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『タモリ倶楽部』はテレビ史に残る革新的な番組だった

「趣味の教養化」、そして「知的笑い」

太田省一 社会学者

 深夜のバラエティ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)が、2023年4月1日(3月31日深夜)をもって終了する。1982年10月の開始以来40年余という大きな節目を迎えての決定である。では『タモリ倶楽部』とはいったいどのような番組であったのか? ここでは『タモリ倶楽部』の革新的だった部分に注目し、それがテレビ史のなかで果たした役割を探ってみたい。

『タモリ倶楽部』はなぜ深夜だったのか

40年余にわたって『タモリ倶楽部』の司会を務めたタモリ40年余にわたって『タモリ倶楽部』の司会を務めたタモリ

 『タモリ倶楽部』初回の放送は1982年10月9日(10月8日深夜)。このわずか前の同年10月4日にあの『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系、以下『いいとも!』と表記)が始まっている。それから『いいとも!』が終了する2014年3月まで約32年のあいだ、タモリは真昼と深夜という対照的な時間帯において両方の顔であり続けたことになる。

 『タモリ倶楽部』が深夜の放送になったのには、ある事情があった。同じテレビ朝日で1年前に始まった夕方放送のタモリの番組『夕刊タモリ!こちらデス』が編成上の理由のためわずか1年で終わることになった。そのことを申し訳なく思った当時のスタッフが、タモリに「しばらく深夜で遊んでいてくれないか」と考えて企画したのが『タモリ倶楽部』だった(『デイリー新潮』2022年12月19日付記事)。

 この発言を聞く限り、『タモリ倶楽部』はタモリのいわば仮住まいとして始まった。だが結果的に、『タモリ倶楽部』はテレビ史に残る長寿番組になった。それはおそらく、深夜だからこそできた革新的な部分があり、それがやがてテレビ全体にも影響を及ぼすことになったからだと思える。以下、具体的に見ていきたい。

深夜番組の歴史と『タモリ倶楽部』

 深夜番組の歴史は、『11PM』(日本テレビ系)にさかのぼる。

 『11PM』は1965年に始まった深夜の生ワイド番組である。それまでテレビにとって深夜は、これといった番組が放送されていない不毛の時間帯だった。

作家・藤本義一とともに、『11PM』の視界を長く務めたタレント・大橋巨泉作家・藤本義一とともに、『11PM』の司会として活躍したタレント・大橋巨泉
 そこに『11PM』は、司会に大橋巨泉を迎えて深夜ならではの新機軸を打ち出した。その柱となったのが、お色気と趣味である。会社から帰ってひとりでくつろぐサラリーマンのような大人の男性を視聴者に想定していたことがそこにはあった。

 お色気に関しては、当然深夜という点も大きかった。女性のヌードも時に登場するお色気重視路線は、後の『トゥナイト』(テレビ朝日系、1980年放送開始)のような他局の深夜ワイドショーにも受け継がれていくことになる。

 もうひとつの柱である趣味も、具体的には麻雀や釣り、ゴルフなどサラリーマン視聴者を意識したものだった。そうした趣味を大々的に番組で扱うのは当時画期的なことであり、案内役となった大橋巨泉はテレビにおける「趣味の達人」のパイオニア的存在となった。

 ところが1980年代前半、深夜番組に大きな転換が起こる。

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