2023年04月18日
放送中の大河ドラマ『どうする家康』は、気弱な若殿・徳川家康(松本潤)が、個性豊かな家臣団や家族に支えられ、乱世を生き抜く姿を描いている。大河ドラマでは、定番の戦国時代が舞台だが、長年、時代劇の現場を取材している身としては、「ついにこういう時代になったか」と驚くことが多い。
過去の戦国作品との一番大きな違いは、最新の技術を駆使した合戦シーンだ。
ニュースでも紹介されていたが、撮影の現場となったNHK名古屋放送局のスタジオには、縦6メートル、横16.5メートル、700インチの「LEDウォール」と呼ばれる巨大なパネルに画面が設置され、俳優は、ここに映し出された戦場や草原、遠景の岡崎城や刈谷城などを背景に、グリーンバックの合成よりも臨場感があるセットの中で演技をするという仕組みだ。この技術は、近年、ハリウッド映画でも多く採用されている。
第一話「どうする桶狭間」の場面。今川義元(野村萬斎)は、家康に大事な役割を与え、駿府城を出陣する。その義元を破った織田信長(岡田准一)は、不敵な笑みを浮かべ、進軍を続ける。その背景には、高台の砦や山、暗い雲が。家康は、恐れ戦(おのの)くしかない。
合戦の重要シーンの多くをスタジオの中で完結できるというのは、まさに令和の大河ドラマである。
合戦シーンは、戦国時代劇の見せ場であり、撮影の大きな山場だ。
1983年の大河ドラマ「徳川家康」は、静岡県御殿場市で10日間、合戦シーンを集中して撮影した。当時の関係者に聞くと、馬とエキストラは、扮装を変えて両軍の場面に出演するために出ずっぱりで、ヘロヘロになったという。特に連日、重い甲冑をつけた武者を乗せて疾走する馬たちの疲労は激しく、管理が大変だったそうだ。
筆者は2006年に放送された『風林火山』(テレビ朝日)の合戦シーン撮影を取材した。
主役の山本勘助を北大路欣也、武田信玄を松岡昌宏、上杉謙信を徳重聡が演じたスペシャル作品のハイライトは、川中島の戦い。撮影は、京都近隣の「合戦撮影といえばここ」の名所で行われた。東映京都撮影所スタッフは、事前に広い現場のセイタカアワダチソウなど当時にはなかった外来種を徹底的に刈り取り、準備をする。
撮影当日は、早朝からエキストラの着付けが始まり、その日は8時ころから、キャストの結髪、着付けと続く。ロケバスでの大人数の移動、現地での馬の準備、エキストラの動きの確認、機材の調整、テスト、本番、次のカットの準備、確認、調整と続く。とにかく目まぐるしい。経験豊富なベテランスタッフが手際よく進めていくが、それでも天気には左右されるし、上空で音を響かせる飛行機の通過待ちもしばしば。あっという間に日暮れも迫る。まさに体力勝負だった。
聞けば、昭和期には、前半の合戦シーンで予算を使い過ぎ、後半は甲冑姿の主役が苦悩する顔のアップで戦シーンを終えてしまった連続ドラマもあったとか。最近は、「本能寺の変」のシーンなしで織田信長が没した大河ドラマ『真田丸』(2016年)のように、重要人物の最期を描かかず、ナレーションだけで知らせる「ナレ死」が話題になることがあるが、当時は苦肉の策で戦シーンを減らしていたのだ。
興味深いのは、時代劇でも映画は、少し方向性が違うことだ。
黒澤明監督作品をはじめ、映画は昔から「空前の大作」「スペクタクル巨編」と、大規模なロケや巨額の予算、エキストラの数などをアピールしてきた。榎木孝明が上杉謙信を演じ、1990年に公開された映画『天と地と』は製作費50億円、カナダでの合戦シーン撮影に動員されたエキストラはのべ3000人だったという。さすがバブル期の角川映画である。
今年、木村拓哉の織田信長、綾瀬はるかの濃姫という顔合わせで注目された映画『レジェンド&バタフライ』は、兵庫県の国宝朝光寺をはじめ、映画撮影は初めてという国宝や重要文化財を有する寺社を中心に全国30か所以上でのロケを敢行。映画資料には「〈想い〉が集結し、実現した、数々の奇跡のロケ!」とある。
2017年に岡田准一が石田三成役で主演した映画『関ヶ原』でも、龍潭寺、彦根城など国宝級の建築物での撮影が行われている。戦国時代の町並みも目が覚めるような障壁画も幻の安土城もCGで精密に描ける時代に、歴史を刻んだ建造物にしかないリアルにこだわる。これも国内外にアピールできる、時代劇映画の贅沢になったのだ。
では、戦シーンがない時代劇は、どうなっているか。
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