2023年03月10日
特集上映“知られざるサッシャ・ギトリの世界へ”が、東京・シネマヴェーラ渋谷にて開催される。日本では文字どおり“未知の監督”であるギトリ(仏)の映画14本が、一挙上映されるのだから、映画史の空白を埋める仰天すべき特集だが、以下では、フランスの演劇界、映画界で大活躍したこの天才のプロフィールを短く紹介したのち、代表作『とらんぷ譚』など5本の傑作を2回にわたって論評し、そのほかの逸品9本についても寸評する(なおギトリは長身でハンサムな容貌の持ち主)。
1885年、名だたる舞台俳優リュシアン・ギトリ(1860~1925)の三男坊として、帝政ロシア時代のサンクト・ぺテルブルグで生まれたサッシャ・ギトリ(1885~1957)は、5歳で早くも初舞台を踏み、1891年にパリに移り住み、1905年以降、劇作家としてのキャリアを歩み始める。
他方で、映画にも大いに興味を示したギトリは、サイレント期の1915年に映画第1作となる中編ドキュメンタリー、『祖国の人々』(今回上映)を撮ったのち、トーキー初期に『パストゥール』(1935)で本格的な映画作家としてのキャリアを開始するが、ナレーション/語り、およびダイアローグ/対話の多用が<作家性(作家的特徴)>であるギトリは、何より“声の映画作家”だ。
したがって彼は、サイレントよりトーキーにおいて、その映画的才能をいかんなく発揮できたのである(ギトリのそうした突出した作家性ゆえ、<作家主義>を掲げていたヌーヴェル・ヴァーグの監督たちが、彼を熱烈に称揚した)。
■『とらんぷ譚』(1936、戦前に日本で公開された唯一のギトリ作品)
“声の映画”というギトリの作家性がめざましく開花するのが、この型破りの傑作である(原題:「ある詐欺師(ペテン師)の回想」、原作はギトリ自身の同名小説)。脚本・演出・主演を兼ねるギトリならではの“自作自演”形式が確立された点でも、画期的なフィルムだが、冒頭でスタッフ、キャストが紹介される“前口上”──これもギトリ印となる──がなんとも心憎い。そして以後、ほぼ全編の映像を画面外からコメントする(!)、ギトリの流麗な声が、魔法のように観客を魅了する。
──冒頭まもなく語られる、「私」が12歳のときに彼以外の家族11人が“消えた”事件が、とんでもなくショッキングだ。「私」だけが命拾いをしたのは、盗みを働き、その罰として食事を与えられなかったからだが、それ以来、彼は悪事にポジティブな意味を見いだすようになる。
そしてこの一連は、“非深刻化”されてコミカルに描かれるが、こうしたタッチは全編の通奏音となり、以後、「私」の歩んだ詐欺師人生や女性遍歴、あるいは“悪徳礼賛のサバイバル哲学”などが、軽妙に回想される。──ボーイとしてホテルに勤めたあと、レストランの給仕係になった「私」は、友人の加わるロシア皇帝暗殺の謀略に巻き込まれそうになるが、密告──人を欺くという点である種の詐欺行為──によって辛くも難を逃れる。
次いでモナコのホテルのエレベーター・ボーイとなった「私」は、20歳以上年上の伯爵夫人(エルミール・ヴォーティエ)との情事を経験し、かつてより憧れていた「金持ち」という種族の世界をつぶさに知る(伯爵夫人が「私」に贈った金時計が、彼女ともどもアイロニカルに再登場、再々登場する「現在」の場面の妙味!)。そして兵役生活を経て、モナコでカジノのディーラーになり、その後、第一次世界大戦に従軍し負傷した「私」は、宝石泥棒の美女(ロジーヌ・ドレアン)の共犯者となる(部屋の金庫と隣室の壁をつなぐカラクリにも一驚)。
「私」はその後、ルーレットで勝ち続ける美貌のパリジェンヌ(ジャクリーヌ・ドゥリュバック)と知り合い、結婚するが、ゲームに負けつづけ、胴元は破産し、「私」は解雇され、二人は離婚する。そして「私」は、詐欺師になることを決意する──「運命は私を本物の悪党にしたいようだ。イカサマを失敗した男が最初に考えることは? 次のイカサマ……かくして私はペテン師となった」(回想)。
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