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必見! サッシャ・ギトリ特集(上)──未知のフランス喜劇映画の天才

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 特集上映“知られざるサッシャ・ギトリの世界へ”が、東京・シネマヴェーラ渋谷にて開催される。日本では文字どおり“未知の監督”であるギトリ(仏)の映画14本が、一挙上映されるのだから、映画史の空白を埋める仰天すべき特集だが、以下では、フランスの演劇界、映画界で大活躍したこの天才のプロフィールを短く紹介したのち、代表作『とらんぷ譚』など5本の傑作を2回にわたって論評し、そのほかの逸品9本についても寸評する(なおギトリは長身でハンサムな容貌の持ち主)。

サッシャ・ギトリ『とらんぷ譚』=提供・シネマヴェーラ渋谷サッシャ・ギトリ監督・主演『とらんぷ譚』(右から2番目がギトリ)=提供・シネマヴェーラ渋谷

 1885年、名だたる舞台俳優リュシアン・ギトリ(1860~1925)の三男坊として、帝政ロシア時代のサンクト・ぺテルブルグで生まれたサッシャ・ギトリ(1885~1957)は、5歳で早くも初舞台を踏み、1891年にパリに移り住み、1905年以降、劇作家としてのキャリアを歩み始める。

 他方で、映画にも大いに興味を示したギトリは、サイレント期の1915年に映画第1作となる中編ドキュメンタリー、『祖国の人々』(今回上映)を撮ったのち、トーキー初期に『パストゥール』(1935)で本格的な映画作家としてのキャリアを開始するが、ナレーション/語り、およびダイアローグ/対話の多用が<作家性(作家的特徴)>であるギトリは、何より“声の映画作家”だ。

 したがって彼は、サイレントよりトーキーにおいて、その映画的才能をいかんなく発揮できたのである(ギトリのそうした突出した作家性ゆえ、<作家主義>を掲げていたヌーヴェル・ヴァーグの監督たちが、彼を熱烈に称揚した)。

“悪徳礼賛”の詐欺師人生を描いた傑作『とらんぷ譚』

■『とらんぷ譚』(1936、戦前に日本で公開された唯一のギトリ作品)

 “声の映画”というギトリの作家性がめざましく開花するのが、この型破りの傑作である(原題:「ある詐欺師(ペテン師)の回想」、原作はギトリ自身の同名小説)。脚本・演出・主演を兼ねるギトリならではの“自作自演”形式が確立された点でも、画期的なフィルムだが、冒頭でスタッフ、キャストが紹介される“前口上”──これもギトリ印となる──がなんとも心憎い。そして以後、ほぼ全編の映像を画面外からコメントする(!)、ギトリの流麗な声が、魔法のように観客を魅了する。

──冒頭まもなく語られる、「私」が12歳のときに彼以外の家族11人が“消えた”事件が、とんでもなくショッキングだ。「私」だけが命拾いをしたのは、盗みを働き、その罰として食事を与えられなかったからだが、それ以来、彼は悪事にポジティブな意味を見いだすようになる。

 そしてこの一連は、“非深刻化”されてコミカルに描かれるが、こうしたタッチは全編の通奏音となり、以後、「私」の歩んだ詐欺師人生や女性遍歴、あるいは“悪徳礼賛のサバイバル哲学”などが、軽妙に回想される。──ボーイとしてホテルに勤めたあと、レストランの給仕係になった「私」は、友人の加わるロシア皇帝暗殺の謀略に巻き込まれそうになるが、密告──人を欺くという点である種の詐欺行為──によって辛くも難を逃れる。

 次いでモナコのホテルのエレベーター・ボーイとなった「私」は、20歳以上年上の伯爵夫人(エルミール・ヴォーティエ)との情事を経験し、かつてより憧れていた「金持ち」という種族の世界をつぶさに知る(伯爵夫人が「私」に贈った金時計が、彼女ともどもアイロニカルに再登場、再々登場する「現在」の場面の妙味!)。そして兵役生活を経て、モナコでカジノのディーラーになり、その後、第一次世界大戦に従軍し負傷した「私」は、宝石泥棒の美女(ロジーヌ・ドレアン)の共犯者となる(部屋の金庫と隣室の壁をつなぐカラクリにも一驚)。

提供・シネマヴェーラ渋谷『とらんぷ譚』=提供・シネマヴェーラ渋谷

 「私」はその後、ルーレットで勝ち続ける美貌のパリジェンヌ(ジャクリーヌ・ドゥリュバック)と知り合い、結婚するが、ゲームに負けつづけ、胴元は破産し、「私」は解雇され、二人は離婚する。そして「私」は、詐欺師になることを決意する──「運命は私を本物の悪党にしたいようだ。イカサマを失敗した男が最初に考えることは? 次のイカサマ……かくして私はペテン師となった」(回想)。

提供・シネマヴェーラ渋谷『とらんぷ譚』=提供・シネマヴェーラ渋谷
 こうして主人公は、少年時代の彼が、盗みを働いたがゆえに生き延びた際に体得した“悪徳礼賛”を、詐欺師人生の始まりにおいて、ふたたび宣言し、シガレット・ケースを鏡代わりに使うなどのイカサマ賭博や、カツラや付けヒゲを用いた変装術の修行に励み、やがて大金を稼ぐことになるが……。

物語を動かす<人物再登場法>

提供・シネマヴェーラ渋谷『とらんぷ譚』=提供・シネマヴェーラ渋谷
 ところで、『とらんぷ譚』でいまひとつ注目すべきは、
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