歴史全体を示すのが条件の「世界遺産」なのに
ゾーン3の入口に長さ30センチ、幅25センチ程度、高さは20センチくらいの石炭の塊が展示されていた。黒いダイヤと呼ばれるとおり底光りする黒い塊だった。触れてはいけないという表示はなかったので、そっと触ってみた。すべすべした手触り、鉱物の冷たさが指先に伝わる。

産業遺産情報センター「ゾーン3」では、長崎県の端島炭鉱(軍艦島)の元島民の証言映像が公開されている=同センター提供
ガイドさんが「戦争が終わったあと、中国人は帰国しましたが、朝鮮人は帰国しなかったんですよ」と言いながら通り過ぎる。
1945年当時、中国には蒋介石の中華民国があり米国が支援していたが、朝鮮半島は南北に分断され、北にも南にも対外的な交渉をする政府がまだ存在してないことはちゃんと説明しているのかしらと、ガイドさんに聞きたくなったが、黙っていることにした。
「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産として登録される時、ユネスコは徴用された朝鮮人、中国人が強制労働に従事させられたことを含む「歴史全体」を表示する施設を作るという条件を付け、それを受けて設置されたのが産業遺産情報センターだった。
しかし、実際の展示は中国人、朝鮮人の強制労働についてはほとんど展示されていない。私のように歴史の光と影をどう展示しているのかを見たいという見学者は「招かざる客」にされていることをひしひしと感じた。
日本政府はユネスコへの後続措置報告書で「朝鮮人労働者に関して、日本が戦時中、労働力不足に陥っていた状況を指摘した上で「国家総動員法に基づく国民徴用令は全ての日本国民に適用された」と説明している(国家総動員法は1938年施行)。1945年まで朝鮮半島は日本の領土であり、朝鮮半島出身者も日本国民であるという前提だ。朝鮮人労働者の強制連行、強制労働を否定する動きは日本全国に広がり、「群馬の森」に設置された朝鮮人労働者慰霊碑の撤去が求められているほかに、記念碑などから「強制労働」の文字が削除された例も報告されている。