不思議だった。
今回、以下の指摘に行きあたってようやく手がかりが見えてきた。
――銃後の妻や家族を思い「必ず帰るよ」、そのためには「絶対に死なないで、この戦争を終わらせるんだ」という強固な意思を表明するメッセージを打ち出すことで、かえって戦意を高揚させることになる。戦時下のソ連では「死に打ち勝つ」という、あくまでも楽観的な歌が人々の心をとらえたのであり、政治権力がそれを利用したのだ。こうして個人の内面の「声」は、民衆すべての「声」となり、「戦争という物語」を共有することになったのである。(前掲鈴木正美論文)
「日常の延長にある明るく楽しい歌だからこそ戦意高揚になる」というパラドックスの指摘は、往時の日本の「欲しがりません勝つまでは」の戦意高揚策とは真逆で、示唆にとんでいる。
しかし、なぜ、このパラドックスが1930年代のソ連では成立しえたのか。これについては、高橋健一郎の以下の指摘に説得力がある。(「『ソビエト語』の言語空間――1930年代の大衆歌をめぐって」北海道大学スラブ研究センター、2005)