[24]ギクシャクしがちなお寺と幸せな関係に
2023年03月29日
現代人にとって、お寺というのは、どうもつき合いにくい存在である。
お布施をいくら包んだらいいのかを始めとして、法事にはどんな準備をしたらいいのか、寄付の依頼にはどう応えたらいいか、住職とはどんな話をしたらいいか、行事には参加しなければならないのか等、わからないことだらけである。そもそも、お寺とつき合うこと自体の意味がよくわからないということもあるだろう。
そのわからないことについてお寺に質問するのも、なんだか気が引けるものである。そんなことを聞いて不勉強と思われないか、そもそも質問自体が失礼じゃないかと。普段、あまり交流のない存在であるし、気さくに話のできる存在でもないということもある。
さらには戒名をつけることや、檀家をやめることをめぐってのトラブルも聞く。
つき合うこと自体が面倒で、「できることなら、距離を置きたい」と考えている人が多いのである。
お寺の名誉のために言っておきたいのだが、すべてのお寺がつき合いづらいわけではない。実際は、我々一般の人に対して理解のあるお寺のほうが多い。ただつき合いが無いと、それすら伝わってこないのである。
また、宗教者というものは、我々一般の人間とは異なった価値観を持っている。それはちょっとしたズレかもしれないが、対話不足から誤解が生じてしまうことは多い。
さらには、お寺との関係は悪くないものの、遠方に住んでいるため、つき合いが重荷になっているという人もいる。
現代という社会の中で、お寺は実につき合いにくい存在なのだ。
お寺が嫌ならつき合うのを止めてしまえばいいという意見もある。確かにそのとおりで、嫌なつき合いを続けるのは、お互いに不幸である。
ただ、長年のつき合いや、親類や地域のしがらみなどによって、状況がそれを許さないという人もいる。檀家をやめるのはそう簡単なことではないのだ。
そんな人たちのため、現代人はお寺とどうつき合っていけばいいのか、「お寺取扱説明書」とでも言うべきものを考えてみたい。
お寺とのつき合いというのは、ほとんどの場合、葬儀や法事という場が中心で、それに加えて、彼岸法要やお盆法要などの定例行事ということになる。また、檀家になっていると、護持会費などを毎年納めるということになる。
こうしたつき合いの中で、つき合いづらさが生まれるのは、僧侶という存在の話しづらさに原因があることが多い。
お寺とのつき合いの中では、いろんなわからないことが生じる。お布施をどのくらい包めばいいのか、法事はどんな準備をしたらいいのかなど、本当は聞きたいのに、話しにくいので、聞きそびれてしまったということは多い。その結果、「これでいいのか」という思いを抱えたまま、お寺と接することが続く。
ひと昔前は、檀家の役員や地域の顔役のような人に聞けばよかったが、今では“絶滅危惧種”となってしまい、相談する人もいなくなってしまったのである。
お寺とつき合うことは、常に不安を抱えることでもあるのだ。
そこで、お寺はつき合いにくいと感じている人にひとつ提案したいのが、住職と話をする機会を見つけてもらいたいということだ。
というのも、つき合いづらいと思っているのは、単に馴染みが無いだけで、先入観に過ぎない可能性があるからである。
私が仕事で接する僧侶の多くは、気さくで、誠実な人柄の人が多い。実はそうした僧侶が住職をしているお寺でも、檀家の中には「つき合いづらい」と感じている人が多いはずである。それは、そもそもつき合いが無いから、人柄を知る機会も無いからである。
さらに僧侶という存在自体に近づきがたいというイメージがある。こうした状況では、むしろ「つき合いづらい」と感じるほうが自然なのだ。
だから、気になることや心配なことがあったら、まずは住職に話を聞いてみることである。僧侶の側も、相談されたりすると、案外、嬉しいものだ。法事や定例行事の機会に、踏み込んで話をしてもいいと思う。
それで誤解が解ける可能性があるし、親しみを持てれば今後のつき合いが豊かなものになっていくはずである。
ただ話してみた結果、やっぱり印象は変わらない、となる可能性もある。一方的に話すだけの僧侶や、難しい話ばかりをする僧侶もいる。中には、檀家に対して、高圧的な態度をとるような僧侶もいる。
そうした場合は、どうしたらいいのだろうか。
お寺の檀家になっていると、お寺に対していくつかの義務や制限がある。
例えば、葬式や法事はそのお寺に頼まなければならないということ(他のお寺に頼んではいけないということ)、儀式・行事にはできるだけ参加しなければならないということ、護持会費などの費用を支払わなければならないということ、お墓がある場合は管理費も支払わなければならないということ、などである。
また建物の修繕や新築の際は、金銭的な寄付を求められることもある。
20〜30年前くらいまでは、これを当然のことと考えている檀家は多かった。
しかし現代では、こうした関係を窮屈と感じる人が大半である。そこまでいかなくても、違和感をもっている人は多い。
その場合、檀家側の選択肢は、我慢する、住職と話をしてこちらの考えを理解してもらう、檀家をやめる、の三択である。
理想は、
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