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ハラスメントはびこる「美術界」の実相

展覧会で「性的」な説教、「力」による圧迫……歪み正すには

小田原のどか 彫刻家、評論家、出版社代表

画廊で「処女性」を連呼した男

 美術の世界で若い女性アーティストの制作活動を阻害する様々な要因を取材し、まとめた猪谷千香著『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』(中央公論新社)が2023年1月に刊行された。

猪谷千香著『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』(中央公論新社)
 ギャラリーストーカーを「画廊で作家につきまとう人々」と説明する本書では、唖然とするような手口が数多く紹介されている。本書を読めば、ギャラリーストーカーとは、アーティストに対し、いわゆるストーカー行為を働く者だけでなく、立場の非対称性を利用してアーティストの人間性を踏みにじり、支配しようとする者のことであるとわかるだろう。

 この本が刊行されるきっかけは、私もメンバーのひとりの「表現の現場調査団」が公表した調査だ。昨年は「表現の現場 ジェンダーバランス白書2022」を公開し、論座にも寄稿した。白書の公開を通じ、調査結果が各所で活用されることを望んでいたため、『ギャラリーストーカー』の上梓は願いがかたちになったと感じられた。

 ところで、かくいう私も、ギャラリーストーカーに遭ったことがある。

 彫刻家として活動を継続し37歳になるが、最初の被害は21歳のときだ。友人たちと都内のギャラリーにレンタル料を支払い、はじめてグループ展(複数人での展覧会)を自主企画した。美術館などの主催展覧会では会場に作者がいることはめったにないが、レンタルギャラリーでは作者が会場に常駐することを推奨する場合が多い。そのため、私と友人たちは交代でギャラリーに滞在し、来場者に対応した。

 その来場者は、当時の私より20歳は年上に見える男性だった。初対面ではあったが、作品の説明をしてほしいと言われ、私は自分なりに自作を説明した。するとその男性は、「君はアートのことが何もわかっていない」と私を頭ごなしに否定した。私は驚き、恐怖を覚え、二の句が継げなかった。私が反論しないことを見て取ると、男性は次の段階に踏み込んだ。私の作品について、「君は自分の処女性をないがしろにしている」と言い、「君は自分の処女性を大切にしないといけない」と諭したのだ。脈絡なく「処女性」という言葉を連呼する男性の高揚した顔つきを、15年以上経ったいまも、鮮明に覚えている。

「ハラスメント」を生み、軽く見る

 今では私は、あの男性来場者が20歳前後のアーティスト志望の男性に対し、「君は自分の童貞性をないがしろにしている」「自分の童貞性を大切にしないといけない」などとは決して言わないだろうと知っている。

lucky_xtian/Shutterstock.com
 しかし、かつての私は、初対面の年上の異性から叱りつけられても、足を運んでくださったお客さまなのだから、誠心誠意対応しなくてはならないと思っていた。セクシャルハラスメントと感じられる発言であっても、アートについて教えを諭してくださる以上、それも年上の男性であるのだから、平身低頭、敬わなければならないと思っていた。

 この認識の偏りは、何に由来するものだったのか。

 そこにはまず、社会一般に根付く歪んだジェンダー規範がある。

 アメリカの著作家レベッカ・ソルニットが2014年に刊行した『Men Explain Things To Me』(『説教したがる男たち』ハーン小路恭子訳、左右社、2018年)に詳しいが、「マンスプレイニング(男性man+説明するexplain)」という言葉で知られているように、中高年の男性が年下の女性を劣った指導対象と見なし、居丈高にふるまうことが許される社会の「当たり前」がある。一方、女性は、年上の男性に逆らってはならないというのが社会の「当たり前」だ。いずれも誤った刷り込みだが、それが修正されていないのだ。

 加えて美術業界には、ハラスメント被害を軽んじる特有の体質がある。それもギャラリーストーカーを許容する構造を強化していると私は考える。

 例えば、レンタルギャラリーに来る人は、アーティストにとって、作品の購入者になる可能性があるため、愛想良く対応するのが当たり前である、という自明の前提がある。加えて、キュレーターや評論家らが来場すれば、今後の活動の後押しになることもあるため、たとえ意に添わないと感じることがあったとしても、自分を殺し、好印象を与えるように振る舞うべきだという考えも根強い。こうしたことが、若いアーティストがハラスメントを受ける土壌になっている。

 加害者から被害者を守るための仕組みが少ないことも問題だ。15年以上前の私自身の体験でも、年上の男性からのセクシャルハラスメントに直面した際、そんなことに耐える必要などないと言ってくれる大人は、身近にはいなかった。

『ギャラリーストーカー』の刊行をきっかけに、問題が広く知られ、かつての私と同じような目に遭うアーティストが減ることを願っている。しかし、「自衛」のみに話題が終始してしまえば、自己責任論を強めるだけになってしまうだろう。問題をより広くとらえる必要がある。

バランスを欠く「分野特有の空気」

 『ギャラリーストーカー』も全7章のうち、3章から7章は、学芸員やキュレーター、評論家など、権力を持つ側からのアーティストへのハラスメントや性的搾取と、美術教育の現場で学生が教員からうける被害を取り上げ、その背景として、ジェンダーバランスの著しい偏りや、男性以外の芸術家の功績が消され続けてきた歴史を指摘している。

 『ギャラリーストーカー』でもふれられているが、文化庁は2022年7月、文化芸術の担い手である芸術家が安心・安全な環境で業務に従事できるよう「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けたガイドライン(検討のまとめ)」を発表した。この検討会議では、「分野特有の空気」として、「交渉・協議、そういったものがなかなかできない雰囲気」があることが指摘され、その原因として、信頼関係からくる口頭契約の慣行や知識不足などがあるとされた。

 私はさらに、ここに、「表現の現場 ジェンダーバランス白書2022」で明らかになった、表現の現場に特有の〈評価する/される〉のジェンダーバランスの著しい偏りからくる歪みが影を落としていると考える。

 美術業界においては、〈評価する/される〉という関係が極めて固定的で、下された評価に意義を申し立てることはほとんどできない。西洋中心・男性中心に決められた美術の評価を、あたかも「天」が決めた永遠不変の法であるかのように自明視している者も多い。当然行われるべき、評価を問い直すことや、評価基準が適切であるかを吟味することができないのが実態だ。

 これは、〈評価する/される〉の関係性だけではなく、〈仕事を依頼する/される〉においても同様である。本来は対等であるべき関係を歪め、仕事は上の立場の者からいただくもので、いただいた仕事の内容を吟味したり、批判してはならないという同調圧力となっているのだ。

 そもそも、日本の美術業界においては、アーティストの労働実態が隠されて久しい。日本で初めてとなるアーティストによる労働組合の組織化に関わっているが、アーティストが適切な報酬を得るため自らの権利を主張すること、不当な扱いに「NO」と言うこと、対等に交渉や協議を行うことなど、美術に関わるあらゆる人の人権の尊重を目指し、アーティスト間の連携が始まっている。

 言い方を変えれば、当然の権利行使を阻む「分野特有の空気」はいまも根強くあり、その「空気」こそが、ギャラリーストーカーを生み出す土壌を支えていると言えるだろう。

「力」のある人への批判を受け付けない空気

 そしてまた、美術業界には、内部で「力」を持つ者たちの論理が疑われず、内外からの異論や批判を受け付けないという「分野特有の空気」もある。その最たる事例のひとつが、岡山市を舞台に継続的に開催される国際現代美術展「岡山芸術交流」だ。

 3年に1度開催されるこの国際現代美術展は、2022年秋で3回を数えた。岡山市、公益財団法人石川文化振興財団、岡山県で構成される実行委員会が主催し、総合プロデューサーは初回から石川文化振興財団理事長の石川康晴氏が務めている。石川氏は、アパレル大手「ストライプインターナショナル」創業者で、「イシカワホールディングス」社長だ。いずれも岡山市に本社がある。

 石川氏について、2020年3月5日付朝日新聞は「服飾大手社長がセクハラ 内閣府の男女共同参画議員」と報じ、石川氏が複数の女性社員やスタッフにセクハラ行為をしたとして、2018年12月にストライプインターナショナル社内で臨時査問会が開かれ、厳重注意を受けていたことを伝えた。臨時査問会には、石川氏が女性社員・スタッフらをホテルやデートに誘うLINEメッセージや、「無理やりわいせつな行為をされた」という女性社員の証言などが提出されたという。

 記事によれば、石川氏は「食事やホテルに誘った」ことは認めたが、わいせつ行為は否定した。査問会はセクハラの事実があったとは認定せず、処分ではなく厳重注意にしたという。この記事が出た2日後、石川氏は「報道でお騒がせした」という理由からストライプインターナショナルの社長を辞任し、直後、当時務めていた内閣府の男女共同参画会議の議員も辞している。

 被害の実態が明るみに出たにもかかわらず、石川氏の行為を「上司と部下として誤解を招く表現があった」という程度のことという認識を示した会社に対しては、報道直後から多くの批判の声があがっていた。

 その石川氏が2022年も「岡山芸術交流」の総合プロデューサーを続投することをめぐり、各所からあらためて疑問の声が上がった。

 「岡山芸術交流を考える市民県民の会」は21年秋に〈セクシャルハラスメント疑惑の問題が大きく報道されており、岡山芸術交流実行委員会から報道された内容にかかわる説明が無いまま、引き続いて就任させたことについては納得できません。このままでは、主催者の岡山市や岡山県は、この問題を容認し不問にしていると受け取られてイメージダウンとなります〉と意見を表明した。

 そして、総合プロデューサー交代を求める陳情書を岡山県議会と岡山市議会に出し、さらに400人の署名を添えた要望書を岡山市に提出した。ここでは、総合プロデューサーの問題とともに、「芸術交流」が岡山市内の展示施設を占有することの弊害も指摘されている。

 しかし、陳情・要望は採り上げられず、石川氏は続投した。このことについては、アートメディア「Tokyo Art Beat」が岡山芸術交流実行委員会へ質問状を出し、さらに開幕後の記者会見で総合ディレクターの那須太郎氏、アーティスティックディレクターのリクリット・ティラヴァーニャ氏、パブリックプログラムディレクターの木ノ下智恵子氏に質問を投げかけたが、いずれも誠実な回答は得られていないと報じている

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 Tokyo Art Beatは〈署名簿数400を超える市民の側から、公的な手段によって働きかけがなされてきたにもかかわらず、総合ディレクターは「把握していない」という。そうであれば、いったいどうすれば市民たちの存在や声は「把握」されるのだろうか。いったいどうすれば双方向的なコミュニケーションが始まるのだろうか〉と疑問を呈している。

 本件については、アーティストからの抗議も行われた。2022年10月、岡山市内で開催されたパフォーマンスイベント「岡山芸術ごっこ」は、「総合プロデューサー石川康晴氏によるセクハラが報道されたにもかかわらず、そのことの説明のないまま芸術祭が開催されたことに抗議」するものだと、イベントの主旨を説明した。イベントの記録冊子は、コンビニエンスストアのネットワークプリント機能を通じ、誰もが印刷することができるかたちで社会に発信された(現在は希望者に冊子を配布)。

 一方、アーティストの問題提起を封じるような動きも見られた。「岡山芸術交流2022」をめぐって、石川氏のハラスメント報道や市民の抗議について発言や執筆を続けるアーティストの田中功起氏は、参加作家の一人から、本件を追及する態度を改めなければ、日本国外での活動の妨害も辞さないと示唆する旨の発言を受けたことを私に証言してくれた。

 岡山市民やアートメディア、アーティストがそれぞれ疑念の声をあげるも、いまだ総合プロデューサーの続投について、必要な説明や議論はなされていない。この状況こそ、美術界がハラスメント問題を軽んじている証左ではないだろうか。

偏った構造を指摘し、是正するためには

 現状の問題点を可視化し、是正を求める声を、「力」ある側が押さえつけようとした例は、『ギャラリーストーカー』第7章「変革を求めて」でも紹介されている。多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コースの元在学生たちの取り組みだ。

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 女性の身体やフェミニズムについての作品に取り組んでいた同コースの学生は、2020年度の卒業制作の中間発表の場において、「女性のことはわからない」と男性教員から正当な講評を受けられなかった。同コースの専任教員が全員男性であることの「偏り」と、その深刻さに気付いた当時の学生たちは、ジェンダーなどに関する勉強会などを自主的に企画して学びを重ね、専任教員の同質性の高さの再考などを求める要望書を大学に提出した。

 このとき、一部の教員は学生からの改善の訴えに真摯に応じた一方で、学生たちを激しく攻撃した教員もいたことがわかっている。そして、学生たちが、専任教員らと懇意な「大物キュレーター」から、「あなたたちは、彼らを傷つけた」と告げられたということも、『ギャラリーストーカー』には書かれている。

 同コースは私の非常勤先でもあるので、独自に調べたところ、この「大物キュレーター」は女性で、美術評論家による連盟組織の要職に就いている。公の場ではなくとも、このような影響力を持つ人物が、専任教員が男性のみという状況に独力で疑問を持ち、声をあげた学生たちに対して発した言葉は、まさに「二次加害」の典型例だと言えるのではないか。

 美術業界の問題点を俯瞰すると、自らの権利を主張し、不当な扱いに「NO」と言うこと、ハラスメントをなくすことを阻む構造が依然として存在することがわかる。これはアーティストだけの問題ではなく、美術業界で働くすべての人の権利を毀損しうる問題だと認識したい。こうした「分野特有の空気」を変えるには、この「空気」をつくりだす偏った構造を指摘し、問題の根幹を広く共有する必要がある。アーティストによる労働組合や、文化庁による芸術家等実務研修会の実施アーティストの連帯の動きなど、変化の兆しはすでにある。これをいっそう推し進めるうえで、『ギャラリーストーカー』の刊行は、大きな助けとなるだろう。