近代化の「影」は見えないまま

世界遺産の代表的な構成資産である長崎県の端島炭鉱(軍艦島)=20212年撮影、朝日新聞社ヘリから
日本の近代化の過程で労働力不足が生じたのはいつ頃からだったのだろうか?という疑問を最初に持ったのは北海道朱鞠内のタコ部屋労働者の墓地をたずねた時だった(ダム・鉄道建設の犠牲者が眠る「笹の墓標」を訪ねて)。
日中戦争、太平洋戦争の末期に旧制中学校、女学校の生徒たちまで勤労奉仕という名で軍事工場の働き手となったことは親から聞かされていたが、「国家総動員法」の成立以前から、それよりもずっと早い時期に労働力不足に陥っていたのではないかという私のぼんやりとした疑問に答えてくれるような産業遺産情報センターであれば良いのだが、残念ながらそうした資料収集、研究援助の施設とはなっていない。
また産業文化情報センターを名乗るのならば、日本の民間研究者や地方自治体などが収集した資料などの情報を集め、ネットワーク化したうえで保存が難しくなったものについては、資料保存の援助をするなどの事業を積極的に展開しても良いと考えるのだが、現在のところ、それどころか、輝かしい産業化の影について知りたいと考える私などは敵として扱われかねない雰囲気だった。
日本政府は1965年の日韓条約で韓国との賠償問題は解決済みとしているが、65年日韓条約も日本の植民地支配時代の犠牲者への慰霊を禁じているわけではない。また日本が領土を拡張し植民地支配をした時代の政策研究が禁じられているわけでもない。
ゾーン3の資料室の書棚には、「在日朝鮮人関係資料集成」3巻、4巻(三一書房)、「朝鮮問題資料叢書」Ⅱ、Ⅲ、Ⅶ、(アジア問題研究所)、「戦時強制連行労務管理政策」Ⅰ(アジア問題研究所)、「戦時朝鮮人労務動員基礎資料集」(アジア問題研究所)など14冊ほどの関連の単行本が並んでいた。入口でもらった白紙にこれらの書物の名前をメモした。
そして、入口に並んでいたアクセスガイドマップ8種類をもらう。よくできたガイドマップだ。それらをリックに押し込んで産業遺産情報センターをあとにした。