偶然を必然にする、つかこうへいの力
2023年04月16日
つかこうへいの娘である俳優、愛原実花さんと、長谷川康夫さんとの対談、2回目です。「生まれる前から知っていた」愛原さんを、本名の「みな子」と呼ぶ長谷川さん。話題は、愛原さんが出演した2015年の『熱海殺人事件』からさかのぼって――。〈上〉はこちら。
長谷川(以下H) 『熱海殺人事件』というお父さんの代表作を、それもフランチャイズとしていた紀伊國屋ホールの舞台で演じるというのは、やっぱり特別なものだった?
愛原(以下A) それはすごくありました。今までも仕事をする中で、つかこうへいの娘だというのは、必ず触れられるわけで、事実として父であることは間違いないのだからと、それなりに開き直ってるつもりだったんですけど、今度ばかりは意味が違うぞってのを、思い知らされたというか……。
H そうか。
A 正直、これほどのプレッシャー感じたことなくて、稽古中も、アイ子が死に至るまでの海岸での大山金太郎とのシーンになると、毎日そこで鼻血が出て。自分でもよくわからない重圧だったのかなぁ
H そんな大変だったんだ……。
A インタビューでも、これまで以上に、父のことばかり聞かれましたから……もうイヤというほど。
A インタビューを受ける時、父のことを娘が「すごい人なんです」とか、滔々と語るのもおかしいでしょう? どういう塩梅で話すべきなのか、いつも迷うところなんです。だからそれまでは、「父と一緒に過ごした時間があまりにも短すぎたので、語るにはまだ少し自分の気持ちの整理がついていません」と最初に言って、そこからなんとか話を組み立てていたんですけど、さすがにあの芝居をやるにあたって、もうそれは通用しないなって思いましたし……。おかげでその頃から、ちゃんと冷静にっていうか、客観的にっていうか、父のことを考えるようになったかもしれません。
H そうか、その結果か……ほら、早川書房の演劇雑誌『悲劇喜劇』の2020年11月号で、つかさんの没後十年の特集があって、僕も少し書かせて貰ったり、風間さんや平田のインタビューなんかも載ってるんだけど、みな子が書いた「父のこと」という文章が圧倒的にすごいのよ。見事だった。あれ読んだとき、もう俺との対談なんか必要ないかって、正直、思ったもの。
A やめてください(笑)、でもやっぱり、父のお芝居を初めて演じさせてもらって、ようやく父のすごさに気づいたというか……言葉にはこれほどの力があるんだって、娘としてよりも、女優という仕事を選んだ人間として、なんか打ちのめされたんですよね。
H うん、わかるような気がするな。つかこうへいが生み出した言葉を、舞台に立って発すること以上に、そのすごさを実感するなんてないものね。
A 『熱海殺人事件』という芝居で言うと、言葉は人も殺せるんだ……みたいな。
H なるほど。
2015年『熱海殺人事件』は、学生時代につか演劇のコピーからスタートした劇団☆新感線のいのうえひでのりが演出。警視庁の部長刑事・くわえ煙草伝兵衛を風間杜夫、新任刑事の熊田留吉を平田満、女性警官・片桐ハナ子を愛原実花、犯人の大山金太郎を中尾明慶が演じた。12月に東京・新宿の紀伊國屋ホールで開幕し、翌16年2月まで北海道から九州までの計10都市で公演した。
A それと、私の演じた『熱海』は当時の上演台本を使ったもので、オリジナルの戯曲とはほぼ違うじゃないですか。
H 〝口立て〟という作業でどんどん変わって行った結果だからね。
A それなんです。父の芝居作りにおける〝口立て〟という作業の意味が、何となくわかったような気がしたんです。もちろん私がそれを受けたわけじゃないんですけど。
H どういうこと?
A たとえば、かっこいいセリフとか、すごく耳に残るひと言とか、心震えるモノローグとか、山ほどあるじゃないですか。結局それって、音としての響きがすべてなんだって。
H つかさんと役者の掛け合いで、台詞を反復することによって、それをリアルな音として確かめながらホンをつくってゆくわけだから、文字として書いたものとはやっぱり違うよね。
A そう。その役者さんが持つ声とか言い回しとか、もっと言うとたたずまいのようなものまで、すべてつかんだ上で、それに合わせて作られていった台詞だから、単なる相づちひとつでも心地いいんじゃないかって……風間さんと平田さんを見ていて思ったんです。俳優って、例えば台本もらって演じるときに、自分の中にすっと入ってきて、あ、このトーン言いやすいみたいな台詞と、なんだか全然言いにくくて、どうしても覚えられない台詞ってあるじゃないですか。でも〝口立て〟では絶対にそれは起こらない。だから私のハナ子も、父の〝口立て〟だったらどんなふうに作ってくれたかなぁ、私の台詞は音としてどうなのかなぁ、なんて思ってました。
H 『熱海』を観た時にね、うまく言えないんだけど、僕の中に「あ、娘だ」っていう感覚がすごくあった。それはね、つかこうへいの台詞を、ちゃんと作った人の狙った正しい音で発してるってことなの。やっぱり娘だなぁって、なんかそんな思いで観ていた。
A 気をつかっていただいたお言葉、ありがとうございます(笑)……もうひとつ〝口立て〟についてわかったのは、正解の「音」ということだけじゃなく、演じている役者、その人自身のめちゃくちゃコンプレックスなところや、そこだけは触れてほしくないところをガンって見抜いて、この人これ言われたら琴線に触れて心が揺れるだろうなって台詞を、役の中にあえて与えていったんだってことかな。その俳優自身の芯の部分が役と一体になってむき出しになる瞬間みたいなものを引き出す。役者にとってはそれが快感なんですね。実は私も、女優としてさらけ出されてみたかったなぁなんて思ったぐらいだから、たぶんそれが、父による〝口立て〟の醍醐味なんだろうなって、勝手に理解した気になってたんですけど、どうですか?
H 正しい。まったく正しい。
A 偉そうなこと言ってますけど、本当のところは、父のお芝居で紀伊國屋ホールの舞台に立てることがやっぱり嬉しくて、それが一番でした。「宝塚」を退団して少しした頃かな、早稲田の演劇博物館で「つかこうへいの70年代」っていう展覧会があって、ちょっとわくわくして行ったんです。ちょうど私が27くらいで、あれこれ展示を見るうち、自分と同じような齢で父はこんなだったんだと知って、衝撃的でしたね。写真がいっぱい並べられてて、あの時に、自分もいつかこの紀伊國屋ホールの舞台に立てたらいいな、それまで女優という仕事を続けていけたらって、そんなふうに心に決めたから。
H 僕は紀伊國屋ホールで、風間、平田に挟まれて立つみな子を観て、ああやっぱりこれもつかさんとっての必然なんだなって、胸が熱くなった。
A 必然……。
H 『つか正伝』でも書いたけど、つかこうへいという人が生きていく中で起こる様々な出会いや出来事は、すべてその人生の中での必然なんだと僕は思ってて、亡くなった後も、それは続いているんだって……。
A どういうことですか?
H 順を追って話すと……お父さんとお母さんがどう出会い、結婚することになったか、知っている?
A 全然……話してなんかくれないです。
H 僕は二人が初めて会った瞬間を、この目で見てるんだよ。
A わぁ、聞きたい、聞きたい。
H 1980年の春かな。劇団が新人オーディションをすることになって募集をしたわけ。人気絶頂の時期だから、何千人もの応募があって、履歴書と自己紹介を吹き込んだテープが山ほど届いたんだけど、その締切最終日、郵送では間に合わないからって、渋谷のビルの中にあった「つか事務所」に履歴書を自分で持ってきた、学校帰りの女子高生がいた。
A それが母ですか?
H そう。で、当時つかさんの秘書だった江美由子さんというのがドアの外で書類を受け取って、直子……あ、お母さんも呼び捨てだけど(笑)。
A はい(笑)。
H 直子はそのまま帰った……すると戻ってきた江美さんの第一声が「すごくかわいい子でした!」。そういうとき、つかさんの反応は早いからね。「呼んで来い」のひと言で、すぐ江美さんが追いかけ、ちょうどエレベーターを待っていた直子に声を掛けて、もう一度、事務所に連れて来た。
A 長谷川さんもそこにいたんですか。
H 原稿の手伝いで毎日通ってたからね。だからセーラー服の女の子が入って来たときは、「おーっ」と思った。でも直子はつかさんの前でずっと緊張していて、全然話さないんだよ。憧れのつかさんと会って、チャラチャラしゃべるようなファンの女の子は大勢見てきたけど、まるで違って、つかさんが「俺の舞台はよく見ているのか?」と声をかけても「はい……」だけ。結局、北区の方に住んでいるとか、一人娘だとか、学校がどこかとか、何とか聞き出して、そのまま帰って行った。その後、一応オーディションはあったんだけど、そこにも呼ばれず……まぁ結局、合格者は誰も出なかったんだけどね。
A なのに劇団の一員になるわけですか?
H そう。その夏、『蒲田行進曲』の初演の稽古が始まると、そこにあなたのお母さんがいた。
A 父が呼んだんですか。
H もちろん。そのとき一緒だったのが酒井敏也。酒井もオーディションなんか受けていない。何千通かの応募の中で真っ先に届いたのが酒井のものだったんで、すぐ皆で開け、その写真と自己紹介テープに大笑いして、つかさんが呼んだ。ようするに合格したのは応募者の中、最初と最後の書類の二人だけで、いったいオーディションてのはなんだったんだって(笑)
A 稽古に参加したってことは、つまり母は『蒲田行進曲』の成り立ちを、初めから全部見ているわけですね。
H 何言ってるの。初演の舞台にちゃんと立ってる。
A え、そうなんですか。
H こんな若い女の子をどう使うんだろうと思ってたら、銀ちゃんが付き合っている女子大生という役で、小夏役の根岸季衣と二人きりの場面に、ワンシーンだけ登場。俺ら薄汚い連中ばかりの中、見たことのない美少女が突然現れて、お客さんは強く印象に残ったはず。
A そんなこと、父も母もまるで教えてくれないから。
H さらに翌年の81年には、根岸と田中邦衛さんの『ヒモのはなし』で、ヒモである田中さんが前の奥さんとの間に残してきた一人娘という重要な役をやった。再演なんだけどまったく新しく出来た役。つまりつかさんが直子のために大きく芝居を変えた。
H 台詞もたっぷりあって、もちろん〝口立て〟だから、彼女の魅力が前面に出ていて、素晴らしかった。ああ、つかさんこのまま女優として使っていって、将来は直子がメインの芝居なんかが生まれるんじゃないかなぁ、なんて思ってたら、いつの間にか稽古場に現われなくなった。あれ?これは何かあるぞって感づいて、案の定、二人が結婚するってことがわかって。それまではみんな、「直子」「直子」って呼び捨てだったのが、急にぎこちなく「直子……ちゃん」になったりして。
A 母の方も困ったんじゃないですか(笑)。
H 話を戻すとね、紀伊國屋ホールの舞台に立つあなたを観ながら、そんなことがよみがえって来たわけ。つまりあの日、あなたのお母さんが渋谷の事務所にやって来て、もし江美さんが「かわいかった」と言わなければ、もしエレベーターがすぐに来て、そのまま帰ってしまってたら、目の前の舞台にみな子はいないわけだから。
A つまりそれが長谷川さんの言う「必然」なんですか?
H そう。つかこうへいという人が、自分にとって必要な偶然を引き寄せる、自らの必然。
A 偶然を必然にしてしまうのが、父の力というわけですか。
H そう。ただしそれで言うと、僕があの舞台を観て胸を熱くした、みな子がそこにいる「必然」は、つかさんだけが生んだものじゃない。
A 他にもいるということ?
H あなたのおじいちゃん。松竹の映画監督だった生駒千里さん。
A 祖父が?
H 『つか正伝』を書く中で、取材っていう形であなたのお母さんと会ってあれこれ話を聞いたわけ。そんなことはそれまで一度もなかったから、結構楽しみにしていて、まずどんな経緯でつかさんの芝居のファンになって、あの日、履歴書を持って事務所にやって来たのか、そこから始めたんだけど、びっくりしたのは、まだ中学生だった直子が初めて観たつかこうへいの芝居は、つか事務所が紀伊國屋ホールに進出した年の『熱海殺人事件』で、それは父である生駒監督に連れられて来たんだってこと。「今、若者たちにすごく人気のあるお芝居があるから、行ってみよう」って言われたんだって。
A それが始まりなんですね。
H そう。そこからお母さんはつかこうへいの芝居が病みつきになって、一人で劇場に通うようになり、あの履歴書持参の日まで、すべての舞台を観てきたんだって。
A きっかけは祖父か……
H それ聞いて、「生駒家、恐るべし」と思った。だってあの時代に、父親が中学生の娘を「人気の芝居だから」って新宿の劇場に連れて行くんだよ。もちろん映画監督という仕事柄もあると思うけど、普通はなかなか考えられない。つまり愛原実花という存在は生駒千里のひと言から始まってる。そしてそれもやっぱり必然なんだって……。
A そこから、母は父の芝居と出会い、二人が結婚するまでになり、だから私はいるってことですね……。
H 一人の少女が中学生の頃に目を輝かせて観た、『熱海殺人事件』という舞台に、なんとその作者との間に生まれた一人娘が、今、立っている。それもあの日のままの紀伊國屋ホールで……そんなこと思いながら観てたら、何だか涙がこみ上げてきて、芝居になんか集中できなかった。例えばこれが映画のエンディングなら、主演女優のステージを撮ってるカメラが客席方向にパンすると、そこは39年前に戻っていて、座席に父と並んだ少女が惹き込まれるように舞台を見つめている……というようなシーンになるかな。
A そんな話、本番中に聞かなくてよかった。私も芝居にならなかったかもしれない(笑)
H いや、そんな物語を現実にしてしまうのが、つかこうへいなんだって、話をまとめたくなるんだけど、僕がここで言いたいのは、生駒家の流れの方で、愛原実花という存在には、それもすごく大きな力になってるんじゃないかってこと。
A ……ええ。
H 実は僕はそれをすごく感じてて、そこにもとても興味がある。みな子は、「つかこうへいの娘」とはさんざん言われるけど、「生駒監督の孫」とはなかなか言われないでしょ。
A 祖父をよく知ってる方ぐらいですね。
H くり返しになるけど、みな子が今ここにいるのは、そのおじいちゃんが娘をあるお芝居に連れて行ったことがすべての始まりで……あなたには元映画監督の祖父がいて、女優だったおばあちゃんがいて、その一人娘だったお母さんもまた女優を目指す中で、劇作家の父と知り合い一緒になり、そのまた一人娘としてあなたが生まれ、そして同じように女優となった……なんかドラマだよね。
A それは必然だったというわけですか。
H 僕は勝手にそう思ってる。だからみな子が「宝塚」を選び、女優さんの道を歩むようになるのも、お父さんだけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんからお母さんを通して受け継いだものが、あなたの中で確実に息づいてるからなんじゃないかな。
A ……そうかもしれません。
H だからね、余計なお世話かもしれないし、知ったような口を叩くなと言われるかもしれないけど、みな子にはつかこうへいはもちろんのこと、亡くなった生駒千里監督の思いのようなものも、女優としてしっかり背負っていってほしいな。
A もう、もうこれ以上プレッシャーかけないで下さい(笑)。
H かける!(笑)
〈下〉は4月17日10時公開予定です。
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