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利他主義者だった坂本龍一さんを思う──自分自身に疑問を向けながら

印南敦史 作家、書評家

音楽家を超えた“なにか”

 前回『論座』に寄稿したのは1月のことで、それは高橋幸宏さんの逝去に関する思いを綴ったものだった。それから3カ月、今度は彼にとっても非常に縁の深い人物である坂本龍一さんの訃報に触れることになるとは。

 病状は伝え聞いていたので充分に予測できることではあったのだが、しかし実際にその時が訪れると、さまざまな思いが頭をよぎっていくのだった。考えてみれば、実際にお会いしたことは一度しかないのに。

坂本龍一さん(1952─2023)坂本龍一さん(1952─2023)

 だが、お会いしたことがあるかどうか、あるいは近親者であるか否かは別にしても、同じような思いを抱いている方は少なくないはずだ。つまり坂本龍一という人物は、世界的に評価される偉大な音楽家であると同時に、“それ以上のなにか”を多くの人の心の中に残す人物でもあったのかもしれない。

 でも、“それ以上のなにか”とは、いったいなんなのだろう? そんな疑問を消化しきれなかったため、訃報を受けてからもしばらくのあいだは、モヤモヤとした思いを抱えたままでいた。

効果的な利他主義のすすめ

坂本龍一さんは環境や原発など社会問題にも積極的に発言し続けた坂本龍一さんの音楽家としての立場とは違った側面とは?

 ヒントのようなものが見つかったのは、それから数日後のことだった。

 その日の夜の私は、資料を探すために書棚をぼんやりと眺めていた。探していたのは坂本さんのこととは関係のない、別の仕事のための資料だ。しかし、それはなかなか見つからなかった。そのため別の場所を確認してみようかと視線を少し左に動かしたとき、お目当ての一冊とは違う別の本の背が目についた。

 もうかなり前、2015年の暮れに朝日新聞社の友人が勧めてくれた『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと──<効果的な利他主義>のすすめ』(ピーター・シンガー著、関美和訳、NHK出版)という書籍だ。結論からいえば、それは私の価値観を揺るがすものだった。

 それまでの私(いまも大して変わらないが)は自分の日常をなんとか生きるのが精一杯で、人のためになにかをするということを意図して考える機会は少なかったように思う。もちろん困っている人を見かけたら手は差し伸べるが、その程度のことはむしろ日常の一般的な行動に過ぎない。いまここで焦点を当てたいのは、もっと意識的な、もっと広い意味での利他主義と、それに基づくアクションである。

効果的な利他主義は、非常にシンプルな考え方から生まれています。「私たちは、自分にできる<いちばんたくさんのいいこと>をしなければならない」という考え方です。盗まず、騙さず、傷つけず、殺さないという当たり前のルールに従うだけでは十分ではありません。少なくとも、私たちのように、非常な幸運に恵まれ物質的に満たされた生活を送り、自分と家族の衣食住を確保でき、その上さらに時間やお金に恵まれた者にとっては、それだけではだめなのです。私たちの余分なリソースのかなりの部分を、世界をよりよい場所にするために使うことが、最低限の倫理的な生活と言えるでしょう。完全に倫理的な生活を送ろうと思えば、私たちにできる最大限のことをしなければならないということです。(「はじめに」より)

 つまり同書を通じて私は、「自分が“自分にできる最大限のこと”をしていないのかもしれない」という現実に気づき、そこから利他主義という考え方を理解しようと試みるようになったのである。

 同時に「まだまだなにもできていない」と感じてもいるのだが、おそらくこの先も、このことは常に考えていくことになるのだろうと思っていた。

 そして、ひさしぶりにこの本の背を目にしたとき、そこに書かれていることと、坂本龍一さんのあり方がひとつの線でつながったのだった。

再開発計画中断の要請

 思い出すのは、亡くなるおよそ1カ月前の坂本さんが、明治神宮外苑の再開発の見直しを求める活動に積極的に携わっていたことだ。再開発が行われれば、同地のシンボルでもあるイチョウ並木にまで開発の手が及ぶことになる。それは景観を乱し、また自然環境に影響を与えることにもなるだろう。

明治神宮外苑のイチョウ並木=東京都港区、2023年1月明治神宮外苑のイチョウ並木=東京都港区

 坂本さんは、「神宮外苑の開発は持続可能とは言えない」と、SDGsの観点からそのことを批判した。そして小池百合子東京都知事に向け、「これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう」にと再開発計画の中断と見直しを求める手紙を送った。

 手紙を締めくくる「あなたのリーダーシップに期待します」という一文は非常に力強いものだったが、小池知事は3月17日の記者会見で、「事業者でもある明治神宮にも手紙を送られた方がいいんじゃないでしょうか」など消極的な、取り方によっては坂本さんの気持ちを踏みにじったとも解釈できる対応をしていた。

 だから私も不快感を覚えていたのだが、同時にそのとき気づいたことがあったのだ。

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