2023年03月10日
今回は前回記した、サッシャ・ギトリのプロフィール、および代表作『とらんぷ譚』評をふまえて、傑作4本を短く論評したのち、そのほかの逸品についても寸評したい。
■『夢を見ましょう』(1936)
不倫というギトリ好みの主題を軽妙洒脱に描く艶笑譚(セックス喜劇)の傑作だが、弁護士の独身男(サッシャ・ギトリ)が、自宅に招いた友人の妻(ジャクリーヌ・ドゥリュバック)を待つあいだに朗々と述べる、頓智(とんち)の利いた15分間の(!)モノローグに聞き惚れる。
なお本作は、ギトリの代表的な戯曲の映画化だが、カメラのクイック・パン(素早い首振り)などの撮影技法ゆえ、演劇臭をいささかも感じさせない。かつてギトリの映画に対してなされた、“撮影された演劇にすぎない”という批判がいかに的外れであるかは、これ1本を見ただけで一目瞭然だ。<星取り評:★★★★★+★、以下の作品も同>
■『デジレ』(1937)
使用人と主人との主従関係の綾という、ギトリ的モチーフが全開した傑作だが、郵政大臣の愛人オデット(ジャクリーヌ・ドゥリュバック)に仕える召使のデジレ(サッシャ・ギトリ)が主人公だ。主人のオデットは、知恵者で魅力的なデジレに好意を抱き……という物語のゆくえは見てのお楽しみであるが、興味深いのは、睡眠中の夢において抑圧された性的欲望が表れる、というフロイト流の夢理論が巧みに場面化されている点だ。その最もスリリングな例は、オデットとデジレの見る夢の映像が、ベッドで眠っている彼らの映像に二重写し(二重露光)され、彼らのきわどい寝言が発せられるシーンだが、それは一種の映画内映画の手法ともいえる、卓抜な着想だ。
また、召使デジレと主人オデットをめぐる主従の力関係が非対称から対称へと変転し、さらに逆転するかに思われる展開も見事だが、それはデジレの次のセリフによく表れている──「我々〔召使〕は1週間で主人の欠点を知り、ひと月ですべてを知る。だが5年仕えても主人は何も知らない」。つまり、主人の性格や習慣を観察し把握できる立場にある召使のほうが、じつは主人より優位な立場にある、というわけだ。
なお本作の冒頭でも、スタッフ、キャストを紹介する画面内のギトリの<声>が快く響く。作中のデジレ/ギトリの流暢なモノローグとともに、<声の映画作家>ギトリの面目躍如たるくだりだ。
■『シャンゼリゼをさかのぼろう』(1938)
今特集の超目玉のひとつである、度肝を抜かれるような傑作!──ギトリ扮する教師が子供たちに向かって、シャンゼリゼ大通りの沿革を講義しながら、1617年以降のフランスの歴史を語り、それが教師自らの家系をたどることにもなる、という絶妙な趣向だが、ドラマを縮約する彼の流麗でスピーディーな語りによって、さまざまな歴史上の人物がめまぐるしく登場し退場していくさまは、まさに万華鏡を見るようだ。しかも、歴史劇にありがちな仰々しさは皆無で、残酷な場面も、ブラック・ユーモアによって非深刻化される。
たとえば、ルイ13世が狩場で罠にかけた寵臣コンチーニが暗殺される場面では、狩の獲物とともにコンチーノが惨殺されるところが短く、コミカルに映される。また、若いルイ14世が馬車に乗り、反対側の降り口から出てくるとそれは50年後の年老いた国王である、といった一瞬で時間経過(権力者の栄枯盛衰)を示すショットの、なんという冴え。
俳優ギトリが語り手の教師を含めて、ルイ15世やナポレオン3世など1人5役(!)を演じる点も見どころだが、これほど高密度の物語を102分で語り切った話術にも脱帽。
■『毒薬』(1951)
じつは、本特集のベスト・オブ・べストはこれかもしれない。なにしろ、怪優ミシェル・シモン主演の本作は、フランス映画史上“最狂”のブラック・コメディーなのだから。
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