「過去の問題作」に対処する米ディズニー
2023年04月12日
世界各地のディズニーランドにある人気アトラクション「スプラッシュ・マウンテン」が、フロリダ州のマジック・キングダム・パーク(ウォルト・ディズニー・ワールド)で今年1月に閉鎖、次いでカリフォルニア州のディズニーランド・パークでも閉鎖される見通しだ。ディズニー・ファンの中には、「何が問題なの?」といぶかしがる人も多い。実際のところ、アトラクション自体を問題視する声はほぼ無い。
閉鎖の理由は、モチーフとなるディズニー映画『南部の唄』(1946)が人種差別的ということだ。この映画は公開当時から批判され続け、現在は公開と販売を中止している曰くつきの作品である。なぜ今になって問題視されるのか。こうした「過去の問題作」への適切な対処をめぐる動きを追ってみよう。
映画で問題視されたのは、舞台設定と黒人の人物像である。
舞台は南北戦争直後のジョージア州、つまり、奴隷解放後の南部と思われる。現実を振り返ると、奴隷解放後、無一文で放り出された元奴隷の黒人たちは、人種差別が強く残る南部において奴隷時代に輪をかけて厳しい生活を強いられた。また、奴隷による労働力を失った白人農園主も、贅(ぜい)を尽くした生活から一変、困窮していたはずである。
しかし、映画では元奴隷とおぼしき「リーマスおじさん」は、お屋敷に住む金持ち白人たちと仲良く対等に接して、まさに悠々自適、なぜか全員が豊かでハッピーというユートピア的生活が描かれているのである。あり得ない世界であり、いかにも奇異である。
リーマスには、明らかに「白人に尽くす純朴な黒人男性」アンクル・トムのイメージが重なる。さらに、お屋敷でメイドとして働く「テンピーおばさん」(『風と共に去りぬ』で女性奴隷を演じてアカデミー助演女優賞を受賞したハッティ・マクダニエルが演じる)は、「太っていて陽気で、白人の子どもの世話をこよなく愛する」乳母(マミー)のステレタイプそのものである。白人少年ジョニーのお供を命じられる黒人少年トビーは、粗末な衣装に身を包んだいたずらっ子で、白人少年の上品なふるまいや身だしなみを引き立たせるピッカニーニーの役どころである。
これら名前のついている3名の黒人人物に加え、毎日集団で農場に行き、夕暮れ時に戻ってくる黒人労働者たちもまた「ここが我が家!」「ふるさとで暮らせることに感謝!」と歌い、嬉々として白人のために働く。こうした黒人の登場人物は、全員ハッピー・ダーキー(おめでたい「くろんぼ」)という悪名高いステレオタイプで描かれているのである。
この設定と人物の描き方が問題なのは、事実を白人に都合よく書き換え、それを誇張するものだからである。のちの時代に観た人が、奴隷制度は「のんきな黒人が優秀で温厚な白人の庇護の下で楽しく働いていた」良い制度なのではないか、制度廃止後も人種を超えて人々は仲良く豊かに暮らしていたのではないか、と誤解させるものとなる。まるで恥部を「美談」にすり替えるが如きではないか。
こうした問題含みの映画でありながら、『南部の唄』は「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」がアカデミー歌曲賞を受賞し、黒人男優が初めてオスカーを受賞した作品として広く知られている。だが、実のところは主役のリーマスを演じたジェームズ・バスケットは、主演男優賞ではなく、「黒人に主演男優賞はどうか」と渋る声を受けて、アカデミー特別賞(現・名誉賞)を与えられて終わったのである。
『南部の唄』は、公開当時からNAACP(全米黒人向上協会)等に厳しく批判され、結局1986年に公開と販売を中止して現在に至る。スプラッシュ・マウンテンは1989年の創設以来、人気アトラクションとして存在し続けていたが、映画が中止されているのにアトラクションは「あり」なのか? との批判を受け、廃止の運びとなった。これにはBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動の隆盛を受け、昔のアニメや映画の人種差別的表現に再び注目が集まったという、時代の後押しも大きく関わっている。
最近ディズニーが行っている「過去の問題作」への対処は、『南部の唄』のような公開・販売の中止ばかりではない。たとえば、2020年秋にスタートした「ストーリーズ・マター」(BLMに倣った「お話は大事」の意)を見ると、問題含みのアニメについて、どれが人種ステレオタイプで、何が問題なのかを具体的に指摘し解説している。
さらに、米Disney+(ディズニー・プラス、動画配信サービス)では「問題あり」と判断した子ども向けの作品について、保護者の指導のもとでのみ視聴可能とする制限を設けた。たとえば『ダンボ』(1941)で踊るカラスは、黒人のミンストレル・ショーを模したものであり、『ピーターパン』(1953)の先住民や『おしゃれキャット』(1970)のシャム猫も、人種ステレオタイプの表象で、そのままで子どもに観せるべきではないというのがその理由である(日本のディズニー・プラスはこのような制限を設けていない)。
こうした取り組みは、ディズニー作品以外にもある。例えば、映画『風と共に去りぬ』(1939)が、2020年6月、BLM運動の一環で人種差別的内容を問題視され一時配信停止になった後、研究者の解説動画付きで再開したことは、よく知られる。
現在アメリカでは、公式には『南部の唄』を観ることができない(日本では中古ソフトが販売されている)。そもそもが「問題作」だから廃止され、誰の目にも触れないように処理されたのだ。だが、ここで筆者はあえて、もう一度公開し、販売・配信すべきだと考える。ただし『風と共に去りぬ』のように解説付きで。なぜか。
まず、現存する問題点を、風化させることなく解決へと向かう手立てとすることができるからだ。「元奴隷の黒人と奴隷所有者の白人が、人種を超えて友好関係を築く様子を描いた名作」等の誤解、うそぶきが今も根強く存在すること、それを問題点として提示することができるからである。
もう一つは、公開すれば更なる問題点が明らかになる可能性が期待できるからである。先に述べたストーリーズ・マターの解説について、人種ステレオタイプだけではなく、女性の描き方その他改善すべき点が見逃されているではないか、との批判が寄せられている事実が、そのよい例である。
解説付きでの公開が、さらなる展開を促すケースもある。『風と共に去りぬ』では今年3月に、編集段階でカットされた場面や台詞を「発掘」して紹介、当時何が議論されたか、また現代の視点からみた問題点を分析するという興味深い記事が出ている(The Ankler.“'Gone With the Wind': The Explosive Lost Scenes”)。
最近リニューアルされた「白雪姫」のアトラクションについては、刷新の一環として追加された「王子による真実のキスの場面」が問題視された。「眠っている相手に、了解を得ないままキスするのは真実の愛とは言えない。性犯罪である」との批判である(SFGATE“Disneyland's new Snow White ride adds magic, but also a new problem”)。
このように、刷新したつもりが意図とは違う問題をさらけ出し、「想定外の批判」を生む場合もある。ましてや、曰くつきの作品『南部の唄』である。どのような批判ポイントが浮上するであろうか。ディズニーは、批判を恐れずに公開を再開し、検証の叩き台にのせてほしいと思う。過去において製作者が「観せたいものを観せてきた」映画は、今や観た人の感想が反映されるようになった。観る側も意見を言い、みんなで作っていく時代なのである。
2020年6月、ディズニーは、全米のスプラッシュ・マウンテンを廃止する代わりにディズニー初の黒人プリンセス、ティアナが活躍するアニメ映画『プリンセスと魔法のキス』(2009)をテーマとする新アトラクション「ティアナのバイユー・アドベンチャー」を、2024年から順次、国内でオープンしていくと発表した。
日本ではあまり知られていないが、
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