知性で未来を切り開く女の子、英国の大ヒット作、日本初上演
2023年04月15日
ロンドンで4000回以上のロングランを続けている人気ミュージカル『マチルダ』が、日本の劇場に初登場した。
とびきり高い知性を持つ5歳の女の子マチルダが、家庭で、学校で、無理解な大人たちと闘い、自分にふさわしい生き方を獲得してゆく痛快な物語。原作はロアルド・ダールの児童文学で、舞台ではオーディションで選ばれた4人が交代でマチルダ役を演じ、共演の子どもたちも大活躍している。子どもも楽しく見ることができる舞台だ。
一方で、驚くほどたくさん、「いまの社会」を映した要素が盛り込まれた作品でもある。
性別で「らしさ」を押しつけられる不条理、子どもの尊厳を大切にしない大人の横暴、他人を「力」で支配する罪、特別な才能のある子(ギフテッド)との向き合い方、家庭とも学校とも違う第三の居場所(サードプレイス)の意義、女性同士の連帯(シスターフッド)……。
それらが、軽快な歌とダンスを盛り込んだ、愉快な物語の中で、やわらかく、でも、鋭く語られてゆく。
相手が誰であっても、間違った行為や不正に対して、マチルダはいつも、まっすぐに言う。
「それって正しくない」
この言葉をためらわずに口にする率直さと勇気を、いまの自分は持っているだろうか--。大人にこそ、グサリとくる。そんな舞台なのだ。
Daiwa House presents『マチルダ』の舞台=田中亜紀撮影
ミュージカル『マチルダ』
デニス・ケリー脚本
ティム・ミンチン音楽・歌詞
マシュー・ウォーチャス演出
常田景子翻訳、高橋亜子訳詞
各役複数の俳優が交代で出演
マチルダ:嘉村咲良、熊野みのり、寺田美蘭、三上野乃花
アガサ・トランチブル校長:大貫勇輔、小野田龍之介、木村達成
ミス・ハニー(担任教師):咲妃みゆ、昆夏美
マチルダの母:霧矢大夢、大塚千弘
マチルダの父:田代万里生、斎藤司
ミセス・フェルプス(図書館員):岡まゆみ、池田有希子
東京・渋谷の東急シアターオーブ
3月22~24日プレビュー
3月25日開幕、5月6日まで上演中
大阪・梅田芸術劇場メインホール
5月28日~6月4日
ホリプロ企画制作 公式サイトはこちら
『マチルダ』は1988年に発表された。日本では『マチルダは小さな大天才』(宮下嶺夫訳、評論社)のタイトルで出版され、多くの読者を獲得している。
この作品を英国の名門劇団ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)がミュージカルにした。2003年に舞台化の検討が始まり、デニス・ケリーが脚本、ティム・ミンチンが音楽・歌詞、マシュー・ウォーカスが演出を手掛け、長期間かけて作品を練り上げたという。
英国ローレンス・オリビエ賞では、作品賞を含む7部門を獲得し、最多受賞の記録を作った。米国トニー賞でも、脚本賞など5部門(そのうちマチルダを演じた4人に栄誉賞が贈られた)を受賞している。
主人公のマチルダは、5歳にしてディケンズの歴史小説を読みこなす、並外れた頭脳を持っている。だが、両親とも彼女にはまるで無関心。インチキな中古車販売業を営む父親は、兄マイケルに続いて生まれた二人目の子が「息子でない」ことが気に入らず、マチルダを「坊主」と呼び、暴言を浴びせる。母親も自分の楽しみに夢中で、娘を相手にしない。
マチルダが心地よく過ごせる場所は図書館だった。だが、両親はそろって、「女の子が本を読むなんて」と読書を毛嫌いし、図書館で借りた本をビリビリに引き裂いてしまう。
入学した小学校では、巨大な体格の女性校長トランチブル(男性の俳優が演じる)が暴力と恐怖で子どもたちを支配している。若い担任教師ミス・ハニーはすぐにマチルダの才能を見抜き、彼女にふさわしい教育環境を整えようとするが、無理解な両親と校長にとりあってもらえない。
学校の同級生たちも、理不尽な校長への反抗を態度で示す。ミス・ハニーはあきらめずにマチルダに寄り添い、彼女もまた、マチルダの力を借りて、トランチブル校長の抑圧から解放される。そして、二人は自分たちにふさわしい居場所を獲得してゆく。
ミュージカル『マチルダ』の物語は原作にほぼ沿っているが、もちろん舞台ならではの工夫も随所にある。
例えば、マチルダの母の楽しみは、原作では「ビンゴ」ゲームだが、舞台では「社交ダンス」になっている。過剰に情熱的でコミカルなダンスシーンが盛り込まれることで、舞台が弾み、彼女の派手好きで軽薄なキャラクターが強調される。
特に大きく膨らんでいるのが「図書館」の存在だ。舞台では、マチルダとミス・ハニーが初めて顔を合わせる場所も図書館に設定されている。
〈文字〉〈本〉〈本棚〉をモチーフにしたロブ・ハウエルによる舞台美術も、「知」のイメージを印象づけている。
図書館職員ミセス・フェルプスは、原作では、序盤でマチルダを文学の世界へ導く、物静かな理解者として描かれる。一方、舞台では、マチルダが語る「お話」を聞くのを楽しみにしている友人のような存在として度々登場し、マチルダがミセス・フェルプスに語る、どこか不穏なこの「お話」は、しだいに現実と重なり、劇的な効果をあげてゆく。
ミセス・フェルプスに問われて、母親のことを原作のマチルダはこう答える。
〈「ママは、わたしがなにをするか、じっさいには気にしていません」マチルダはちょっと悲しそうに言った。〉
一方、舞台のマチルダは、両親は自分を愛し、誇りに思っていると「うそ」をつく。幼い心の中にある、寂しさがあらわれた切ない「うそ」と受け止められる。でも、こんな見方もできる。図書館という「知」の場所では、目の前にあるただの現実ではなく、「こうあってほしい」「こうあらねばならない」という理想を語ることが許される、いや、それこそが語るべきことなのではないか――。
「暴力」や「恐怖」に対して、「言葉」や「知」は無力……。この世界を、そして私たちの日常を覆う、諦めや冷笑に、マチルダならこういう言うはずだ。
「それって正しくない」
小さな女の子のまっすぐな一言に、背筋が伸びる。
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