後藤隆基(ごとう・りゅうき) 立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教
1981年静岡県生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』(晃洋書房、2018)、編著に『ロスト・イン・パンデミック――失われた演劇と新たな表現の地平』(春陽堂書店、2021)、『小劇場演劇とは何か』(ひつじ書房、2022)ほか。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
戦後大衆文化史を体現するレジェンドに聞く〈上〉
――テレビ草創期は、今では想像もつかないことの連続だったかと。
辻 忘れられないのは菊田一夫さん。戦後のラジオドラマで『鐘の鳴る丘』(1947~50年)や『君の名は』(1952~54年)が大ヒットしましたから、テレビでもいいものが書けると思ったんでしょうね。第11回芸術祭参加作品のテレビミュージカル『スポンヂの月』(1956年11月24日)を菊田さんに頼んだんです。我々が演出で。
ただ、どうも、テレビは一度も書いたことがなかったらしい。で、セットでネオンサインは使いたいとおっしゃるんです。それがどういう場面かはわからないのだけれど、菊田さんのことだから、クラブかキャバレーだろうと見当はつけたんだけど……。
――実際にどんな使われ方をしたのか気になります。
辻 それが、いつまで経っても台本ができないんですよ。キャストは、森繫久彌さん、越路吹雪さん、三木のり平さん、草笛光子さんというメンバーだったんですが、ずっと待たせてしまってね。結局原稿ができあがったのは、生放送当日の午前1時。それから台本を印刷しなきゃいけない。コピーなんてありませんから、急いでガリ版を切るわけです。
――まさに修羅場ですね……。
辻 ミュージカルなので、音楽もつくらなきゃいけない。古関裕而さんが、菊田さんの隣にへばりついて、菊田さんが原稿用紙1枚書くたびに譜面を書く。東京放送管弦楽団が徹夜で待ってますからね。で、ヴァイオリンはヴァイオリン、フルートはフルートで楽譜を分けなきゃいけない。古関さんの横に写譜屋さんがつくんだけど、NHKには人がいないから、松竹大船から万城目正さんの関係の写譜屋さんをハイヤーで全員呼んでね。次から次へと分担して。それが全部できあがらないと踊りはできませんから。
――ミュージカルですから、当然振付も必要。
辻 僕は音楽の担当だったので振付も面倒を見ることになっていて、小牧正英バレエ団の男性第一舞踊手だった関直人さんと仲がよかったから、当日来てもらったんです。でも、待っても待っても楽譜が来ない。とうとう最後に「ごめん、関さん。音楽ないけど適当に振り付けて」って頼んだら、「馬鹿野郎!」って怒鳴られましたよ。そんなことばかりです。森繫さんは怒ってやめちゃうし、のり平さんも草笛さんも断りもなくドロンしちゃった。