2023年04月20日
書店の閉店が止まらない。知名度のある大型書店の閉店のニュースが陸続とした。とはいえ、三省堂書店神保町本店や八重洲ブックセンターは、ビルの建て替えに伴う一時的な閉店だ。数年後の出版市場がどうなっているかわからないものの、再開を前提にした前向きな動きと言える。
大家である百貨店の営業終了に伴い撤退した書店もあった。外因的な理由からだ。他のチェーン店も、従来スクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきた。そういう意味で、大手書店の閉店には、割り切りのようなものさえ感じられる。
より深刻なのは、街の書店だ。全国に名の知れた街の書店の閉店が続く。無書店自治体が2022年9月時点で26・2%に上るという調査も発表され、出版業界の内外で危機感が募っている。いくつかの閉店を例に、小規模書店の実情を考えてみたい。
鳥取市にある定有堂書店が3月31日に閉店すると伝わってきた。店主の奈良敏行さんの澄んだまなざしと、品揃えの鮮烈さに強い印象を残す、私にとってかけがえのない書店のひとつだ。
店舗は官庁街に隣接する大通り沿いにある。売場面積は50坪。雑誌もきっちり販売する、なんの変哲もない街の本屋のようなたたずまいではあった。
だが、特徴のひとつは、奈良さんが「人文書でお友だち」というキャッチフレーズを掲げながら「ミニコミをつくるような気持ちで本屋をつくってきた」ことにある。書店をミニコミに見立て、お客と書店という関係を超える「物語」を一緒につくっていこうと考えたのである。物理的に限界のある書店という空間を、ミニコミ的な場として解放することで、空間的な制約を突破しようとしたのだ。
いや、実際に紙のミニコミ誌をお客とともにつくり、店頭で配ってきた。「人文書でお友だち」というのは、イメージ戦略的なキャッチコピーではなく、実態としてまったくその通りのものだった。
名残を惜しむ利用者の声に押されて、定有堂書店は営業を4月中旬まで延長したという。この記事が公開された時点では、もう閉店しているかもしれない。
名古屋の七五書店は、周囲にアパートやマンション、一軒家が立ち並ぶ住宅地にあった。好立地とまでは言えないものの、50坪の売り場ながら品揃えや棚づくりで通好みのお客を唸らせる、全国にその名が知られていた書店だった。
実際に足を向けてみると、書棚にある本がそれぞれに有機的につながり、この本が読みたい、あの本も気になるというような、リアル書店の妙を体現していた。知らなかったタイトルがまるで向こうから目に飛び込んでくるような、不思議な感覚になるのだ。いわゆる「文脈棚」的な並べ方である。成人雑誌もしっかり置き、街の本屋の役割に忠実であることも伝わってきた。
店のカラーは、大学生時代から七五書店でアルバイトをはじめ、卒業後そのまま就職し、店長になった熊谷隆章さんがつくってきた。しかも、レジ打ちから仕入れや陳列、フェアの企画まで、主要な業務のほぼすべてをひとりでこなしていた。熊谷さんには、街の本屋のできることがこんなにあるのだと教えてもらった。にもかかわらず、売り上げ減少に堪えきれず、1月31日に閉店してしまった。
「努力」しても、書店という業態が立ち行かなくなることに、納得できない思いがわいてしまう。
人文書や詩歌など硬めの本の販売で定評があった京都の三月書房は、2020年6月に閉店した。京都市役所近くの寺町通沿いにあった。10坪ほどの小さな街の書店だった。
主力は、詩人であり思想家でもあった吉本隆明の著作。シュタイナーの人智学や教育書にも力を入れ、さらには哲学や思想などの人文書、文芸書、歴史物、ノンフィクション書、趣味性の高いマンガなどを揃えていた。ミニコミ誌やアナキズム書など、ほかの書店ではほとんど見かけないタイトルもあった。加えてネット販売も展開していた。
朝日新聞2020年7月12日付朝刊の歌壇には、こんな短歌が掲載された。
毎日を定休日とするお知らせが貼られた朝の三月書房 (西宮市)佐竹由利子
閉店を惜しむ歌が詠まれるほど歌人や詩歌好きに親しまれていた書店だったわけだ。
「毎日が定休日」になったのは、6月11日だった。11月には、取引取次の日本出版販売との精算を終え、年末には税務署に廃業届を提出してネット販売も終了した。
収支はと言うと、日販から戻ってきたのが1000万円弱。ここから消費税などを差し引くと、700~800万円が手もとに残った。営業中は、返品率は常に2割以下、年間売り上げ高に対する粗利は1000万円を超えていたという。逆算すると年商5000万円ほど。個人経営の街の本屋としてはかなりの実績だった。店舗は自己物件だから、家賃もかからなかった。恵まれた環境だった。
ではなぜ、店主の宍戸立夫さんは閉店を選んだのか。3人の子どもがいたものの、公務員や会社員として働いていた。書店を継ぐ気はなかったという。世間的には「後継者難」ということになる。だが、宍戸さんは、もしも継ぐと言われれば、子どもらを手伝わざるを得ず、書店からの引退が先になってしまうと考えた。店をやめてからは、夕方には飲みに出かけられるようになったと、私が取材に行ったとき、半ば自分を茶化しながら飄々と語っていた。
この20年で全国の書店はほぼ半減した。現状、店舗を構えるのは8000店前後だとみられる。ただし、閉店する書店がある一方、新規開店もあり、その差し引きによって総店数が半分になってしまったということであって、実際の閉店数は半減どころではない。20年前と同じ場所で書店を続けているのは、私の目算では3割ぐらいしかなさそうだ。
書店の閉店・廃業の発端は、いくつかに大別できる。1.売り上げ不振、2.経営不振、3.老齢・後継者なし、4.店舗移転・転業、5.競合店出店──。「経営不振」は、売上高にさほどの変化がなくても、地代やテナント料の高騰などの問題を抱えての撤退だ。「売り上げ不振」は、言うまでもない。後継者なし、転業、競合店の出店も、いま以上の売り上げが見込めないがゆえの、売り上げ不振の変形版だ。結局、閉店せざるを得ない理由は、売り上げ不振と経営不振のふたつに収斂する。
ただ、前述したように、それぞれの書店にとっては、個別具体的な事情があった。
あえて新規出店を果たし、力尽きて閉店せざるを得なかった書店がある。
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