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『ある行旅死亡人の物語』は女性の謎の人生を描いた稀有なノンフィクション

駒井 稔 編集者

 最近、知人や友人の訃報を聞くことが増えてきました。自分もそういう年齢になったのだというある種の感慨が湧いてきます。なかにはいわゆる孤独死だったというケースもあり、その最期をいやでも想像してしまうこともあります。これから超高齢化社会になる日本では、各々の死の迎え方について、さまざまな議論がなされていくでしょう。

 人は誰でも死を逃れることはできません。けれどもそのことをきちんと認識している人間は案外少ない気がします。「終活」という言葉もすっかり定着した感がありますし、早々と断捨離を始めたという友人がいないわけでもありませんが、日常的に死を意識するのは、実はかなり難しいことではないでしょうか。

 そう思っていた時に、死についてもう一度深く考えさせてくれる稀有な本に出会いました。それが本書『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)です。年老いた女性の孤独な死を扱ったこの優れたノンフィクションを読むと、人生の終わりに必ず訪れる死というものをいやでも意識せざるをえなくなります。

 ところで、タイトルにもなっている「行旅死亡人」とは聞き慣れない言葉です。その定義は本書の最初のページに書かれています。

病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す法律用語。
行旅病人及行旅死亡人取扱法により、死亡場所を管轄する自治体が火葬。
死亡人の身体的特徴や発見時の状況、
所持品などを官報に公告し、引き取り手を待つ。

横須賀市役所役所に保管されている行旅死亡人の台帳。身元が分からない場合や、分かっても引き取り手がないときは無縁仏として葬られる(画像の一部を加工しています)横須賀市役所に保管されている行旅死亡人の台帳(画像の一部を加工しています。本文とは関係ありません)

 いわゆる孤独な死を迎えた人間のなかに、身元が不明で、引き取り手が誰もいない人間が一定数いるということです。本書では、共同通信大阪社会部の「遊軍」である武田惇志記者と伊藤亜衣記者の二人が、一人の行旅死亡人が生きた人生を求めて膨大な取材を重ねていくのですが、その過程が実に丁寧に、しかもときにはユーモラスに描かれています。ちなみに遊軍とは記者クラブに所属せずに、「自分でネタを探して自由に動く記者」のことを言うのだそうです。

 そもそもこの行旅死亡人の女性に興味を抱いたのは武田さんでした。ネタを求めてネットで検索を重ねていると、そこに一人の女性が行旅死亡人としてデータベースに載っていたのです。2021年6月のことでした。

本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長133cm、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350円

 身元不明の女性が、3400万円もの所持金を残して2020年4月に死亡していたという公告記事に、当然ながら彼は大きな関心を抱きます。確かに3400万円はちょっと桁違いの金額です。これだけの「現金」を持ちながら身寄りもなく亡くなった女性がいる。これは武田さんのみならず、かつては週刊誌編集者であった私も現役であれば、絶対に見逃すことのできない話だと思います。

 3400万円の所持金に加えて右手の指がすべて欠けているというのも衝撃的ですし、その女性が兵庫県尼崎市で「玄関先にて絶命した状態で発見された」ことに、なにか異常な気配を感じるのはジャーナリストなら当然です。

「田中千津子」の謎に満ちた過去、不可解な行動

武田惇志・伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)武田惇志・伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)
 官報掲載日は令和2(2020)年7月30日となっていますから、すでに1年近くが経過していたことになります。武田さんはすぐに尼崎市に問い合わせの電話をします。相手の職員は間髪を入れずに女性の名前を口にしました。

 「あっ、タナカチヅコさんの件ですね」

 しかし担当者と話すと、実際にはまだ身元は判明せず、名前についても何とも言えない、と言われます。財産が残されていたので相続財産管理人という弁護士に管轄が移っていたのです。この弁護士との出会いが、この女性の謎に満ちた過去を武田さんたちが取材を重ねていく契機となりました。

 弁護士へのZoom取材で分かったことは、この女性がこれほどの大金を持ちながらも兵庫県尼崎市にある錦江荘というアパートに40年も住んでいたことでした。これだけなら、それは女性の選んだライフスタイルだというふうにも言えるかもしれませんが、なんと住民票もありません。

 年金手帳には氏名が「田中千津子」とあり昭和20(1945)年9月17日生まれとなっていましたので、74歳で死亡したことになります。武田さんが気になっていた右手指の欠損は労災事故であったことが判明します。しかし、多額の労災の保険金が入るはずが、何故か自分から断っていたのです。これは実に不可解な行動です。記者としては、その意図を様々に想像してしまうでしょう。

 残された印鑑には「沖宗(おきむね)」とあり、非常に珍しい名字で広島に多いということでしたが、弁護士はそれが旧姓ではないかと考えていました。つまり婚姻歴があると想定していたことになります。そして労災事故の際の病院のカルテには、「自分は広島出身で、三人姉妹」と話していたことも記録に残っていました。

 アパートに入居した1982年の賃貸借契約書も残っていましたが、それは本人ではなく、なぜか「田中竜次」(仮名)という男性の名前で契約されていたのです。これはとても不可解なことですが、詳細は全く不明です。ここまでくると、弁護士のみならず、これはとことん謎に満ちた案件だと思って当然です。

 警察はもちろん、この弁護士は探偵まで雇って周辺を徹底的に調べたのですが、本籍も親族の連絡先も分からないということで困惑していました。金庫にあった大量の現金が国庫に入るまでに調べておかなければならないからです。ちなみに弁護士からメールで送られてきたこの女性の若い頃の写真が本のなかに掲載されていますが、とても美しい女性なのです。

 ここまで取材した武田さんは同僚である伊藤さんにこの話をして、まだ記事になるかどうかも定かではない話でありながら、興味深い取材対象に二人で取り組むことにしました。きっと取材で広島まで行く必要も出てくるだろうが、休日に自腹を切ってでも行くということを二人は確認します。こういうジャーナリスト魂が横溢しているのが本書の魅力です。武田さんは弁護士に直接会いに行き、更に資料の確認をします。ここで千津子さんの死因がくも膜下出血であることを知ります。

 そして武田さんは、弁護士の雇った探偵の仕事をある程度トレースしながら真相に迫っていく作業を始めることにします。そして最終的に調査の対象としたのが部屋に残されていた「沖宗」の印鑑でした。この姓の謎については探偵も手をつけていませんでしたので、突破口はここではないかと考えたのです。

 それから武田さんと伊藤さんは、女性が住んでいた錦江荘に取材に向かいます。JR尼崎駅から1キロほどのところにある古いアパートで、家賃は月額3万1500円。大家の義理の息子に案内された部屋は家具などが撤去された後でした。

さらに風呂もない。女性が長年住んでいたとはにわかに信じられない。手洗い場の先には和式のトイレ。床に貼られた水色のタイルのデザインが時代を感じさせる。

 伊藤さんはこう印象を書き残しています。いくらその人なりのライフスタイルがあるとはいえ、多額の現金を持った女性が住むには不自然なことは否定しようがありません。大家の女性にも話を聞きましたが、新しい情報はありませんでした。二人はアパート付近の聞き込みや遺品の調査をしていく過程で、身元判明に一番可能性のあるのが、前述したように、やはり「沖宗」の印鑑であるという結論に至りました。

 とにかくネットで沖宗を検索します。検索を続けると「沖宗ルーツ」というブログを見つけました。この広島県在住の沖宗姓の男性とコンタクトしますが、千津子さんの該当者はいないと返事があります。

戸籍を確かめてもらうと……

沖宗正明沖宗正明さん
 武田さんと伊藤さんの取材への意欲は衰えることを知りません。沖宗姓の男性が作成した家系図を基にして、あらゆる沖宗さんにあたっていきます。やがて広島市議の沖宗正明さんと巡り合うことによって驚くような展開が訪れます。これこそが取材の醍醐味と言ってもいいと思います。

 沖宗一族の家系図を作っているので見てください、と示した長大な家系図に感嘆した沖宗正明さんはひどく興味を惹かれた様子でした。記者の二人は戸籍を調べることを依頼して、もしかしたらがあるかもしれないと言い、千津子さんの孤独死の概要と遺産があること、弁護士が相続人を探していることも告げます。

 週末の調査旅行から戻った武田さんと伊藤さんは、月曜日から通常業務に戻らなければなりません。それでも取材を続けるのですから、その熱意は大変なものです。仕事の合間には、武田さんは、沖宗正明さんに千津子さんの残した「田中竜次」さんの写真と謎の少年と少女の写真をLINEで送っておきます。沖宗さんから武田さんに連絡がありました。

「あの、沖宗ですが。戸籍を確かめたんですけどね……。千津子は、私の叔母でした」
言葉に詰まった。スマホを持つ手が震える。
唖然としていると、正明さんが説明を始めた。

 なんとも劇的な展開です。しかもLINEで送っておいた少年の写真はなんと沖宗正明さんの弟だったのです。少女の写真についても三女の娘だろうという説明がありましたが、千津子さんの持っていた「田中竜次」さんの写真については見覚えがないということでした。この男性は、ついに正体が分かりません。

 一方で千津子さんの生年が異なっていたのです。1945年ではなく戸籍ではなんと昭和8(1933)年になっていたのです。ですから86歳で亡くなったことになります。ますます謎は深まりますが、千津子さんの人生については、ひとまずここまでにしておきましょう。本書では、この後も千津子さんに関する情報が開示されますので、ご興味の湧いた方はぜひお読みください。

 読後にはとても不思議な印象が残ります。それにしても、武田さんと伊藤さんが、千津子さんの人生行路を取材していく過程は本当に見事なものだと思いました。大袈裟ではなく一編の文学作品を読了したような気持ちになるのです。そして人間の生の不思議さに改めて思いを致すことになりました。